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読書録📚共有地をつくる

共有地みたいな家を作りたいな。
と考えていたところ目に止まり、読んでみました。

「共有地」は、

自分の私有しているものを、他者と共有できるような場所。

行政による社会的資本でもなく、村の共同洗い場のような共同体の共有財産とも違う。

日本が貧しかった時代に、味噌や醤油の貸し借りをしていたように、わたしたちが所有しているものの「所有格」を解除して、同じ場所に集まる他人にちょっと貸してあげられる「場」であり、他者が喜捨してくれたものを自分も借りられる「場」です。

本書より

縁側
とも表現されていました。

***

みなさんは、"他者と共有している"もの(場所)はありますか?

いらなくなった椅子を軒先に置いて、
ご自由にお座りください
みたいなそういうもの。 

何かあるかな、と考えてみると

自由に行き来していた友達の家、
友達と共同購入したゲームソフト、
ジモティー、
noteも?
うーん…

確かに、
余った野菜とか
いらなくなった家具・家電
子育てグッズとかが
各家庭の軒先に置いてあったり、

個人個人が喜捨し合いながら助け合えば、
新しい世界が開けるんだろうか…?

個人個人が今"所有"しているものを、
"共有"にしていくとどうなる?

想像してみる。

軒先に不要なものを置いておく。
「ありがとう!」と持って帰る人がいるだろうか?…微妙かも🤔
(もらってくれる人がおらず山盛りになっている支援センターに寄付された子ども服を思い出した)
鉄くずとかなら売れるから、置いておいたらいつかなくなるかも。けど換金されちゃったら、資本主義の元の木阿弥ですね。

喜捨はなかなか馴染みがない。
突然「お金ください」と言われて、「はいどうぞ」となるかな。
そしたら、各家庭のいらないお金をどこかにプールしておく仕組みがあればいいのかな。
…集まらなさそう。

じゃあ、家を開放して
「お好きにお使いください」
ってできる?
家のなかのものを全部持っていかれてしまったらと思うと、なかなかできない。。
みんながそうしているなら話は別かも。
そんな状況なんてありうる…?

「所有」の概念が強く働き過ぎて、なかなかうまくいってるイメージができませんでした。

共有地みたいな家にしたい✨
これもお花畑の妄想に過ぎないなと思いました😅

せいぜい余った駐車場を、お好きにお使いくださいと言えるくらい…(スケール小さっ)

人を招いておもてなししたり?(これも"所有"の域を越えない…)

↑筆者の運営している共有地。
"喜捨"で成り立っているそう。

***

なんだか共有地をつくる、というところから、脱資本主義!方向に話が逸れていきましたが、以上です。

なんだか、自分の資本主義的思考の根強さを痛感させられました…。

ちなみに、著者は私有財のすべてを会社の負債の精算にあてた過去もあるようです。
そんな筆者だから見える境地が本書で垣間見えたような気がします(といって差別化して自分を正当化する…)

私たちは欲しいから集めるのではなく、
集めるから欲しくなる。

ほんとそうだなと思います。

今ある貯蓄を全部捨てられるか?
うーむ。

お金をどんどん使う?
資本主義の拡大に加担してるだけなのかも。

少しずつ喜捨していくしかなさそう🙄

家については、共有地とかごちゃごちゃ考えず、シンプルに居心地良い家にしよう。(結局ここに着地)

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