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菜食主義と、それに取り巻く価値観について

 自分は四年前くらいに、インドに行った際に実践を始めて、いわゆる「ゆるベジ」とか「セミ・ベジタリアン」という方向でお肉を食べることと付き合っている。
ゆるベジとは何か。基本的に菜食で通すが、状況によってはお肉も食べるという感じだろうか。これも自分がいる環境によってその割合は大きく変動する。

 例えば、2月からインドにいるのだけど、4ヶ月の間にお肉は3回食べた。インドは菜食主義の人が多く、環境的に実践が容易である。
 三回のうち一回は、友人らと食事会があり親子丼を作って食べようという流れになったとき「ベジタリアンなんで!」と主張してその流れに水をさすのを恐れ何も言わなかった。
 ベジタリアンを続けるときの問題点は人付き合いもあると思う。特に日本では菜食を実践している人の数も少なく、そのせいか外食する際、ベジ向けのメニューを提供しているとこも少ない。そういった環境の中にいると、どうしても食べる回数も増えてきてしまう。

そもそも何故、ベジタリアンなのか。
自分が実践する大きな動機になったのは、
「世界中の人がベジタリアンになれば、飢餓問題は解決する」
という情報を見てからだった。そして、地球環境なんかにも優しいし、自身の健康にも良い。(ただし、美味しいものを食べて心が元気になるのであればお肉も健康にいいと言えるのかもしれない)
その他、メリットはいっぱいあるのですが、今回はそのことはメインの話として取り上げないので、興味のある方は調べてみてください。

 自分は自分が完璧なベジタリアン、ヴィーガン(動物性のものを一切取らない人)でないくせに、地球に住む全ての人がそうなればいいと思っている節がある。完璧ではないにしてもそのことを気にかける人が増えることを願っている。
なので、自分が菜食の実践し始めたときは、何も思うことなくお肉を平気で食べている人たちに対して、下に見てしてしまうような感情を抱いてしまうときもあった。
 けれど、自分は今のとこヴィーガンになる自信はない。卵は美味しいし、チーズも食べたい。乳製品を使ったアイスクリームをはじめとする甘いものも好きだ。

 冷静に考えてみると、お肉を食べている人たちに対して自分が動物性のものを頂いてると思うと何も言えなくなってしまう。そういった意味ではヴィーガンはフルータリアンに責められてしまうし、フルータリアンはブレサリアンから文句を言われる可能性がある。(飢餓問題、環境問題の視点からであればそれを実践するだけよいのだろうが。)

 なので、自分はヴィーガンの人をとても尊敬しています。
自然に続けることの出来る人は、思いやる心の半径が広く地球に優しい。

ピーター・シンガーというヴィーガンを実践している哲学者の言葉に
「何か非常に悪いことが起きるのを防ぐことが、それと同じくらい道徳的に重要なものを犠牲にせずに私にできるならば、私はそれを為すべきである」
というものがある。考えさせられる言葉である。

 しかし思うのは、自然にそういった気持ちに、無理することなく変わるかどうか。無理をしても負担が掛かって長く続けるのは難しいだろうし。自分はベジタリアンに挑戦するときにそれが出来たが、ヴィーガンはそうもうまくも行かないだろう。
 これは美味しいものを食べたい、というエゴなのだろう。エゴを認めるのは中々大変なことだが、それらを食べないことが他者や世界の福利へつながるのに、美味しいという理由のみで食べるのはエゴ他ならないと思う。

 日本の状況を見ていると時代の支配的な価値観の中、お肉を食べることに関して、何も思うことが出来ず自分のエゴを自覚することが難しい状況になっていると感じる。
 何も感じることなくお肉を食べている方は、少しでもこのことに関して興味を持ってほしいと思う。何も知らないで行っているのと、それを知ってから自分の行動を自覚し、行っているのは大きな隔たりがある。
 少なくとも自分は後者の考え方に好感が持てる。

 ベジタリアン、ヴィーガンを実践するのは思いやる心を地球、未来、全生物へ拡大するとこなので、スピリチュアルな行為であると言える。

 けども、ベジタリアンやヴィーガンの人たちでも、自分たちが正しい行いをしているからと言って、お肉を食べている人達に対して攻撃的になったり、差別的な眼差しを向けている様子を目にすることも多々ある。
 これはスパイラルダイナミクスという考え方の中のグリーンミームと呼ばれる価値観の欠点のようで正しいことだから!とそれでマウントを取って他者を攻撃するのは、いいことなのだろうか?と問題提起している。
 誰だって、悪気なく生きているところに、いきなりイチャモンつけられたら気分を悪くするだろう。

 また、ベジタリアン、ヴィーガンを実践して、栄養バランスが崩れ、体調を悪くするという話はたまに聞く。幸い自分は今のとこ問題はないが、そういったときは、無理をせずに食べればいいと思う。ダライ・ラマ法王もそういう感じでお肉も普通に食べているよう。

 お肉を食べる人にはまず、状況を知ってもらいたいと思うし、ベジタリアンの人は攻撃的になってまでその意見を主張することはないと思う。

 人間は何が正しいかを知りながらも、それを簡単に実行出来るほど単純で完璧ではない。
 現状、情報を知った上で自分なりの答えを出して、状況に応じて無理のない範囲で実践していくのが大事なのではないでしょうか。

 この問題はネット上などでも常に論争になっていて賛否両論あると思いますが、取り敢えずの自分なりの結論というか、心の置き方が固まってきたので今回文章にしてみました。

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