読書感想文(386)働く三十六歌仙『うたわない女はいない』

はじめに

こんにちは、読んでくださってありがとうございます。
今回は久々の歌集です。

読んだきっかけは以前読書会で紹介されたこと、今月末の読書会で課題本になったことです。

実は、読書会で紹介された時、この本はしばらく読まないでおこうと思っていました。
というのは、現在労働に対する価値観には結構満足しており、他の価値観を介入させる必要は無いと思っていたからです。
コンセプトからして労働に対する愚痴が予想されたため、『7つの習慣』における第1の習慣から反論したい気持ちが起こるだろうと思いました。
なので、数年後に働くのが嫌になって、それでも働かなければいけないという状況になったら読んでみよう、と思っていました。
しかし、次の読書会の課題本になってしまったので、読むことにしました笑

感想

色んな人の色んな短歌があったので、良いなと思うものもあれば、うーん自分には合わないというものもありました。

一番良いなと思ったのは、戸田響子さんの短歌です。全ては挙げませんが、例えば次のような歌です。

・朝のラッシュを抜けて降りたちイヤホンを外せば秋が寄り添ってくる
・資料室に深く潜ってゆく午後の非常灯から緑の光

一つ目の歌はシンプルかつありふれていながら、言われなければ気づけない日常のさやけさです。
この作者の良いと思った所は、「確かに」と共感できて、かつこの歌を知っていたら日頃の労働が少し彩られるところです。
毎朝、嫌な気分になりながら通勤している人がこの歌を知ったら、ちょっとイヤホンを外してみようか、確かに秋の気配がする(今なら春の気配?)と思うことができます。つまりこの歌は人の生活のマイナスをちょっとプラスに変換する力を持っています。短歌の魅力って色々あるけれど、中でもこんな風に誰かをちょっと幸せにできるような歌はとても好きです。

短歌って詠むだけならとても簡単で、でも短いから個性を出すには斬新な発想が必要で、その分「自分」が強く出てしまうものが多いです。この本でも、短歌の内容が自分自身に向いているものが少なくありませんでした(めっちゃわかりやすくいえば、こんなことがあって辛かった、とか、それでも頑張ってる、みたいな)。この作者の短歌は他人の方向を向いているような気がしました。
その人自身の斬新な発想に触れるのも面白いのですが、そこからさらに一歩踏み込んだものの方が私は魅力的に感じます。
かといって、説教くさいものは読むのがしんどいです。でもこの作者の短歌は、ちょっと前向きになれるような、丁度良い軽さを持っているように感じます。

ついでに補足すると、自分の心を歌にしたものは、その心が魅力的であれば歌も魅力的に感じます。その心、いいねって。
でも今回の場合は労働の愚痴だったりするので、そういう不幸マインドを共有しないで、と思ってしまいます。愚痴り合って共感して慰め合うのが救いになる人もいると思うのですが、私はあまり好きではありません。

その他、良いなと思った歌も挙げてみます。

自己啓発本を読んでも奥底に制御できない電流がある

P54(ひらりささんの歌)

わかる、と思った後、でもそのことを自覚できたら電流を制御するシステムを自分で構築していきたいなぁと思いました。電流がある、だから仕方ないよね、で私は終わらしたくないなと。くそ〜電流め〜と言いながらも試行錯誤して、数年かけて矯正したいです。それができる、と思えるのは今まで色んなことに挑戦して実現できた経験を積み重ねているおかげだと思います。自画自賛。

暁に群れをなす鳩(ああなんて詩はことごとくやさしくて無為)

P63

井上法子さんの短歌。
私は大学生の頃、和泉式部に憧れて、歌を詠むことで心を慰めていたことがありました。自分の心のもやもやを明文化して作品にすることで、少し心は慰められるのですが、それは恐らく「無為」だからです。
私は自分の感想を書くときにあれこれと推敲することを好まないのですが、それは上手く書こうとすると本来の自分の心とは異なってしまうように思うからです。自分の心が慰められるのは無為だからこそです。
一方で、無為だからこそ、根本的な解決にはなりません。そこには虚脱感のようなものがあります。もちろん、その慰めによって心を立て直すことが、次の行動、そして問題の打開につながるということはあるかもしれませんが。
また、暁という時間帯もいいなと思います。ずいぶん前、久々に六時台の電車に乗った時、座席が一つも空いていなくて、「日本人働き過ぎだよ~」と思いました。早朝の出勤、美しい情景、詠まれる詩、そして仕事は始まります。こんなにも無為な美しさに溢れた世界があるのに、どっかの誰かに操られているような箱の中で働く人間たちは美しいか。
生きるための労働が、貨幣経済によって歪んでいる?

現代人はまず顔を見て、外側から入っていきますよね。社会人だと名刺をもらい、肩書を見て、最後に心は触れるけど、平安時代は最初に歌をかわし、心をかわし、「あ、この人好きだな」となって、やっと結ばれるときに顔を見る。(中略)最初に心が出会って好きになったなら、それは正解な気もするんです。歌をみせてもらう=心を見せてもらうことだから、歌に共感したら、もうその人を好きになっているんですよね。

P197,198

流石俵万智さん、と言いたくなります。
平安時代でも肩書は大切だし、なんなら代詠もあったわけですが、心が通い合うことから恋が始まる、という感覚はとてもわかりやすいし素敵です。
中学や高校で古文を習う時、会う前に恋をするという価値観が納得できない人も、こういう風に考えれば腑に落ちやすいのではないかと思います。

最後に、俵万智さんが「一瞬を歌い留める」ということを書かれていました。これがまさに短歌の真骨頂であるように私には思われます。
短歌は短いですから、沢山の事を詰めこむことができません。しかし、だからこそ日常にありふれていて見逃してしまいがちな一瞬の感動を歌うことに留めることができます。
これは俵万智さんの『短歌をよむ』という本で得た考え方で、確か俵万智さんは『「あ」をつかまえる』という表現をしていたと思います。
私の短歌観はほとんど俵万智さんの影響でできているので、できれば他の考え方も知りたいなあと久々に思いました。結局勉強に帰ってくるのです。

おわりに

短歌って人それぞれの感性が出るので、こういうアンソロジーは共感できないものも多くありました。
恐らく、読書会では自分と全然違う視点からの感想が出ると思うので楽しみです。

ということで、最後まで読んでくださってありがとうございました。



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