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文章でモテたい

たくさん本を読んでいい文章を書いてモテたい。

文章でモテるということはそれを必ず読んでくれている人であり、その人自身も読書や文章を書く習慣があると思っている。

恋愛関係に限らず、付き合う人はそういう人がいい。

文章にはその人の全てが出ると思う。
思考はもちろん、構成力からは知性、表現力からは感性がうかがえる。
なにより、文章を書く人はそれだけ文書を読む力もあるので「会話」ができる。

また、文章でモテるということは間接的に自分の内面を見てくれていることにもなり、、、嬉しい。(っぽい言葉が出なかった)

マッチングアプリにもnoteのような機能をつければ良いと思う。

これはあくまで主観的な話だが、読み書きができなくなった人が増えた気がする。ここでいう読み書きは、字面を追うことではなくそれ以上に、想像したり考えながら読む、あるいは読み手を意識した構成をすることをいう。

多分、スマホの影響だと思う。
以前、映画や動画を早送りで見る人が増えたことについての本を読んだ。
詳しいことは割愛するが、スマホやそれに伴なって普及したサービス(SNSや動画のサブスクなど)によって、我々は、1つの作品に対して集中できなくなったそうだ。

確かに、気に入らなければすぐにスワイプして次にいけるし、サブスクで映画は見放題、すなわち、作品1本に対しての価格がとても安くなった。(お金がないときはとても助かる。)

これらが悪いとは思わない。しかし明らかに弊害があるのは事実であろう。

小説を最後まで読む、2時間の映画で1度もスマホを見ずにいられる人がどれほどいるか。

そういう人は反射的に物事に食いついてしまうと感じる。
悪質なコメントをする人は読書の習慣がないんじゃないか。
「見る→ムカつく→えぐいコメント」の3ステップになっていると思う。本来なら「見る→ムカつく→考える→コメント」であろう。

話がそれたので本題に戻す。

読書や文章を書く習慣があるという時点で、その人が穏やかな性格でキレにくい場合が多いと思っている。うまい下手じゃない。(私自身かなり下手な方だと自覚している。)

しかし文章を書いてnoteに投稿している時点で

・人目に配慮している
・考える習慣
・本を読む習慣
・それに伴う穏やかな人格

が確立されていると感じている。
実際、noteでは悪質なコメントをあまり見ない。

そんなわけで文章でモテたい(投げやり)

もっと本を読んでいい文章を書いてモテたい。

平安時代のように。


生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。