「なんでもない」が怖い

相手が何かを言いかけた、近くから私の名前が聞こえた、分からない話をされて説明を求めた。
どうしたの?と聞けば「なんでもない!」。
そっか!と笑顔で返して別の話題へ切り替える。それでも心の中では深く、そして悪い方へぐるぐると考えてしまう。

なんでもないわけがない。

何かありそうな素振りがあったから私は疑問を持って相手に問うたのである。その疑問が解決されないままなのが気になって、答えを考えて気にしてしまうのは私だけではないと信じたい。
私はこのモヤモヤを気にしないという事が大の不得意だ。なんでもないという言葉に対して「今のなんだったんだろう」という単なる疑問だったものが「もしかして私が何かしてしまったのかな?」「気を遣わせてしまった、申し訳ない」と自責に変化して自己嫌悪してしまう。本当は私のせいじゃなかったのかもしれないのに、全て自分が悪いかのように捉えてしまう。客観的に見ればそう考えられるけれど、どうしても気にしてしまうのだ。HSPだと自負しているがとてもうんざりする性分である。


この凄く気にしてしまうことを踏まえて、私は「なんでもない」という言葉を使わないように気をつけている。
私が何気なく発した「なんでもない」という言葉で、私のように全てを自分のこととして捉えて誰かが陰で落ち込むような事があっては悲しい。
ただこれは主観的感想であり経験に基づく発想に過ぎない。
「なんでもない」という言葉を客観的に見た時に、ポジティブに捉えられる人は少ないんじゃないかというのは一つある。許したり気にしないようにすることは出来るけれど、隠されたり誤魔化された事実に対して前向きに捉えられる人は少ない。

隠されること、それすなわち「向き合うことを放棄した」ということだと思っている。
自分を隠さず本音でコミュニケーションを取ることでより知ってもらえるし、理解が深まることで私に対する見方がどんどん正しく良い方向へと変わっていく。私という人間をきちんと知ってほしい。それで嫌いなら何とも思わないしむしろ本望だ。
しかし向き合うことを放棄することによって人間関係の発展する可能性が消える。建前の自分、偽りや仮の自分で繕ってばかりいれば相手にも伝わるしいずれボロが出る。相手にとっては「これ以上の進展を望まない」という意思表示にしか見えない。

陰口を言われてしまうことは悲しい。
本当はそう思っていたんだとショックを受ける。優しく接してくれていたのは建前だったのかと落ち込む。
なんでもないと言われることは怖い。
仲良いと思っていた人からのその建前には怯えてしまう。あなたの本音は?と勘繰ってしまう。優しく接されることに一瞬戸惑う。

「なんでもない」

これは明るい拒否で、Noの隠喩だ。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?