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介護士の未来。

誰も、介護士の世話になんかなりたいと思わない。自分のことが、自分でできなくなる日のことなんて誰も考えたくない。
病気とは、少しだけ違う。生まれてから全く病院にかからないという人は、この地球では少数派だと思う。だから、医療とは少し違う場所にある。だれも、介護を受けることなんて考えたくないのだから。

でも、病院のない国、地域があるように介護という概念自体がない場所もある。それが良いのか、悪いのかという判断を、私たち人間の思考が判断するにはあまりにも大きいと思う。
下手すると、今の医療そのものが否定されてしまうかもしれないのだから。
だけど、最近在宅医療に関心を持つ医師が、発展途上国の医療の在り方を学んで、地方医療へ活かしている姿をよく目にする。
そんな中で、私たち一般人でもよく感じることができるのは
「医療は絶対ではない。それが前提としてある」ということ。だから、老衰という概念に対しても大らかだなと感じさせてくれる。

一日でも長く生きたいと思う。その根底を見つめてみると、なにかやり残していることがある人が多い。
その、なにかやり残しているものは人それぞれ違うけれど、でも、国や文化が違ったとしても、そういう人たちの意識というか、その根底にあるものって共通しているような気がする。それ自体に対して医療ができることってホントに皆無といっても過言ではない。その、医療従事者のジレンマを、ものすごく私は感じる。
ただ、そんなものは正直うざったいだけで、あるがまま生きている人達は、本当に美しいと感じる。それが直接介護しやすいか、介護が不要になるかってことにも関係ないとは言えない。でも、
一介護士として思う。

どうして人は、自分が介護を受けるだなんて全く思いたくないはずなのに、それなのに、介護を受けることが当たり前になる思考をしてしまうのだろう。
今というこの瞬間の連続。
そのなかで、なにかにとらわれ続けてしまうことが
死と生への呪縛になっているのだ・・・・と。

そして、だれも介護士の世話になんてなりたくてなる人は居ない。
だから、介護士の未来なんて・・・・

なりたくない。だからこそホントに必要な人だけのためのものであってほしい。本当に必要な人に、きちんとした介護が提供できるためにも
介護士の未来を、みんなで考えていくべきなのではないだろうか。

介護保険料を払っている皆さんに、改めて考えてほしい。
だからどうしろということは私にはわからないけれど。
世の中の、あらゆる施設で働く介護士が月にもらう賃金。
それは、手取りで20万もいかないことが殆ど。
介護ビジネスと呼ばれる世界で稼いでいる人たちは
現場の一線で動く人たちのそれにはほとんど関係なく過ごしていて
現場の人出がないのは、そこに市場のお金が流れていかないから。
介護という仕事そのものが嫌になって辞めていく人も少ない。
その苦労の中で、子育てをし、家庭を持っていくこと。
それを今の若い人たちにさせたい。
させるべきなのだと、思う人はどのぐらいいるのだろうか。

私はそれを少しでもなくすために、何ができるのだろう。

介護そのものがこの世界から無くなることも、真に願いつつ。

もっと読んでみたい!という気持ちが 何かを必ず変えていきます。私の周りも、読んでくださった方も、その周りも(o^^o)