生と死の苦悶1
今日は朝から腰が痛くて、前生理痛かなと考えていた。陣痛にも前と後があるらしく、私は後に悩まされたクチだった。
しかしふと思ったのは、なぜ出産には痛みと苦しみが伴うのだろうかということ。私達人間の倫理観としては、出産は善とされている。にもかかわらず、妊娠中から、出産、育児と、大変だとされることが目白押しである。
そもそもなぜここまで女性が苦難を乗り越えていかなければならないのだろうか。
ある宗派の言い伝えでは、女人の罪というものがあって、そもそも女性は前世で重罪を犯したため、今世であらゆる苦しみを乗り越えて、ようやく解脱できる、というもの。女であること自体が罪深い、というような考え方もあったくらい。
でも結局これもこじつけに過ぎないと私は思う。女性であることが罪深い、と言いながら観音様なんてのもあるわけで、考え方ひとつで神様にも底辺にもなり得るこの世界。あまりに無常だなあと。。。
ここで私は一つの仮説を立てました。
出産に痛みが伴い
子育てにも痛みが伴い
また
死を迎えるに当たっても
苦痛が伴う理由。
それは、もともと肉体を持ってこの宇宙に生まれることが試練であるから。
仮に、魂が存在してこの地球を離れると魂だけの存在になるとして
「地球道場に修行に行きます」
と、自分が決めて来たとして。
修行とはいえ、苦難だけではなく、幸せという体感を得るのもまた修行でありこの地球でしか得られないものを、日々この地球で得ている。
そのために、私達は肉体スーツをお借りして、苦難と共に生を授かる。産んで下さりありがとうございますというのはそこにある。
親子だから
という甘えはそこに存在していない。ただ、痛みを伴いながら地球に送り出してくれた存在。感謝なのである。
そこに痛みが伴うのは、人間がこの地球には要らない存在だということ。
「要らない存在!?そんなまさか。私達はこの地球にどれだけ役立っているか!!」
と、思う人がいたら、手を挙げてください🫵
こんな傲慢な考え方ができるのは、まさに
人間が不必要であるという証に他なりませんね😆wwwwwwwwww
だって。
この地球にとって、人間は何も良いことをしていないんです。言ってみれば、
田舎に泊まろうバリのずうずうしさでいきなりあるお宅の門をたたき、「こちらのお宅で修行させてください!!」と言っているようなもの。
そのお宅としては、いきなりきてそんな事言われても…って話です。まあお宅であれば、
じゃあ草むしりしてほしいとか、畑仕事手伝ってよ、とかいう話になるだろうけど、それはそのお宅に需要があるからできることであって、
例えば何不自由がないお宅にしてみれば、
「あなたは要らないです」となりますよね。
これはあくまでお互いの利害関係の話ね😊
で、ここで登場するのが「愛」ですね。
やっと登場しました🙋♀️この地球は一体何なのか!?というのが明らかになるのですね😊
つまり地球は愛そのものである
という前提があって、私達は今ここに存在できるということですね。
なぜそうなるのか、というのはまた後ほど🙋♀️🙋♀️🙋♀️
もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)