マガジンのカバー画像

父を介護してるわけじゃないけど。

6
運営しているクリエイター

記事一覧

0520「あとをひくんだよなあ」

このところ、相方が将棋の相手をしてくれるというので、お父ちゃんのところにはもっぱら二人で出向いていたため、先週末久しぶりにひとりで行くと、なんだか忘れものして来てしまったという感じがした。 こうさんはどこ? お父ちゃんも当たり前のように聞いてきた。 今日は仕事(ほんとは麻雀仲間との月一の定例会)。 そう返すと、もう相方のことなど忘れたように、パンおくれと手を差し出す。 認知症が少しずつ進んでから、父はよく聞く話そのまんまに食べものに執着するようになった。それも、

0224「ただ“いる”だけで誰かを救うということ」

昨日ちょこちょこっとツイッターに呟いて、気づいたことの補足。 中学受験を控えた小5の長男、小4の長女、小2の二男を育てながら、母は、自宅で寝たきりの義父を介護して看取った。 家事育児を一切手伝わず、休日はゴルフに明け暮れた父。時には自宅に友達を集めて朝まで徹マンしてたこともある。 そりゃ、母も苛つくよね。イライラがどう影響したのかはまた改めて書くけど、今さらのように、あの時どうすれば母が楽になれたのかな。 最近、そんなことを考えてしまう。 母が当時そうしたよう

0223「“不在”の存在がわたしを変える。そして今年も春が来る」

母が、お正月明けの底冷えする時期に、最後の入院で、苦しみもがきながらも「生きたい」という希望を持ち続けて頑張っていたとき。 「もうすぐ春が来るよ。今はまだ寒いから、しっかり治療をして、暖かくなる頃に元気になったらいいね」 「そうね。春が来る頃にはきっと元気になれるわよね」 よく母とそんなやり取りを繰り返した。 その頃には、急性期の病院で、何度も担当医に呼び出されながら、もう余命いくばくもないと聞かされていたのだけれど。 母は春が来る前の、2月の第一日目で逝ってしまった

0222「すまんね、父よ」

インフルエンザに罹患した父が暮らすホームから、兄経由で平熱に下がったので、ひとまず救急搬送的な心配はない、という連絡が入る。 という前から、 「今日くる?」 何度もそんな着信があり、声に少し力が入っているので、まあ大丈夫だろう。 もう、父のこうした体調のことでは、あまり動じない自分がいることに気づく。 彼は非常にタフだ。根源的な生命力の強さを感じる。脳梗塞で半身麻痺になっても、脳血管性認知症が進んでも、おそらくアルツハイマー型認知症を併発していても、そもそも高次脳機

0220「どきどきさせるぜ」

昨日のお昼の12時頃を最後に、父からの鬼着信がぱたりと途絶えた。 インフルエンザでさすがにしんどいのかな、寝てるのかな…と思っていたが、結局、夜になっても一度も電話がない。 いや、喜ばしいことなのだ。本当に着信連打はこちらの精神が疲弊してうんざりするので。 とはいえ、鬼娘であっても、やはり少しは心配になってくる。 父の毎朝の電話はこんな感じだ。 これが1時間早いときもあるし(早朝5時からバイブが震え続ける日はキレそうになりながら、意地でも取らない)、多少の時差はあるけ

0219「認知症の父からの鬼着信のこと」

老人ホームで暮らしている父からは、日々、着信連打。 多い日は30回ほどで、ほんとに時々、まるで無風のように着信がない日もあり、生存に不安を感じることもあるほど、とにかく電話を掛けてくる。 うちの父は17年ほど前に脳梗塞で倒れて以来、半身麻痺の後遺症が残り、昨年あたりから認知症の傾向が見られて、アリセプトを処方されるようになった(いまは飲むのをやめている。アリセプトについてはまた改めて)。 怒濤の電話攻撃は認知症の症状なのか、もともとの性質が強く出ているのか、正直