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小説『銃と海のファンタシー』(3053文字)

 歩いても歩いても、海は燃えていた。その上を裸足で歩く私の足裏を、火が舐めていく。熱くて痛い。でも、それが心地いいと感じる自分がいる。私はずっとこのまま歩き続けていたかった。

 私は走ることにした。なんて熱い。でも走ることをやめられない。それからどれだけ走っただろう。一時間。一ヶ月。あるいは一年。
 そのうちにどこかの陸に着いた。そこは海岸だった。海には誰もいないし、何も燃やされていない。
 波の音だけが聞こえる世界だった。砂浜に座って海を眺めた。空と海の青は溶け合っていた。それはきっと宇宙の色なんだと思った。
 私は久しぶりに眠ることにした。それからどれだけ眠っただろう。一時間。一ヶ月。あるいは一年。
 もうそろそろ起きようかと思って目を開けたら目の前に誰かがいた。

「おはよう」

 その人はそう言った。私はびっくりして飛び起きた。だってそこには私しかいなかったはずなのだから。

「君は伝令か?」

 その人は年老いた男性だった。ボロボロの軍服とへこんだヘルメットを身につけて、肩からは使い古された自動小銃を下げていた。

「あの……」

 私が何か言おうとする前に彼はこう続けた。

「すまないな。君の名前は覚えていないんだ。私は銃。最後の一丁だ」

 彼の表情はとても優しかった。まるで孫を見るおじいさんのような顔だと思った。

「ここはどこなんですか?どうしてこんなところに?」
「ここは戦場だよ。私たちは戦争をしていたんだ」
「戦争……?そんな馬鹿なことってあるんですか?」
「ああ、あったんだよ。私たちの世界ではね」

 彼によると、まだ戦争は石の裏とかお風呂場のゴムパッキンとか、駅前のウソの募金や怪しい通販サイトなどに隠れていて、完全に終わってはいないということだった。

「だから我らのような銃の仕事がある」

 彼は誇らしげにそう言った。そしてこう付け加えた。

「もちろん君にも仕事はあるぞ。さあ、伝言を伝えてくれるね?」
「えっと……何を伝えればいいんでしょうか」

 私はあまり自分が物覚えのよい方ではないということを自覚していた。だって、自分の名前や目的だって覚えていないのだから。

「難しくないぞ。簡単なことだ。ただ『ごめんなさい』と伝えて欲しいんだ」
「誰に?」
「我々の主だった者にだ」

 彼が指差した先には砂に埋まった大きな穴があった。よく見れば、そこには他にも多くの銃たちが横になっていた。
 彼らは皆一様に疲れ果てたような顔をしていて、中には折れてしまったものもあった。

「この人たちはみんな壊れたんですか?」

 私は尋ねた。

「そうだよ。我々は負けるわけにはいかなかった。だから戦った。しかし負けた。それだけのことだよ」

 そう言って銃は自分の肩にある小銃をぽんぽんと叩いた。

「海は百年来燃え続けて、世界を分断している。を越えられるのは伝令、君だけだ。どこまでも走って、我らの言葉を伝えてはくれないか」

 彼は少し寂しそうな顔をした。私はそれを見ていられなくて目をそらしてしまった。
 私は、彼に『敵』について尋ねることにした。その方が彼の伝言をより理解できると思ったのだ。

「彼らは……やってきたんだ。海を渡って我々を倒しにやってきた」
「でもどうやって……」
「わからない。我々は彼らの言葉が聞こえないんだ」
「それは困りましたね」
「そして、何よりもやつらは強すぎた。我々の弾丸では奴らにかすり傷一つつけることができない」
「あなたたちも戦っていたんですよね?勝算は無かったんですか?」

 私はつい尋ねてしまったことを後悔したが、その質問に対して帰ってきた答えはとても意外なものだった。

「なかったわけではない」彼は少しだけ悲しげな顔をしながらこう続けた。

「一つだけあったさ。それがこの作戦だ。だが、それでも駄目だった。我々の弾丸は通じない。ならば我々自身が弾になるしかなかった。銃であるわれわれが」
「もう十分です」

 私は耐えきれなくなってそう言った。彼の話を聞いていると、なぜか涙が出そうになるからだ。

「そうか。なら行ってくれ」

 私は立ち上がって周りを見渡してみた。すると他の銃たちの残骸がそこかしこに散らばっていることに気がついた。ボロボロのパーツになり動くことさえままならないようだったが私を見て口々にこう言ってきた。「行ってくれるかい」「頼んだよ」

私はどうしようもなく不安になって彼に助けを求めるように視線を向けた。

「彼らを助ける方法は本当に無かったんですか?」

 彼は私に向かって微笑むとこう言った。

「残念ながら、私にはできなかった」

 私は泣きそうになりながらも立ち上がった。私は海に向かって走り出した。後ろを振り返ることはしなかった。
 
 ただ、ひたすら走った。
 どれだけ走れば辿り着くのかなんてわからないけど、私の心は不思議と晴れやかな気分だった。
 走っている途中でたくさんのものを見た気がする。空に浮かぶ虹だとか、海を泳ぐイルカだとかそういうものを。
 それらはきっと私の中にある記憶の一片だったのかもしれないけれど、今更そんなことを考えても仕方がない。
 海も燃え始めた。これが銃の言うところの、世界を隔てるものなのだと思った。
 裸足のままだから焼け付くような痛みを感じているし息をするたびに喉が痛いほどひりついたが走る速度は緩められなかった。
 もうすぐ世界は終わってしまうのだという確信めいたものがあったが私は構わず走り続けることに決めたのだ。
 そしてしばらく走った後ついに私は海を越えた。そこには何も無かった。ただ真っ暗な闇が広がっていただけだった。
 いや、正確には違う。私は見たんだと思う。遠くに光っているものが。それを見つめていたらだんだんと意識が無くなっていった。私はそのまま眠ってしまった。

 目が覚めた。そこはベッドの上だった。白いカーテンが風に揺れていた。その隙間から日差しが入り込んできてとても眩しかった。
 窓の外からは楽しげに笑う声やボールの弾む音が聞こえる。今日はとてもいい天気みたいだ。それにここは病院だろうか。どこか薬品のような匂いを感じる。

「おかえり」

 ベッドの横に男性が立っていた。白衣を着たその男性の顔は、確かにあの年老いた「銃」と同じだった。
 でも、纏っている空気が違う。どういうことなのか私にはわからなかった。

「何か、伝言を聞いているのだろう」

 彼は静かに問いかけてきた。

「ええ、はい、聞いています」

 私はゆっくりと体を起こして答えた。

「『ごめんなさい』と、彼は言っていました」

 そうか、と呟くと男性はポケットから紙を取り出してこう書いた。

「私は君に、ありがとうと言って欲しかった」

 彼は悲しげな顔をした。まるで子供のような顔だった。
 私は思わず泣いてしまった。
 涙は止まる気配がなかった。その様子に驚いたように男は慌てていた。その姿もまた老人によく似ていた。
 私は、あの戦争がまだ終わらないのだということを悟った。なぜならまだ銃の仕事は終わっていないからだ。
 あの砂浜で、銃は今も戦っている。壊れた仲間とともに、まだ続いている戦いに身を投じて、彼らの主であった者に思いを馳せ続けている。
 だからこれは戦争だ。私たちの、私とあなたの。
 そして私たちはいつまでも続いていく。
 私は彼の手をそっと握るとこう言った。

「『ありがとう』」

 彼は嬉しそうに笑ってくれたように見えた。そして、彼は最後にこう付け加えた。

「またいつか会おう」

 彼の姿はもう見えなくなっていた。私は、彼が座っていた椅子をずっと眺め続けていた。

〈了〉

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