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【新作落語】松波筑後

※創作企画の応募条件で有料にしてありますが、最後まで無料で読めます。

三題噺  お題 「過去」「見返り」「増えるツンデレ」

世の中に大変なことは数多くございますが、「偉大な人物の後を継ぐ」これは並大抵のことではございません。プレッシャーが掛かる、何かにつけて比較される、あの時代は良かったと言われてしまう…その苦労は尋常じゃあない。それは昔の人も、いや昔の人ほど大変だったようで…。

ここは江戸南町奉行所。町奉行の松波筑後守正春が自室で書を読んでおります。そこへ同心の立間勘吾が慇懃に入って参りました。

勘吾「立間勘吾にございます。お奉行様、お呼びでございましょうか」
正春「おお、勘吾か。よく来た。近う寄れ」
勘吾「はい」
正春「いや、もそっと、近う寄れ」
勘吾「は、はい…」
正春「うむ。そなた、とにかく口の固い男であると聞く。この儂、松波筑後が南町奉行を仰せつかる以前、盗賊に捕まりあらゆる拷問を受けても、一切の奉行所の機密を漏らさなかったと聞く。まことか?」
勘吾「はい。その事でしたら、火責め、水責め、石抱、鞭打ち、筆みみず、あらゆる拷問に耐え忍びましてございます」
正春「最後の筆みみずとはなんじゃ?」
勘吾「盗賊どもがよってたかって体中を筆でくすぐり回るという身の毛もよだつ拷問でございます。これにはさすがに口を割ろうかとも思いましたが、どうにか耐え切りましてございます」
正春「…おぬし、それは口が固いのではなく、身体の作りがおかしいのではないか?」
勘吾「いえ、おかしゅうございませぬ。責め苦に耐えきれたのは、全ては奉行所の、ひいては御公儀のためにございます」
正春「それを聞いて安心した。ではこれから儂が申すこと、くれぐれも、くれぐれも内密にな…」
勘吾「承知仕りました。たとえ筆みみずでも…」
正春「それは例えに出すな、心配になるではないか。…実はな、今日もこのような落首が奉行所の門前に掲げてあった」
勘吾「拝見いたしまする。…“松の木の並みたる見れば大岡のかれを見送るときぞ哀しき”…意味がわかりませぬな」
正春「いやいやそのままの意味であろう。つまりだな、この松波筑後守の奉行としての働きは並である、以前の優れたる奉行が懐かしく思い出されると、こういう落首じゃ」
勘吾「以前の奉行と申しますとそれは…」
正春「もちろん大岡越前守忠相殿じゃ」
勘吾「あ、そりゃあしょうがない!(言った後、しまったと思う)」
正春「しょうがないよなあ~。いや、気にせずともよいよい。あれだけ名奉行の名をほしいままにして、二十年も勤められた大岡殿じゃ。そりゃあ儂より大岡殿の方が良いわ。のう」
勘吾「いえ、そのようなことは…」
正春「儂も大岡殿とは長年御公儀の仕事を共にしてきたが、あのような才気あり人望ありの偉丈夫は他に見たことがないわ。歳も儂よりずいぶんと若く容姿とて涼やかじゃ。のう」
勘吾「いえ、筑後守様も、様々な奉行を歴任された立派な御方…」
正春「儂などはただの枯れススキよ…」
勘吾「いえいえ立派な松食い虫かと」
正春「松食い虫じゃと!?」
勘吾「ああ、いえ立派な松並木かと」
正春「…まあそこでじゃ勘吾。儂はこれまで、公平な裁きをしてきたつもりじゃが、江戸の庶民の欲する奉行としての何かが足りぬ。それを大岡殿の行ってきた裁きから学びたいと思うた」
勘吾「大岡裁きから、松波様が、学ぶと」
正春「うむ。儂もこれまで大岡裁きが評判なのはよく知っておるが、甲府に赴いての仕事も多かったので、その仔細はわからぬ。しかし与力に聞けば今度の奉行は大岡様の猿真似をしようとしていると侮られるやも知れぬ。なればこそ、口が固く小身のおぬしに聞きたいのじゃ」
勘吾「なるほど」
正春「どうじゃ、勘吾よ。おぬしも十年は大岡裁きを間近で見てきたのであろう。江戸庶民にすこぶる評判の良かった裁きをいくつか教えてはくれぬか」
勘吾「承知仕りました。それがしの覚えている限りでは…あ、こんなことがございました。ある木綿問屋の手代が南蔵院の地蔵の前で居眠りをしている間に、木綿をごっそり盗まれるということがございまして、番所に駆け込んで参りました」
正春「なるほど。それは慣れた手口なので下手人は複数、盗賊団が付け狙っていた疑いが強かろうな。当の木綿が出てくるまで付近を虱潰しに当たるしかあるまい。質草にすることもあろうからその旨触れを出して…」
勘吾「いえ、大岡様は、まず地蔵を召捕りましてございます」
正春「じ、じ、地蔵を!?なんじゃあそれは!?」
勘吾「いえ、これは話せば長うなりまするが、その縛られた地蔵を見物に来た野次馬の中から、見事に盗人を割り出してございます」
正春「地蔵を召し捕れと言うた時点で頭がおかしいと思うて与力が止めるであろうが!」
勘吾「まあ…そこはそれ、大岡裁きでございますれば…。江戸を騒がした大盗賊団も一網打尽にございました」
正春「わからぬ…実にわからぬ…ほ、他に、評判の裁きはあったか」
勘吾「そういえば、こんなこともございました。ある左官の男が三両の入った財布を拾い、落とし主である大工の男に届けたものの、男は“一度落としたものは受け取れない”と言い張り、二人は受け取れ、いや受け取らないの大喧嘩」
正春「なんという面倒な者たちじゃ。そんなことも大岡殿が裁いたのか?」
勘吾「はい。大岡様は、まず奉行所が一両を出し…」
正春「待て待て待て!なんで奉行所が一両出さねばならんのじゃ!」
勘吾「まあ…そこはそれ、大岡裁きでございますれば…。一両加えてそれぞれ二両ずつ受け取り、三方一両損、これにて一件落着…と」
正春「少なくとも儂の気持ちは落着せぬわ。なぜ奉行所が好んで損をする。これが大岡裁きか…とんとわからぬ。とても儂の及ぶ所ではない。いかが致したものであろうかのう…」
勘吾「松波様、それがしのような若輩では人々が欲する人情の機微というものがどのようなものかわかりまぬが、それがしの祖父・勘十郎であれば、何か存じておるやも知れませぬ」
正春「ほう。そなたの祖父であるか」
勘吾「はい。父は亡くなりましたが、祖父はいたって元気。当年取って八十八歳にございます」
正春「おお、儂よりもずいぶんと年長なのだな。何か人情というものについて学ぶところがあるやも知れぬ。どうじゃ、奉行所に呼んではくれまいか。話を聞きたい」
勘吾「はい。明日にでもお奉行様の下へ参るよう、帰って伝えまする」
正春「うむ。勘吾よ、大儀であった。ではこの件は、くれぐれも内密にな」
勘吾「承知仕りました。たとえ筆みみずの責めに逢おうとも…」
正春「だからそれはよい。心配になるではないか」

さて翌日、勘吾の祖父の勘十郎が奉行所にやって参りました。

勘十郎「立間勘十郎にございます」
正春「うむ。奉行の松波筑後じゃ。よう参ってくれた」
勘十郎「…はて?」
正春「よう参っくれたと申しておる」
勘十郎「近頃耳が遠くなっておりまして、恐れ入りますが、もう少し大きなお声でお話いただけますか」
正春「おお、そうか。では大きな声で話す故、お主ももそっと近う寄るがよいぞ」
勘十郎「はい。おありがとうございます(存外機敏に動く)」
正春「ずいぶんと近いな。まあよい。そなた、今年で八十八になると聞く。壮健でなによりじゃの」
勘十郎「もうそろそろ死にまする」
正春「そのようなことを申すでない。心配になるではないか。まあよい。話の大筋は勘吾から聞いておろうな?」
勘十郎「はい。この老いぼれの狭い了見でも構いませぬなら…」
正春「うむ。そなたの話が聞きたいのじゃ。儂には何が足らぬのであろう」
勘十郎「恐れながら…筑後守様は…いささか…」
正春「いささか?」
勘十郎「お顔が怖うございます」
正春「顔!?顔じゃと!?顔がまずいと申すか!?」
勘十郎「いえいえ、お顔がまずいのではございませぬ。厳かに過ぎると申しましょうか。筑後守様はかの高名な斎藤道三入道のご子孫と承っております」
正春「おお、いかにも。それと関係があるのか?」
勘十郎「はい。道三入道といえば油売りから美濃一国の領主となられた御方。その猛き戦国英傑の御家柄が、お顔を厳しくさせておるものと思いまする」
正春「ううむ…。たしかに祖が道三入道であることに誇りは持っておるが、儂は末期養子として松波家へ入ったのじゃ。斎藤道三と血そのものは繋がっておらぬぞ」
勘十郎「いえいえ、血は繋がっておらずとも、御家をお継ぎになったからには、気が乗り移りまする。そうすると、お顔も段々と変わりまする。」
正春「気が乗り移ると申すか…」
勘十郎「時には道三入道御自らの魂が宿られて…」
正春「いやいや、そのようなことはあるまいが、ううむ、しかし儂の顔は怖いか。戦国ならばいざ知らず、今は太平の世であるからな、庶民が馴染めむのもむべなるかな。しかし顔は変えようがないのう…」
勘十郎「お奉行様、怖いお顔には怖いお顔なりの人心の掴み方があろうかと思われまする」
正春「おう、それはいかがしたらよい?」
勘十郎「では思いっきり、怖いお顔をしてくだされ」
正春「そのようなことをしたらますます人心が離れるではないか」
勘十郎「構いませぬ。さあ、怖いお顔を」
正春「(怖い顔をする)こうか?」
勘十郎「もっと」
正春「(さらに怖い顔をする)こ、こうか?」
勘十郎「もっと!」
正春「(すごく怖い顔をする)こうかああ!」
勘十郎「結構でございます。では今度は、お優しい顔を」
正春「優しい顔?こうか(優しい顔をする)?」
勘十郎「もっと」
正春「(さらに優しい顔をする)こ、こうか?」
勘十郎「もっと!」
正春「(すごく優しい顔をする)こう…かのう?」
勘十郎「結構でございます。お奉行様、この呼吸でお裁きをなさいませ」
正春「それはどういうことじゃ?」
勘十郎「怖いお顔のお奉行様がさらに怖いお顔でお白州に臨めば、大抵の者は震え上がりまする。そこで一転、優しいお顔になって温情のこもったお裁きをなされば、その落差に人は感動を覚えましょう。冬が厳しいほど春の陽光が暖かく感じられるのと同じにございます」
正春「なるほど、落差か。これは良いことを聞いたぞ。礼を申す勘十郎」
勘十郎「勿体ないお言葉でございます。人は過去を無闇に懐かしむもの。お奉行様もあまり大岡様とお比べになって気に病まれませぬよう」
正春「うむ。承知した。勘十郎よ、いつまでも壮健にな」
勘十郎「もうそろそろ死にまする」
正春「だからそのようなことを申すでない。心配になるではないか」

そんなこんなでアドバイスを貰った松波筑後守は一生懸命に表情の練習を致しまして、ギャップ作戦に打って出ることに致しました。

正春「河内屋甚右衛門、表を上げい」
河内屋「へ、へい…(顔を見て萎縮する)」
正春「その方、平川の護岸普請を請け負う際、入れ札の額を山崎屋、日野屋と示し合わせ、その見返りに両店へ金子を授受したこと相違ないな」
河内屋「ま、間違いございません…」
正春「天下の普請を請け負う者が己の欲得のために談合するとは何事か!」
河内屋「ひいい、どうか、どうかお許しを!」
正春「うむ。しかし河内屋よ、そなたが常日頃真面目に商いをやっておるのは存じておる。此度のこと、おそらく魔が差したのであろうなぁ」
河内屋「お奉行様…」
正春「過料三百両を命じる。これからは心を入れ替えて励むが良い」
河内屋「ははあ~」

と、このように硬軟取り混ぜたお裁きは次第に評判になってまいります。あれ?松波様は怖いようで、実はそうでもない御方だぞ…と。そうすると本人もノリにノってくるものでございまして。

正春「無宿者・健吉、そなた両国の屋台にて店主を脅し、金二両を奪い取ったこと相違ないな!」
健吉「ひええ…申し訳ございません!」
正春「なんという卑劣漢!その罪断じて許しがたし!この松波筑後の目が黒いうちは貴様のような畜生道に堕ちた悪党は一人たりとも生かしてはおかぬぞ覚悟するがよい!」
健吉「ひ、ひいいいいお助けを!お助けをぉぉ!」
正春「ところで健吉、生まれはいずこぞ」
健吉「じょ、上州の山奥にございます…」
正春「うむ。家族はおるのか」
健吉「母親が一人おりまする…」
正春「おそらくそなたの身を案じておろうなぁ」
健吉「うう…おっかあ…ううう…すまねえ…」
正春「健吉よ、本来なら重罪であるが、今回は江戸所払いと致す。心を入れ替えて上州に戻り、炭でも売って、そして母親に孝行を尽くすが良い」
健吉「あ、ありがとうございますお奉行様!こんなろくでなしのおいらのために…」
正春「べ、別に、そなたのことを思って裁いたのでは、ないんじゃからな!」

このような松波奉行のツンデレ捌きは評判を得まして当の本人もますます乗り気でお白州に臨みます。そんなある日のこと町方同心が必死に追っていた盗賊・蛙(かわず)の三蔵が引き出されます。

三蔵「(顔を伏せられたまま)チッ、煮るなり焼くなり好きにしやがれ」
正春「盗賊・蛙の三蔵、表を上げええい!」
三蔵「(顔を上げて驚愕の表情になる)」
正春「その方、蛙のごとく跳ね回っては商家の壁を乗り越えて盗みを働くこと十数回、まことにけしからぬ悪行!たとえ天が許しても、あ、この松波筑後が、許しは~せ~ぬ~ぞぉぉ~!」
三蔵「(白目を剥いて固まっている)」
正春「…ん?どうした?蛙の三蔵、泡を吹いて固まっておるではないか!これ、助けよ!いかがした、三蔵!何をそのように怯えておる。そなたは打首にはせぬ。遠島じゃ。これ、しっかりせよ。心配になるではないか」
三蔵「ああ…あっしは…昔から…大の苦手なものがありまして…」
正春「それがいかがした?」
三蔵「お奉行様のお顔が…でけえマムシに見えました」


(終)


【青乃屋の一言】
これは「心灯杯」という創作落語のnote企画に参加するために書いたものです。たくさんの人がお題に沿って噺を作るとても楽しい企画です。今回は【過去・見返り・増えるツンデレ】という三題噺なので、あまり誰も書かなさそうな時代物のお白州を舞台にしてみました。
松波筑後守正春という人物が大岡越前の後任に南町奉行に就いたこと、斎藤道三の子孫を称したことは事実ですが、後はもちろん創作です(笑)実際には高齢になっても奉行を勤めて在職中に亡くなってますし、非常に有能な人だったのでしょうね。



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