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「月」のポジは「イナズマ」だった

『愛にイナズマ』(2023年製作/140分/G/日本)


松岡茉優と窪田正孝が主演を務め、「舟を編む」「茜色に焼かれる」の石井裕也監督がオリジナル脚本で描いたコメディドラマ。

26歳の折村花子は幼少時からの夢だった映画監督デビューを目前に控え、気合いに満ちていた。そんなある日、彼女は魅力的だが空気を読めない男性・舘正夫と運命的な出会いを果たす。ようやく人生が輝き始めたかに思えた矢先、花子は卑劣なプロデューサーにだまされ、全てを失ってしまう。失意の底に突き落とされた花子を励ます正夫に、彼女は泣き寝入りせずに闘うことを宣言。花子は10年以上音信不通だった“どうしようもない家族”のもとを訪れ、父や2人の兄たちの力を借りて、大切な夢を取り戻すべく反撃を開始する。

花子の父・治を佐藤浩市、長兄・誠一を池松壮亮、次兄・雄二を若葉竜也が演じる。

石井裕也監督は『月』を観て同時にこんな映画を撮っていたのかと興味を持った。

月が現代社会の日本の闇を映しているのなら、『愛はイナズマ』はポジティブな世界、家族愛が存在する社会を撮っている。

悲劇と喜劇を同時に撮れるなんて器用な監督だ。いや『月』のネガティブさに『愛のイナズマ』を撮らければやっていけない監督の姿だったかもしれない。

映画の中で主人公の花子がさかんに言う「嘘のない本当の世界」とは何か?文学でも「本当のことを言おうか?」が一つのテーマとして成り立つのだ。それは社会の闇の部分、つまり『月』で描かれている日常だと思うのだが、その映画あっての『愛のイナズマ』なのだ。愛という虚構を信じたい監督の気持ちなのかと思った。そこにある家族愛は映画の中の出来事だけど。

興味深いのは父親役の佐藤浩市だった。かれの父親は三國連太郎で映画の中の父のようにどうしようもない父だっただろうけど最高の役者だった。その三國連太郎出演映画で遺骨を海に撒くシーンがあった(『復讐するは我にあり』かな?ちょっと。うろ覚え)。そのシーンとラストが重なるのだ。他に仲野太賀、父・中野英雄と親子共演もあったという。

家族映画の古典ともいうべき小津安二郎のこだわりが色のこだわりだった。まあ、モノクロ映画時代の監督だが初期のカラー作品は小津カラーと呼ばれたほどの小津独自の色を出す監督だった。小津の色は朱色なんだが、赤にこだわる花子がなんとなく理由もないと言って言っていたが映画ファンだったら、そのぐらい察するよな。あの助監督はそれも察しないのか?と思ったりして、そういう映画世界の駄目な部分も見えてしまう。

例えばプロデューサーの企業体質だとか。映画と心中するようなプロデューサーは今世界いないのだろうな?それが映画界が保守的になっていく構造なのだと思う。まあヒット作を生み出せば誰も文句を言えないのだろうが。

そういう強みが石井裕也にあるかもしれない。『愛にイナズマ』は繋ぎの映画かもしれないが、今ときめいている俳優を使っている。まず松岡茉優をヒロインに据えたのがこの映画の大きなポイントかもしれない。彼女は喜劇も出来るコメディアンヌかもしれない。

共演者もけっこうミニシアター系映画ではお馴染みの役者ばかりで、よく集めたなという感じだった。そんな中に朝ドラで活躍中の趣里がいたりして、彼女の役柄はナイスだった(ドコモショップのお姉さんかな?)。

本当のことを撮りたいのに嘘の世界(フィクション)を撮る。事実と真実は違うのだとどこかで言っていたようだが、監督の中にある「愛」という、それも家族愛というフィクションなんだろうと思う。フィクションでもイナズマのように一撃を与えられればいいのかもしれない。

ハグするシーンだよな。嘘っぽいけど。


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