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ひどい朝食だな

 急にすべてのことが嫌になって、あらゆるすべてを投げ出して都会を離れたくなることが、たまにある。その欲求に忠実に従い、そうなったときはできるだけすぐにそうする、というのは気が狂わないで東京で暮らし続けるための秘訣、と言っても過言ではないかもしれない。そういうことを考えると、バイクと免許があって本当に良かったと、俺はいつも思う。昨日の深夜二時に、職場から帰宅するタクシーの窓から東京タワーが見えた。上の方が消えていて、下は赤く明かりが灯されているという変わった光り方をしていた。昨日の夜中にやっと納品を済ませた今回の仕事のデータだが、万が一のことが有った場合に備えて本来は翌朝である今朝くらいまでは待機しているべきであるということになっていたが、連日のほとんど徹夜に近い勤務にうんざりしていた俺は、この際それは無視してしまうことに決めた。家に着くとシャワーを浴びて、睡眠は向こうで昼寝でもすることにしてアラームをセットして何もせずにそのまま仮眠した。早朝、まだ都市が眠りから醒めきっていないうちに、俺は家を出た。いつも仕事に行くときはあまり寝起きが良くないのだが、こういうときは特別なのだろうか、不思議とスッキリと起きることができた。寒いのはわかりきっていたことだったので、持っている限りの防寒着を着込んだ。九九九㏄のホンダ製エンジンに火を入れて三分待つ。インジェクションになったからといって暖気は怠らないことにしている。まだ薄暗い東京の街に、排気音を響かせて俺は走り出した。家からほど近い芝公園インターから首都高に乗る。それなりの量のトラックが既に走っているが、その量はまだ鬱陶しいというほどは多くはない。レインボーブリッジの向こうに朝日が昇りそうな気配が漂い始めていた。慎重にトラックや乗用車を追い越しながら道を進める。なんとなくレインボーブリッジを渡りたい気がして、羽田線ではなく湾岸線を通っていくことにした。浮島ジャンクションから海底トンネルに潜るころには随分と空も白くなっていた。アクアラインは走りやすいので嫌いではない。馬鹿みたいな道路だと思うときもあるが、とにかくまっすぐなので、警察と運転がヘタなドライバーにだけ気をつけてさえいれば、好きなだけアクセルをあけることができる。サーキットを走ることもあるので俺のバイクはリミッターを解除してあって、まだ車がそう多くないアクアラインをあられもないスピードで走り抜けていたら、あっという間に海ほたるを過ぎて、地上に出ていた。ちょうど木更津の街の向こうに朝日が登ったところで、ほとんど正面に近い方角から差し込む光りが眩しくて、料金所を過ぎたところで俺は路肩に泊まってサングラスをかけた。グローブを外した手がウエアの外側に触れて、その冷たさに声を上げそうになった。風を切り続けていたウエアは驚く程に冷えていて、さまざまな化学繊維のお陰で身体はそこまでは冷えてはいなかったが、道理で寒いわけだ、と妙に納得した。そのまま、東京に比べるとだいぶ長閑な道路を、それなりのペースで流して、まださっき東京をでたばかり、というような気持ちの間に、ひとまず目的地としていた漁港に着いた。そこは、このあたりによく来る友人の間でも、決して評判が良いとは言い難い施設だったが、風呂に二四時間いつでも入れるという点に惹かれて、つい使ってしまうことが多い。炭酸ガスを水に混ぜた風呂で、天然の温泉ではないのだが、サイダーの湯だとかそんなような名前で営業している。朝食の提供が七時からなので、その調整も兼ねて、ゆっくりと風呂に浸かった。なんでもない平日の朝だったが、思いの外、利用客がいた。駐車場にあった車のナンバーを見る限りだと、県外のナンバーも多く、熟年夫婦の旅行、というような雰囲気の客が多かった。おじさんとおじいさんたちの一緒に俺は頭を空っぽにして湯船に浸かった。ふと浴槽をみると、水面には湯垢がたくさん浮いている。きったねぇ風呂だな。心のなかで愚痴る。炭酸ガスの湯は温度が控えめになっていたが、もう一つの小さな浴槽は、ただのお湯だが少し高めの温度になっていた。その湯にすこし長めに浸かっていたら、早朝の冷気で冷えた身体も、いつのまにか芯まで温まった。その施設では朝食の提供があるのだが、覚悟はしていたのだが、ひどい朝食だった。まず、朝食なのに刺身付きの千円のセットしかメニューが用意されていない。給茶機のお茶は不味いし、給仕のおばさんも信じられないくらいに愛想が悪い。昔は六百円くらいの朝食セットもあったのだが、もうここ数年はその千円のメニューしかないらしい。朝食で千円ねぇ、朝から刺身ねぇ、などと来る度に思うが、他を探すのも面倒だし、朝からやっている店というのはとはいえ貴重で、結局いつも、ここで朝食も済ませてします。味噌汁は煮詰まって塩辛く、塩サバも驚くほど不味かった。焼いたサバというのは、よほどの間違いが無い限り美味しく食べられることが多いものだが、ここの塩サバは、塩が多すぎるし、生臭いし、このクラスのものはなかなか食べることができないだろうというくらいに不味かった。さらに、生卵がついているので、一通り納豆や刺身やサバと一緒に白米を食べたところで、ご飯のおかわりのことをおばさんに聞いたら、別額で一五〇円を請求している、とめんどくさそうに告げられた。美味しいお米とは言い難い白米だったし、一五〇円という金額ではなく、なにか追加でお金を払ってまでここで白米をお代わりすることに抵抗を覚えて、結局、お代わりはしなかった。刺身だけは、辛うじて、美味しかった。朝から刺身は食べたくなかったと思いながらも、刺身が美味しいことだけが救いの朝食だった。それでも、東京から百キロ近い距離を離れた寂れた街に用もなく来ている、というのは悪い気分ではなかった。たぶん、またしばらくしたら、同じように文句をいいならがらこの場所で、朝食を食べている未来があるような気がする。物理的な距離というのは、時として、とても大切なものなのかもしれない。そう思うことがある。(2018/01/09/21:37)

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