ほくろ (短編小説)

8年ぶり。いや、それ以上か。
当時の自分が周りに見せていた顔を、もう忘れてしまった。

どんな声で、
どんな表情で、
どういうことに笑い、
どういう風に人を励ましていただろう。

「結婚祝いのサプライズだから、あの頃の仲良しメンバーには全員出席してほしいの。ね、お願い」

そう言って、渋る私を強引に今日これから向かう会に参加させようとした彼女と私は、本当に仲が良かったのだろうか。思い出せない。

「陰気くさい」

社会人になって陰口を言われるようになった。
陰で言われない陰口は、あっという間に私の体を重くして、日々の睡眠時間を不安定にした。

「どっかいってよ」

目を見て言われたときには、言った相手を憎むよりも自分が憎くて、疎ましかった。自分を、ずたずたにしてしまいたかった。


薄暗いトイレの個室で、便座の蓋を閉めて座る。
古いビルの、おそらく従業員用のトイレなのだろう、人の気配がないトイレは他に見当たらなかった。
床のタイルを濡らしている水が、靴底の泥と混じって、ところどころを茶色く染める。普段なら、思わず顔をしかめたくなるようなツンとした匂いが漂う空間も、今は心地いい。
8年前に“仲良し”だったという彼らとこれから対面する私が、精神を落ち着けられる場所。

小さな羽虫が、私の周りをまとわりつくように飛んでいる。
羽虫を捕まえようと、何度か素早く手を動かした。

羽虫は、握った私の手のなかで半分潰れてそこにいた。
その羽虫を手のひらの上で転がして丸めると、黒い小さな塊になった。
それを見た私は、手鏡を取り出し、丸めた羽虫を自分の鼻すじの横に添えた。

「あぁ…」


4年前にほくろを取った。
いじめに耐えながら3年勤めた会社を辞めると、それまでに貯めていた金を使いたくなって、ほくろを取ることにした。
一度も褒められたことのない厄介なほくろを取り除いたのに、私の有り様ありようはますます「自分」から遠のいた。

久々に再会したかつての自分の顔を、鏡を見ながら動かしてみる。

あー
いーうー
えー
おー

笑ってみる。
笑った顔はこんなふうだったか。
笑っているような、泣いているような。

ほくろの戻った顔の私。
おそらく、今日必要な私の顔はこれだ。
8年前に仲良しだったという彼らと再会するために必要な、顔。



[完]


#短編小説




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