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読んだり書いたり観たり教えたり。 https://asagiri.hatenablog.jp/

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最近の記事

20240111 樋口一葉を読む

最近、樋口一葉を読んでいる。「たけくらべ」と「にごりえ」は、大学生の頃にも一度読み、その頃は私もとがっていたので「現代語訳で読むなどありえない」と考えていたのだが、現代語訳で読まなかったためか十分に解釈できなかったのだろうと、古文の勉強をそれなりに積んだ今では推測されるのだが、読んでもさっぱり良さがわからなかった。そして改めて読み、まあ確かに良い小説である。なかなかグッとくる、のだが、一方で掴みきったというような印象がなかった。しかし、続けて「十三夜」を読み、樋口一葉の「主題

    • 20240109 女が一人は泣くらしい

      女の子たちが「必ず女が一人は泣くらしいよ」などと話していて、何と物騒な話かと思ったのだが、共通テストの試験会場のことだそうである。共通テストなんて、人生で一度かせいぜい二度しか受験しないだろうに、そんな妙な噂の流れる程の、不安。教室の掲示板には生徒の勝手に書いている夢がどうこうといったポジティブな格言めいた言葉と共に「あと3日」とポップな文字でカウントダウンが記されていて、そのポジティブなポップさの裏にも不安が隠れているのだろう。「女が一人は泣くらしい」という言葉にも、笑い話

      • 20240103 フランスに憧れる

        正月休みの最終日、フランス映画『若草の萌えるころ』を見て、ファシズム・第二次世界大戦の記憶、マオイズムといった世相に思いをはせつつ(後で調べたところ1969年の映画であった!)、いかにもフランス映画然とした奔放さで良かった。フランス人ってすぐヤってしまうな!(映画や文学によって作られたイメージ。有名な「パリ市庁舎前のキス」の写真を思い出しもする) 最近はフランスものにはまっていて、中条昇平『世界一簡単なフランス語の本』などを読んで(これがなかなかの本で、すぐにフランス語を見て

        • 20231228 月一で死を想う/文学方面は研究しないに限る

          昨日は通院。結構前から、月に一度は通院をして薬をもらって服用しなければ数日かそこらで死ぬ体であり、長生きもないだろうとも思っていて、通院する度にそのようにして、死を想う。こんな頻度で死を想っていては、そろそろストイシズムに目覚めてもおかしくないのではないかと思ったのだが、古代ローマ時代であれば私は既に死んでいただろうし、古代ローマ程理不尽に死がふりかかるわけでもなく、まだまだだろう。 茨木のり子を読んでいて、昭和天皇が戦争責任を問われて「文学方面はあまり研究していないのでお

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          20231219 冬の短冊

          我が校では、クリスマスツリーに願い事を記した短冊を吊るすという慣習が近年に生まれ、今年も引き続きクリスマスツリーが引っ張り出され、受験生の合格祈願を中心にして短冊が飾られている。「◯◯大学合格」と堂々と書く生徒もいるのだが、憚って「北海道で雪だるまを作る」とか、そういう曖昧な書き方をする者もあって、もちろんしょうもない願い事もたくさんあるのだが、彼ら彼女らの彼ら彼女らなりに切実な短冊を眺めていて思い出されるのが、コロナ禍の初めの年にやはり出されたクリスマスツリーに掛かっていた

          20231219 冬の短冊

          20231218 原稿が消えるということ

          知り合いが、描いていた漫画の原稿のデータが消えたと投稿していた。データが消えるというのは、デジタル以前の経験に類似を探せば、どこかに落とす、というのが近しいだろうか。燃えるとか、飛んでいくとか、沈んでいくとか、引ったくられて走り去っていくとか、そうした過程がなく、気づいたらその物はあるべき場所から消えていて、データもまた消えている。道を辿り直すとか、電子的な手段によって復旧を試みるとか、誰かが拾ってくれるとか、実はどこかにコピーがあったとか、そうした可能性はあるのだが、とりあ

          20231218 原稿が消えるということ

          20231209 「びーあんあいどる!!」を観る

          知り合いが関わっていたので、システマ・アンジェリカ×劇団くるめるシアター企画公演「びーあんあいどる!!」を観た。感想を述べるべきなのだろうと思うのだが、私にはこういう形でしか感想めいたものが書けず、失礼だというのはよくわかっているのだが……。 推しは推せるときに推せ――アイドルは失われる。今日に聞く大森靖子「IDOL SONG」のエモさというのは、その歌詞を構成するアイドルたちの自己紹介やキャッチフレーズが、かつて存在した、もはや失われたアイドルたちの自己紹介・キャッチフレ

          20231209 「びーあんあいどる!!」を観る

          20230921 引き続きサルトル

          目当てにしていた戯曲「出口なし」も「汚れた手」も読み、どちらも緊張感のある良い戯曲で満足したのだが、熊野純彦『サルトル』で小説『自由への道』の語りについて触れたところがあり、 これは、俺が修士論文(笑)で触れた「移人称」の硬派なものなのではないか? と思い、気づいたら「日本の古本屋」で『自由への道』6冊揃を買ってしまった(10年くらい前の出版だが、品切れになっている)。だいたい岡田利規の小説「三月の5日間」(今見たらこれもAmazonで品切れ……学生の頃はおもしろく読んだの

          20230921 引き続きサルトル

          20230912 異質なリスク、異質な悪

          北海道大学入試国語の過去問(2017)に金森治「リスク論の文化政治学」(『知識の政治学』)からの出題があり、必要にかられて読んだのだが、おもしろい(し、読解力を測るに程よく難しい文章である)。そこでは「リスク論」が批判されているのだが、その批判の肝をまとめれば(問五の解答になる)、原発や遺伝子組み換え食品の是非をめぐる議論を前提にして、「リスク論」が特定の手段を選ばせようという意図を隠して科学的な中立性・普遍性を装い、人間存在のもつ避けられない不確定性としての危険性と、先端技

          20230912 異質なリスク、異質な悪

          20230827 作家サルトルを読む

          予告していたとおり? 大きな本棚を組み立てた。『オデュッセイア』を読んで以来、家具を組み立てていると、オデュッセウスが手ずからベッドを作り上げる様を想像してしまう(レベルは違うけれども)。 訳あってサルトルの戯曲「出口なし」を読んだのだがおもしろく、かつて挫折した『嘔吐』を再び読み始めたのだが、やはり戯曲ほどおもしろく読み進めることが出来ない。だいたい、「知識人の日記」なんて設定でおもしろおかしく読める小説になるはずがないのだが、それでも読んでいると、なるほどこれは普通のフ

          20230827 作家サルトルを読む

          20230815 私はまだ生きていて

          最近ちびちびと詩を読んでいて、だからつい詩を作ってしまったのだが、しかし自由詩というものは慣れない私には慣れない裸のような気恥ずかしさがあり、短歌にしてしまった。規則とは衣服なのかもしれない……。 このような詩(短歌)を作ってしまったのは、ふと、いまだに生きていて、本棚を買って組み立てようとしている、これからまだ本を増やすつもりの自分というのが滑稽に見えて、5年連用日記を開きまずはそのことを書き付けたのだったが、3年前の欄に、今となっては死んでいる人が生きていた頃に関するち

          20230815 私はまだ生きていて

          20230802 僕が生まれた日の空は

          先日、宮崎駿の『君たちはどう生きるか』を見たのだが、米津玄師のエンディングテーマが泣けたのだった。この、冒頭の一節が、とにかくバチッと決まっているのである。 生まれた日のことを、覚えているだろうか。どのような日であったか、知っているだろうか。たまに「覚えている」と口にする人がいるが、私はあまりそういう超常的なことは信じない質で、しかし、私の生まれた日がどういう日であったかは、何となく知っている。夏の、ある晴れた早朝だった——どうして知っているのかといえば、それは、母がそう話

          20230802 僕が生まれた日の空は

          20230716 「君たちはどう生きるか」を観る(若干のネタバレ)

          宮崎駿「君たちはどう生きるか」を見てきた。 私はおもしろく見たが、もしかしたら、ファン向けの映画なのかもしれない。もちろん、アニメーションとしての単純なエンターテイメント性もあるのだが、それなりにでも筋道立った物語として理解するには、結構、知的に要求するものがある(子供には説明しにくいところもあろう)。そしてまた、私小説ならぬ私映画のようなところもあり、セルフオマージュのようなところもあり、私自身、常に「作者」宮崎駿をスクリーンの向こうに意識して見てしまった。そして、この作

          20230716 「君たちはどう生きるか」を観る(若干のネタバレ)

          20230628 雨の悦び

          雨が降る前に帰りましょう、と一日を締めくくった矢先、激しい雨が降り、雷が鳴り、やがて雹まで降ってきた。子供たちはぎゃあぎゃあきゃあきゃあ騒いで、掃除も何も手につかない様子で、教室の明かりを消して停電と思わせるイタズラまで始める始末であった。こちらはうんざりするばかりなのだが、しかし子供の時分、中学や高校で、友人らと激しい雷雨に閉じ込められて、私は騒ぐようなタイプではなかったけれども、静かに気持ちを昂らせた記憶は確かにあり、気怠い懐かしさを感じるのであった。 さらに昔のことを

          20230628 雨の悦び

          20230624 小説を使う?

          三宅香帆、エッセイ集がおもしろかったので新作の『名場面でわかる 刺さる小説の技術』を読み、それほど得るところはなく、刺さるところなく読み終えたのだが、ところで帯にある「エントリーシート・ブログにも使える!」という煽りが、本当にわけがわからない……。今日は学校に卒業生たちがやってきていて、やってくる卒業生たちというのはたいてい勉強が好きな子たちで、私がよく交流をもっていた子たちなどはやはり人文学を専攻にするようなのが多く、話を聞いても大学院に行こうだとか教員になるだとか何も考え

          20230624 小説を使う?

          20230527 休日の仕事にディズニーランドを幻覚する

          休日出勤。午前は部活に出て、午後は採点の単純作業に勤しむ。 午後、デスクで仕事をしながら、どこかではしゃぐ生徒の声や、中庭で練習する吹奏楽部のディズニーメドレーが耳に入ってきていて、単純な人間であるから楽しげな音楽を聞くと楽しい気持ちになるのだが、採点の気怠さと音楽の高揚感が入り混じり、その感覚のない混ぜにどこか懐かしさを抱いたのだが、これは、まさしくディズニーランドで感じるやつだと気づいた。ディズニーランド――それは、連れ回され(何せ、ディズニーランドに行くときには常に、

          20230527 休日の仕事にディズニーランドを幻覚する