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【短編】願い事叶えます

「明日、雨、降らないかなあ……」

 駅に向かう道すがら、真っ赤な夕焼けに照らされながら空に向かってそう呟いた”まお”の横顔は本当に辛そうで。どうして彼女が明日の雨を望むのか、僕にはその理由がいまいちよくわからなくて。でもまおが雨を望む理由について僕が理解できていないことをまおに気付かれるのが嫌で、結局、彼女が乗った電車のドアが閉まってしまうその時まで僕は気の利いた事なんて一言も言えず、ただ彼女と目を合わせないようにしながらその顔を見つめることしかできなかった。

「雨。振るのかなぁ……」

 まおの乗った電車が見えなくなってしまってから、僕はイヤホンのボリュームを上げ、空を見上げて小さくそう呟いた。まおの顔を染めていた赤い色に染まった空が僕の目の前に広がっていた。

「夕焼けの次の日は晴れ……だったよね」

 小さい頃聞いたそんな話を思い出しながら、僕は空を見上げ続ける。

「雨、降ってくれないかなぁ……」

 まおが雨を望む理由がわからなくても彼女が雨が降って欲しいと願うのならば、僕はその願いを叶えてあげたい。でもさすがに天気を変えるのは不可能だろう。
 だからせめて彼女が願うことを僕も一緒に願おう。そうすることで理屈では説明できないナニカに対する圧を少しでも高め、彼女の願いが叶う確率が少しでも上がることを信じて。僕にできることはそれくらいしかないのだから。

「はぁ。雨、降らないよね……」

 走り出した電車の中でまおがそう呟く。その姿を瞼の裏に浮かべながら僕が「雨、降るといいんだけどねぇ」と口にしたその時、僕の耳元で声がした。

「雨、降ってほしいんですか?」

「え⁈」
 驚く僕にその声の主はもう一度繰り返した。

「雨、降ってほしいんですか?」と。

 声のした方へ勢いよく振り向くと、目にかかるくらいの長さの前髪を垂らした同じ年くらいの男が僕のすぐそばに立っていた。まじまじとその顔を眺めてみたけれど、どれだけ記憶を辿ってみても目の前の男には全く見覚えがなかった。
 見知らぬ彼の質問に答えようか答えまいか僕が悩んでいると、目の前の彼は僕の方に顔を向けてこう言った。

「雨、降らせてあげましょうか?」

 一体何を言っているんだろう。こいつは。見ず知らずの人間のうっかり口にした言葉に対して、絶対に出来もしないようなことを簡単に口にするだなんて。頭のおかしいやつに違いない。相手にしてはいけない人種だ。僕はそう判断して、その男から目を逸らした。

「こんなに綺麗な夕焼けだもん。雨なんて降らないよねぇ……」
 まおがまた口にする。彼女がなんとも言えない顔で窓の外を見ている姿を僕は思い描く。現実世界での目の前の男の目は、前髪で隠れて見えないにもかかわらず、僕には何かたくらんでいるように見えた。

「雨、降って欲しいんでしょ?」

 目をそらした僕の視界に割り込むようにした男がまたしてもそう言った。表情はハッキリと見えていないけど、僕には目の前の男の目がニヤついているように見えた。気持ちが悪い。全てが気持ち悪い。
 そんな僕の気持ちすら聞こえているかのように、彼はこう言った。

「僕、雨、本当に降らすことができますよ?」と。

 やっばりコイツと関わってはいけない。僕は彼が見えていないかのように視線を固定した。が、しかし、そんな僕にお構いなしに彼はこう続ける。

「怪しまれるのも無理はありません。でもね、試してみてもいいじゃないですか?ねえ。いつきさん?」

 なんで僕の名前を知ってるんだ。僕はコイツのことなんて知らないのに。気持ち悪いを通り越して気味が悪い。僕は彼の存在に気がついていないフリを続けることに決めた。

「彼女の願いを叶えたいんでしょう?僕ならその願いを叶えてあげることができますよ?いや、むしろ、その願いを叶えるよりも、あなたのその状況をより良いようにして差し上げる方がいいでしょうか?しかし、あなたはそれよりも彼女の願いを叶える方が重要だと答えるでしょうけどね。でもね、僕は誰のどんな願いでも叶えることができるんです。これは嘘でもなんでもなく、本当に。あ、もちろろん対価はいただきますよ?でもね。嘘みたいなことが起こるんだからそれくらい当たり前ですよね。で、本題なんですが。明日、雨を降らすことも出来ますけどどうします?いらないならまぁ、別に。それでもいいんですけど」

 熱心に売り込んできていたのに最後の最後で投げやりな態度。そんな彼の豹変具合に思わず僕は彼に視線を向けた。

「彼女、明日雨が降って欲しいんでしょ?僕なら降らせてあげられますよ?」

 そう言って彼はニンマリと僕に向かって微笑んだ。僕は思わず彼と視線を合わせるとこう答えた。

「いや。でも。そんな」
「雨、降らせたいんでしょ?」
「降らせたい……ですけど……」
「じゃあ降らせちゃえばいいんですよ」
「でも。そんなこと不可能でしょう」

 そんなやりとりをしている僕の耳にまおの声が聞こえてくる。

「雨。降ってほしいなぁ……」

「彼女は雨を望んでいるんじゃないんですか?」

 確かに彼の言う通り。明日、雨が降ればまおが喜ぶ。それは僕にとってもとても喜ばしいことだ。しかし、さっき彼は願いを叶えるためには『対価が必要』だと言った。

「確かに明日、雨が降ったらいいなと僕も思います。でも、僕、そんなにお金持ってませんよ?バイトだってしてないし。小遣いだって少ないし」

「お金なんて要らないです。ただちょっと。ほんの少しだけあなたのこころを分けていただければそれで」

「こころ……ですか?」

「ええ。こころです」

 こころを分けるとは一体どういう事だろう。こころ。ココロ。こころとはやっぱり心のことなんだろうか。

「ちょっと待ってください。こころをあなたに分けることで、僕になにか不具合とか起きたりしないですよね?」

 あるかどうかもわからない、見えないものを分け与える。だからこそ、その後どういった影響があるのかさっぱり見当がつかない。
 もしかすると何も起こらないのかもしれない。だって、ほんの少しだけって彼は言ったのだから。でも、ほんの少しだけでもこころが減ってしまう事でめちゃくちゃ大きな影響が僕に出ないとも限らない。そもそも、こころを分けるってどういうことなんだろう。

「不具合?ですか?えぇ。もちろんあなたの健康には何も影響はありません。だから安心してください。ほんの少しだけ分けてくれるだけで、あなたは彼女のとびっきりの笑顔に出会えるかもしれない。たとえその彼女の笑顔があなたに向けられていなかったとしても、彼女の落ち込んだ姿を見て胸が張り裂けそうになることをおもえば、やっぱり雨を降らせることを選ぶほうがいいと僕は思いますよ」

 確かに。明日雨が降らなければ、まおはとても暗い気分で一日を過ごすことになるだろう。なぜ雨が降って欲しいのかはわからないけど、これだけずっと雨を望む発言をし続けているのだから、それだけ雨が降って欲しい気持ちが強いということなのだろう。
 こころを少し分けたとしても、僕の身体にはなにも害がないらしい。とするならば、僕は彼に雨を降らせてほしいと頼むべきなのかもしれない。そもそも、本当に彼が雨を降らせることができるかもわからないし、こころをわけるといっても、彼にそんなチカラがあるのかも疑わしい。ただ単に僕の様子をみてちょっとからかってやろうとしているだけなのかもしれないし。
 それなら、雨が降ったらラッキーくらいの感じで彼に頼んでみようか。

 僕は彼の提案に乗ってみようと思った。いたずらだったとしてもまぁいい。僕にとってはノーダメージだし。

「あの。じゃぁ、雨。お願いしてもいいですか?」

 僕が明日の雨を頼むと、彼はさっきまでとはうってかわり、事務的な口調で「はい。わかりました。では、明日の天気、楽しみにしておいてくださいね」と言い残し、ペコリと頭を下げると改札口から出て行ってしまった。

 なんだあれ。

 やっぱり僕は騙されていたんだろうか。きょろきょろと辺りを見回し、カメラをこちらに向けている人間を探した。しかし、カメラどころか、スマホをこちらに向けている人間すらひとりもいなかった。
 録画されていたわけではなさそうだ。ならいい。どれだけ騙され、おちょくられたんだとしても、その証拠の映像が無ければ全然かまわない。僕はホームに入ってきた電車に乗り込んだ。



ーーー
 翌朝、カーテンを開けると雨が降っていた。

「あぁ。今日は雨か」

 雨の日は嫌いではないけれど、晴れの日ほど心は軽くない。
 心?
 何かがひっかかる。心。ココロ。こころ。なんだろう。とくに思い出すようなものはないと思うんだけど。まあいいや。学校へ行く準備をしなくては。
 僕は身支度を整えると傘を手に持ち家を出た。

 学校の最寄り駅で、田中さんが僕の方をチラチラ見ていたような気がした。でも、いったいどうしたのだろう?まさか、僕に気があるとでもいうのだろうか。昨日までそんなそぶりはこれっぽっちもみられなかったと思うんだけど。

 同じクラスの田中さん。下の名前はなんて言ったっけ?たしか、たなか まおだったような。うん。そうだ。たなか まお さんだ。僕と彼女はクラスメイトというだけで、隣の席になったことも、親しく話をしたことも無いはずだ。

 それにしても今日はイヤホンの調子が悪いなあ。電車に乗ってから何度か試したけれど、ザーザーガーガーという雑音しか聞こえない。壊れてしまったのだろうか。帰りに電気屋に寄って帰ろう。

 僕はイヤホンを耳から外し、カバンに放り込むと学校へと急いだ。

<終>

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