ショートショート「ダイアル」


最終電車に乗ると、ほとんど人がいなかった。

だだっ広く空いた席の端に中年の男性が一人、いびきをかきながらぐっすり眠りこけている。

男性の横を通り過ぎようとした時、私は妙な事に気がついた。

男の頭はてっぺんだけ禿げているいわゆるザビエル禿なのだが、なぜか頭頂部にダイアルがついているのだ。

……見ると、円周にそって矢印(←、→)がついている。

なんだ、これは?と思うと同時に、困った事にどうしてもそのダイアルを回したい衝動にかられ我慢できなくなった。

私はダイアルをそっと左に回してみた。

すると、「ボッ」っというような音とともに、なんと、男の頭の周りの毛が3mくらい伸びた。

私は思わず心の中で『ひいいいっ!』と叫んだが、なんとか声は出さずにすんだ。こ、これはまずい。

幸い相手は起きる気配はない。今のうちに元にもどそう。

今やいびきをかきながら眠っている毛の固まり……相変わらず頭頂部だけは禿げている……の中心についたダイアルを急いで右側に回す。

あわてて勢いよくまわした瞬間、勢いあまって回しすぎた。と、思ったがもう遅い。再び「ボッ」という音とともに今度は髪の毛がすべて消え、男性は完全に禿げ上がってしまった。不思議な事に同時にダイアルも消滅した。

その時、ガタンという衝撃と共に電車が停車駅に止まり男性が目覚めた。

男性はきょろきょろ駅を見回すと、『しまった、乗り過ごした』といった様子で急いで電車を降りて行った。

私は動き出した電車の中で、階段を上って行く男性に深々と頭を下げた。『ごめんなさい』

駅の階段を上る心なしか光を増した男性の後ろ姿は、何か神々しささえただよっていた。


(了)

#小説 #ショートショート





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?