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これは28歳の時の話です。
仕事をしていても自分は『どうしたら嫌われないで日々を過ごせるか』そればかりを考えていました。
仕事は何より人間関係が一番大事で正直人間関係を築くのが苦手なんだと思う。
その前の会社でもうつ病になり、またうつ病になったダメな自分に『もうどうでもいい』って嫌になって、携帯と結婚指輪をテーブルに置いて家を出ました。

妻が仕事から帰ってくるまでにはどこかに行こうとしましたが、何かを察したのか帰ってくる車が見えて咄嗟に隠れました。

『この後どうしよう』携帯も財布も何もかも置いてきた中、誰も通らない草道でしゃがんでどうしようどうしようとずっと考えてました。

もう何もかもから逃げたい。

考えて考えて考えていくと

パチンと小さな音が鳴るのように『死にたい』から『死のう』に切り替わった瞬間でした。
死にたいのは「たい」だから生きたいのがあるけれど、死のうになったら『どうすれば死ねるか』の思考と行動になる。

今、冷静に考えると怖くて仕方ない。
逃げ道を自分で消しながら来たから後は『死』しかなくなる。

ふらふらと死に場所を探しながら木曽川の上流の川に飛び込めば死ねると考え歩きはじめました。
その間、何台かの車とはすれ違いましたが、生気のない姿にどう見られていたのかが今となっては気になります。

その頃妻は僕が行きそうな場所を探し回っていたそうです。
携帯を僕が置いていったから連絡つかないし、一人じゃどうすることもできなくて行ったのが僕の実家、事情を話してその後妻は車で探しに出たそうです。
3本に分かれてる道の中、どうしようか迷っていたら

『あっちだよ』

と声が聞こえたそう。
スピリチュアル系なことは感じないタイプといっている妻が今でも「あれは絶対誰かの声だった」
と、あの時は確かに声が聞こえたらしいです。

そうしたら、ちょうど歩いてる僕を見つけ(僕からしたら見つかってしまった)、僕は車を見た瞬間自分史上一番の全速力で走ったつもりです。

「いやだー!」

車から降りてきた妻から泣きながら逃げました。

でもあーいう時って多分気持ちは全力でも体は違うんだろうなって今思いました。
サッカーやってたし、正直妻に追い付かれるとは思ってなかったのにすぐ捕まってしまったから。

でも、捕まった時

『助かった』

心の中でそう思いました。

多分あそこで妻が見つけてくれなかったら、逃げ道を失った僕は川に飛び込んで死んでいたと思う。

次に記憶があるのは兄が運転する車の中で、倒された座席に寝ていながら天井をずっと眺めていた。
『どうなるんだろ』って自分の不安を頭の片隅におきながらただただ天井を眺めてました。

結局その後、椎間板ヘルニアになり仕事を辞めることになりましたが、精神的ストレスから背中にある神経が腰痛の原因にもになると知り、精神、心って大事だとよくよく感じました。


死のうと決めた日。

僕は一回死んだと思ってます。そして、

生きようと決めた日。

でもあると思ってます。

人生の中で一番死に近づいた。
深海の底に手をついて帰ってきたと。

あの日から自分が創った作品は全て遺言、生きた証だと心に決めました。

残りの時間は生かされている時間だと思っています。
もしあの時死んでいたら、あの後出会えた沢山の方々にも出逢えなかったし、下の息子にも、息子たちの成長にも、この記事を読んでくれているあなたにも出逢えなかったです。

あおいぼく一枚絵本 〜生きる幸せ〜

誰かのために生きることを許してもらっている。
あの時の自分のように苦しんでいる方々の心を助けるきっかけになればと、今もあおいぼく一枚絵本こころに貼る言葉の絆創膏ことばんそうこうはこれからも生み出していきます。

ここまで書くまでに何度も泣いたので、今はものすごく冷静です。
助けてくれた妻とは今朝もケンカをしました。
ケンカした後ちゃんとすぐ仲直りしました。
きっと妻には素の自分を出せてるんだと思います、それだけ安心してるのかな。

感謝は恥ずかしくてなかなか言えないけれど。

11年前、死のうと決めた日。
一番死に近づいた日、そして生きようと決めた日。
11年かかりましたが、やっと書けました。

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