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第10話 中崎町で見た夢。
精一杯でかい声で、
よく分からない動きをしながら。
一生懸命、
それはそれは一生懸命に
身体を振り絞って、全身全霊で、歌い上げる
声が
どんよりした空気の部屋の中に
ただただ、鳴り響いていた。
寂しい夜が 何度続いても 切ない朝を 何度迎えても
出かけよう
さあ 出かけよう
電光石火 お日様を迎えにゆこう (THE BLUE HEARTS /電光石火
第9話 アライアンス制度の開始。大阪というまだ見ぬ街へ憧れて、訪れた孤独の果てには。
2013年4月1日
エイプリルフール。
<嘘のようで本当のこと>という形で、
株式会社ブックマークスは、今までの教育された店長を横展開する
従来のフランチャイズシステムとは一線を画した、
想いを持ったオーナーが独自のやり方で勉強カフェという名前を使い、
運営していく方針の、「勉強カフェアライアンス」を
正式発表、プレスリリースした。
どの地域からの問い合わせがあるだろうか、
そもそも問い合わ
第8話 酒場をめぐり、人に触れ、机の上にはない世界を学んだ。そして大きな流れの渦の中に。
2012年12月。
勉強カフェ横浜関内スタジオのオープンから、4ヶ月が経過しようとしていた。
時刻・・・23時過ぎ。
横浜関内スタジオの平日の閉店時間である。
クローズ作業を終えた頃に、僕の携帯電話が鳴る。
着信先は、大学時代のアルバイト先の社員だった、K島さんからだ。
関内の一つ先の石川町のパチンコ屋が経営する焼肉屋で働いている。
物理的に距離が近くなったことと、もともとかなりの時間
第7話 関内スタジオオープンまでのこと
2012年6月
田園都市線・押上駅の近くに、
東京スカイツリーが開業した。
オープンしてから、早くして100万人の来場が告げられたり、
実家のある群馬に住んでいるときにはよく利用していた、
東武伊勢崎線にはスカイツリーラインという愛称が付けられ、
スカイツリーブームが世間では巻き始めていた。
勉強カフェはというと、
4月に初のFC加盟店として池袋東口から徒歩で通える抜群の立地、そしてカラーリ
第6話 田町スタジオのマネジャーになり、呼ばれた次の先は。
2011年11月
上京から1ヶ月が経過し、
アシスタントマネジャーとして田町スタジオを中心に勤務し、
北参道や、秋葉原スタジオへも、時たま出入りしていた。
覚えることが多く、目まぐるしい日々を過ごしながらも、
様々な会員様との出会いお話しさせてもらい、日に日に仲良くなっていくことの楽しさを感じながら、充実感に満ちた日々を送っていた。
この日、勉強カフェ秋葉原スタジオが、2周年を迎え、<2周
第5話 3年ぶりの東京、そして勉強カフェ。
何かが、動き出した。
レールからは、外れた。
山陽新幹線「のぞみ」の車輪のこと?
・・・ではなかった。
高校、大学、就職。
全てを、同じ年齢の大多数が進むタイミングで、
それずにのっかてきた。
しかし、24歳になった今、
自分で、自分の人生の行き先を、
明確に心に従い・導かれた先から去ることを「決めた」、、、
製薬会社で勤めあげる人生もあっただろうに。
誰が、それを懸念する?
第4話 妄想がすでに実現されていてたまらずに動き出した
2011年5月のGW。久しぶりに僕は山口県から離れて、馴染みのある横浜・関内駅から近くのカフェ・ベローチェにいた。
現在勉強カフェ大阪本町でマネジャーであり、
もともとは大学時代、カナダへの短期留学で知り合った戸波と、
一階のテーブル席でコーヒーをすすりながら、最近考えていることなど、
成長記録など、報告し合っていたのだった。
「最近、自宅から出てカフェで勉強するのが好きでさあ。
周り見渡すと
第3話 会食という「学習」、それはコミュニケーションの楽しさにつながった
アァァ〜〜
しあわせぇのぉーーー
とんぼよぉぉぉぉっッ どこぉぉへ〜〜
お前は、どこ〜えぇ〜 とぉんで行くぅ〜〜〜
「ははは!いいねー、荒井くん。
今日は、長渕剛をひたすら歌おうじゃないか!」
・・・・・・・・・
その日
長渕剛の名曲・「とんぼ」を
僕は力のかぎり、本人になりきってモノマネをしながら熱唱していたのであった。
遡ること8年前
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