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【映画鑑賞記録】『ヘアピン・サーカス』(1972)

 車が走る。とにかく疾走する。人間ドラマより走行場面の方がずっと多い映画だ。そしてドライな作品である。

<あらすじ>

 レーサーの島尾(見崎清志)はライバルの事故死をきっかけに一線を退き、自動車教習所の教官として至極普通の生活を送っていた。そんなある日、彼は街中でかつての教え子・美樹(江夏夕子)の姿を見た。反抗的ながらもただならぬ運転の才能と雰囲気を持ち、島尾の記憶にずっと残り続けていた女性・美樹。彼女はいつしか仲間達と共に公道上で「撃墜王」の如く車を狩る……「挑発させて競い、事故らせる」行為を繰り返していた。スピードに快楽を得る美樹を前にして、島尾の中に秘められていた“何か”がもたげ始める。やがて彼もまた真夜中の道路を走り始め、ついに「その時」がやって来た。

 上記はCinemaScapeから引用、というか自分が書いたヤツだ。

 全編ドライなだけあり、台詞も抑え目。特に主人公の島尾は実に淡々としており、教習所での仕事を日々こなし、そして一人の父親としての姿を描きつつも、レーサーとしての過去にどこか未練があるような無いような、という感じだ。
 心理描写もモノローグ等は一切無く、回想場面でのレースシーンや他の人物のカットインが入ったりと「画で」観せてくる。主演よりも周囲の人間が代弁する『ゴルゴ13』のような……もっとも主演の見崎清志氏は元々ガチのレーサーで、演技に慣れていない部分をカバーするような演出をしたのだろう。

 その分、彼の教え子でヘアピン・サーカスの一団となっている美樹は実に対照的。生意気で物おじしない、そして走り屋仲間の男連中よりもずっと情熱のある女性として描かれているのが印象に残る。
 美樹は様々なところで島尾を含めた他のドライバーたちを文字通り「挑発」する。ドラマ部分しかり、愛車・トヨタ2000GTで繰り出した時しかり。刹那的ながらも「これが生きがい」だと言い切り、さらに主人公へ問いかける。「先生には生きがいがあるの?」と。

 そして主人公もまたスポーツカーに乗り、正体を隠して美樹やヘアピン・サーカス達に挑む。原作ではその理由を「彼らに灸を据える」ように記されてるが、映画では特にこうだという描写は無い。ボカしている感じもする。何かスイッチが入ってしまったかのように見えるものの、全て台詞も控えめに「画で」見せる。察しろ、と言わんばかりに。

 これを「ドラマが物足りない」と取るか「彼の心理をどうとでも解釈できるようにした」と取るか……後者を狙っていたとしたら正直微妙ではある。ただ話自体は全体的にドライで、最初に触れた「演技を演出でカバー」するのは間違ってない、というかむしろこれで良い、と思えてくるのだ。

 何よりクライマックスの、ラスト20分近くに渡る島尾対ヘアピン・サーカスによるカーバトルに突入すると、台詞が全く入らなくなる。走る。ひたすら突っ走る。そしてサーカスの一団を全員振り払い、ついに島尾vs美樹となった時、とうとう彼は正体を明かす。一瞬驚く美樹、しかし彼女自身が仕掛けた「事故らせる罠」を島尾が交わすと嬉しそうな顔を見せ、やがて二台は並走する。

 途端、画面にエフェクトが入り、それまでとは場所もシチュエーションも全く違う場面が挿入される。最初は「え、どういうこと?!」となったが、今までずっとボカしてきた部分がここでようやく見えてきた。「単に灸を据える話なら、こんなシーンは入れないな」と。

 教え子の中でも全てがギラギラして記憶にこびりついていた女性・美樹。主人公の警告にも耳を貸さず「私に勝てる人がいると思う?」と、運転でも言動でも彼女が行う全ての行為が、挑発というよりは何かを求めているように思えた。それに応えられるのはヘアピン・サーカスの男達ではない、自分だ……
 そしてレーサーでも教習所の先生でもなく、島尾という一人のドライバーとして彼女と対峙し、彼女が求めていたものを満たした。

「君はこれを望んでいたのか?」
「先生もこれを望んでいたんでしょう?」

 ……甚だ唐突なシーンではあったが、自分にはそう感じた。面食らう演出ではあったが、原作そのままでは単なる勧善懲悪だし、一つ設定を変えれば復讐劇にもなりそうな話をこう作るとは。菊地雅章によるジャズBGMも、映画全体のドライな空気に合っていて、微妙とは書いたがこれはアリな作品だ。

 そして、結末も唐突にやってくる。本当にあっけない。求めていた生きがいがあまりにも刹那的すぎた結果か。最初から最後まで、とにかくドライなカー・アクション映画であった。

 にしても、首都高速も街中も猛スピードで突っ走っているが、こんなのよく撮影できたな!

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