親子道の誕生

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
子としてどう在りたいのか。
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪
ここからのお話がますます楽しい親子関係への
何らかの氣づきのきっかけと成ることができたなら幸いです。

満月の夜に人生を省みてきました。そして、古代文明や自称宇宙人や自称神様のお話や妖精に魔法使い、超能力者や現代科学、ビジネススキルに自己啓発本好きだというところまで書きました。

様々なものを見て(偏りはありますが…)感じて、思うことは、全てが真実で真実は人の数だけあっていい。そうやって一見矛盾するような正反対なことも、どちらも正しいんだと、思って見て聞いていくと、今まで見えなかった中心(核)のようなものを感じるそんな錯覚を覚えたのです。なんとなく…です。

それと同時期に、自分自身を励ます沢山の言葉との出逢いがありました。
何度も何度も。自分に感謝の言葉と励ましの言葉をかけるうちに、少しづつ何かが変わっていき、いつしか思うようになったのです。
『何か大切なことを忘れているんじゃないかな…。今日があるのは当たり前…?。どうして私はここに存在できているのだろう…。』

そんな時に、古事記を読むきっかけがあました。古事記には神代の時代から現在の天皇家につながる系譜が示されています。
天照大御神は天皇家のご先祖様となるわけです。

日本には神社が沢山あります。氏神様として地域の人々を見守ってくださっている存在です。神社には古事記に出てくる神様が奉られていることが多いです。すなわち神社には日本の歴史が詰まっています。日本は2600年以上続いてきた世界一長く続いている国という歴史があります。(この事を詳しく伝えている方は沢山いらっしゃるので、興味があれば調べてみてください)
日本は島国です。鎖国もしていた時期があります。ある程度の閉鎖空間だったということになります。
とある番組で、遠い親戚を探すというのがありました。
昭和の名台詞に『人類みな兄弟』というのがありました。

他にも沢山ありますが、これら一見関係なさそうな「点」が私の中で繋がって…ある日、
その中心に『親子』というキーワードが鎮座したのです。

命(子)の誕生には必ずそれを生み出す存在(親)がある。

心地よい自然の流れは心地よいトキが流れ心地よさが巡り巡って帰ってくる。昔むかし、ヒデ爺が教えてくれた。『天を向いて寝そべって、唾を吐いてみなさい。どうなる?自分に帰ってくるだろう?自分の行いも同じなんだよ』と。
だとするならば、世界中の人が、『幸せ』って吐き出せば世界中の人に『幸せ』が帰ってくる。それから『大好き』『ラッキー』『ありがとう』『嬉しい』『笑顔』…これらを吐き出せばこれらが循環して帰ってくる。

縄文時代の遺跡からは、武器は見つかってなくて平和だったという最近の見解があります。そして豊かな文化活動もあったのではないかとささやかれています。もしそれが事実なら、親子の在り方を見つめてより豊かな関係を作れたら、私達も互いの命を尊重しあえるそういう世界を見ることが出来るんじゃないかな?という思いがどこからともなく湧いてきました。今はまだ、なんの根拠もありません。ですが可能性を感じています。

だから『親子道』おやこどう。おやこのみち。と、名前をつけて親子の在り方を考えてより良いカタチを模索したいと思ったのです。

親と子が一緒に進む人生の道。
親子の数だけ道はあって同じ道はない…。交差したり一時的に重なることはあるかもしれません。先人が歩いた道を歩く人もいるかもしれません。景色の違う同じ道があるかもしれません。道なき道を進んでいるつもりが、顔を上げれば、先人が歩いた痕跡を見つけることができるかもしれません。沢山、沢山、道はある…。いつしか親は親、子は子の道へとそれぞれに別れていくけれど…皆未来に向かって歩いていく。

笑顔あふれる未来のために今日がある。そう信じて自分の道を歩いていく。在りたい姿を探しながら…。

それが
『 親子道 』

最後までお読みいただきありがとうございました。私のつたない文章を最後まで読んでくださったあなたに幸あれ。

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