荒井 浩介@勉強カフェ大阪

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荒井 浩介@勉強カフェ大阪

勉強カフェ大阪本町/大阪うめだオーナー。 Blog : https://kousukearai.work Twitter : https://twitter.com/kousukearai FB : https://www.facebook.com/kosuke.arai

マガジン

  • 僕は製薬会社を辞め、『勉強カフェ大阪』のオーナーになった。

    製薬企業の一社員だった僕が、勉強カフェを思いつき、2011年から勉強カフェメンバーに加わり、そこから独立して大阪に勉強カフェをオープンさせるまでのストーリーです。半分フィクション、半分ノンフィクションでお届けします。起業を考えている方や、コミュニティスペースを作りたい人、勉強カフェに興味がある人に読んでもらえれば嬉しいです。

最近の記事

最終話 osakaikeru

2014年3月 3月にオープンする勉強カフェ京都同志社前ラーニングスタジオの立ち上げサポートのため、 僕は4年ぶりの京都駅をぐるぐる巡っていた。 興奮が抑えきれず、見返しもしないのに京都駅にあるいろんな 京都っぽいものを何でもスマホで撮影してしまうのだった。 大阪行きが断念されてからのこれまで、横浜市内、それも関内周辺にこもりきり、ほとんどそこから出る機会がなかったから、いつも以上に遠出は新鮮に感じられた。 学ぶ場所に投資するという文化は、 関西の人にも受け入れられる

    • 第10話 中崎町で見た夢。

      精一杯でかい声で、 よく分からない動きをしながら。 一生懸命、 それはそれは一生懸命に 身体を振り絞って、全身全霊で、歌い上げる 声が どんよりした空気の部屋の中に ただただ、鳴り響いていた。 寂しい夜が 何度続いても   切ない朝を 何度迎えても 出かけよう  さあ 出かけよう 電光石火   お日様を迎えにゆこう (THE BLUE HEARTS /電光石火) この声、この言葉、この音楽は、問答無用でポジティブなテンションを呼び寄せた

      • 第9話 アライアンス制度の開始。大阪というまだ見ぬ街へ憧れて、訪れた孤独の果てには。

        2013年4月1日 エイプリルフール。 <嘘のようで本当のこと>という形で、 株式会社ブックマークスは、今までの教育された店長を横展開する 従来のフランチャイズシステムとは一線を画した、 想いを持ったオーナーが独自のやり方で勉強カフェという名前を使い、 運営していく方針の、「勉強カフェアライアンス」を 正式発表、プレスリリースした。 どの地域からの問い合わせがあるだろうか、 そもそも問い合わせ自体があるのか、含めて、 今までと違った形の展開に社員たちは期待を寄せていた。

        • 第8話 酒場をめぐり、人に触れ、机の上にはない世界を学んだ。そして大きな流れの渦の中に。

          2012年12月。 勉強カフェ横浜関内スタジオのオープンから、4ヶ月が経過しようとしていた。 時刻・・・23時過ぎ。 横浜関内スタジオの平日の閉店時間である。 クローズ作業を終えた頃に、僕の携帯電話が鳴る。 着信先は、大学時代のアルバイト先の社員だった、K島さんからだ。 関内の一つ先の石川町のパチンコ屋が経営する焼肉屋で働いている。 物理的に距離が近くなったことと、もともとかなりの時間を過ごしている仲だったため、 よく連絡を取り合うようになっていた。 「お疲れー

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        • 僕は製薬会社を辞め、『勉強カフェ大阪』のオーナーになった。
          11本

        記事

          第7話 関内スタジオオープンまでのこと

          2012年6月 田園都市線・押上駅の近くに、 東京スカイツリーが開業した。 オープンしてから、早くして100万人の来場が告げられたり、 実家のある群馬に住んでいるときにはよく利用していた、 東武伊勢崎線にはスカイツリーラインという愛称が付けられ、 スカイツリーブームが世間では巻き始めていた。 勉強カフェはというと、 4月に初のFC加盟店として池袋東口から徒歩で通える抜群の立地、そしてカラーリングもオレンジやグリーンのビタミンカラーを活用した 斬新なデザインの池袋スタジオ

          第7話 関内スタジオオープンまでのこと

          第6話 田町スタジオのマネジャーになり、呼ばれた次の先は。

          2011年11月 上京から1ヶ月が経過し、 アシスタントマネジャーとして田町スタジオを中心に勤務し、 北参道や、秋葉原スタジオへも、時たま出入りしていた。 覚えることが多く、目まぐるしい日々を過ごしながらも、 様々な会員様との出会いお話しさせてもらい、日に日に仲良くなっていくことの楽しさを感じながら、充実感に満ちた日々を送っていた。 この日、勉強カフェ秋葉原スタジオが、2周年を迎え、<2周年交流会>が開催され、初めての勉強カフェ交流会に参加した。 秋葉原スタジオの熱

          第6話 田町スタジオのマネジャーになり、呼ばれた次の先は。

          第5話 3年ぶりの東京、そして勉強カフェ。

          何かが、動き出した。 レールからは、外れた。 山陽新幹線「のぞみ」の車輪のこと? ・・・ではなかった。 高校、大学、就職。 全てを、同じ年齢の大多数が進むタイミングで、 それずにのっかてきた。 しかし、24歳になった今、 自分で、自分の人生の行き先を、 明確に心に従い・導かれた先から去ることを「決めた」、、、 製薬会社で勤めあげる人生もあっただろうに。 誰が、それを懸念する? いや、誰もいない。 < お前が舵をとれ > 「Captain of th

          第5話 3年ぶりの東京、そして勉強カフェ。

          第4話 妄想がすでに実現されていてたまらずに動き出した

          2011年5月のGW。久しぶりに僕は山口県から離れて、馴染みのある横浜・関内駅から近くのカフェ・ベローチェにいた。 現在勉強カフェ大阪本町でマネジャーであり、 もともとは大学時代、カナダへの短期留学で知り合った戸波と、 一階のテーブル席でコーヒーをすすりながら、最近考えていることなど、 成長記録など、報告し合っていたのだった。 「最近、自宅から出てカフェで勉強するのが好きでさあ。 周り見渡すと似たような人がいるわけだよ。 同じように、カフェ勉してる。この人たちも、自分も

          第4話 妄想がすでに実現されていてたまらずに動き出した

          第3話 会食という「学習」、それはコミュニケーションの楽しさにつながった

          アァァ〜〜 しあわせぇのぉーーー とんぼよぉぉぉぉっッ  どこぉぉへ〜〜 お前は、どこ〜えぇ〜   とぉんで行くぅ〜〜〜 「ははは!いいねー、荒井くん。 今日は、長渕剛をひたすら歌おうじゃないか!」 ・・・・・・・・・ その日 長渕剛の名曲・「とんぼ」を 僕は力のかぎり、本人になりきってモノマネをしながら熱唱していたのであった。 遡ること8年前 ーーーーーーーーーーーーーーーーー2010年2月 山口県宇部市 山口県南西部の瀬戸内海側に位置するこの土地は

          第3話 会食という「学習」、それはコミュニケーションの楽しさにつながった

          第2話 社会人1年目〜2年目。水平線の向こうには

          「な・ん・か・い、言わせんねんッ!!」 (は、はい!すみません!!!) 「すみませんで済んだら、警察いらんやろーが!! どうすんねん?」 (・・・今すぐノートに取ります!!) 「そうやろうが!一度教えたり聞いたことを、そのまま覚えられずもう一回聞くってことはな、相手の時間も取らせるってことなんやで? 少しは、頭使って考えろやッ、 アホボケカスッ!!」 ---------2009年11月 深夜0時近く、新山口駅から徒歩2分ほどの距離にある 鳥居薬品山口オフィス

          第2話 社会人1年目〜2年目。水平線の向こうには

          第1話「社会人1年目。山口チームに配属され、絶対に落ちることができない試験がそこにはあった」

          2009年9月−−−−− 山口県、山口市。 「新山口駅」 東京から、新幹線で4時間半。 中国地方の基幹都市・広島からは、1時間もかからない。 足を踏み入れたことは、一度もなかった。 その駅名が存在することさえも、、、 知らなかった。 リクルートスーツを着込み、ネクタイの結び方もままならないまま。 いかにも社会人なりたてです、というオーラをまとう、見た目は30歳を超えているが、実際には22歳の青年。 ほとんど誰もいない駅のホーム。 僕はこれから始まる社会人生

          第1話「社会人1年目。山口チームに配属され、絶対に落ちることができない試験がそこにはあった」