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✨初めまして✨自己紹介的な内容です!

ごあいさつ。

こんにちは・こんばんは!やりたい事を探して日々奮闘している栃木県内の大学に通う今年21歳の大学2年生です!あれっ?21歳なら大学3年生ではないの?と思った方もいらっしゃると思います。浪人した訳ではないのですが…

今回は、私の自己紹介をさせて頂きます!

私の自己紹介

幼少時代

私は2001年の「アメリカ同時多発テロ事件」の数日前に生まれました。

小さい頃はみんなが通るであろう「戦隊モノ 仮面ライダーetc.」には全く興味なく、とにかく車が好きでした。
理由としては、小さい頃から家族で「車」で出かけることが多かったです。本当にこれに尽きると思います。父親が車好きでもなかったので。

私自身は記憶にないのですが、大きな出来事がありました。
当時住んでいたアパートのベランダで遊んでいた際に、柵の角に頭をぶつけ大出血騒動を起こしたそうです。(笑)
しかし泣くことはなかったそうですが、両親はとても慌てていたそうです。その傷は今も頭にありそこの部分は髪の毛が生えていないです(笑)

小学生時代

小学生時代は、高学年になるまであまり活発ではなかったと思います。
高学年になるとクラスの中のイベントを企画することをやったり、その反面担任の先生を怒らせることも多々ありました。
しかし当時、機嫌が悪いとあからさまに態度に出たり、物に当たったりと周りを困らせるダメ人間でした。
この頃を振り返ると黒歴史ばっかりです(笑)

小学5年の夏、友達に誘われて地元の道場で剣道を習い始めました。
これは今後につながる良いものになりました。

相変わらず車が好きなのは変わらずでした!

中学生時代

中学生になると部活動というものが始まりました。
小学5年から剣道を習っていたのでそのまま剣道部に所属しました。
部活で一番の思い出は中三最後の夏の大会、団体戦であと一回勝てれば関東大会出場!というところで負けたという思い出です。

この時の顧問にたくさんお世話になったのは良くも悪くも思い出です。

中学生活でも相変わらず、クラスでのイベントを作ったり、委員会活動で委員長をやったりという感じでした。
しかし、興味のあることは熱中できるものの、興味のないことはさっぱりやる気はありませんでした。なので勉強全般はあまり好きではありませんでした。
夏休み、冬休みといった長期休暇の際の課題を期日まで提出しないということは毎度のことでした。
委員会活動で委員長をやっていたりクラスのイベントを考えてやっているという目立ち方を教員間でしていた一方で、課題を提出しない悪い生徒という目立ち方もする。という悪い生徒代表でした。

そんな時部活の顧問に言われた言葉が今でも忘れません。


「せっかく頑張っているのに、課題を出さないという一つのよくない出来事によってダメな人っていうレッテルを貼られるんだぞ」


という言葉です。

これを職員室を出た階段の踊り場で言われました。
この時はその場では泣きませんでしたが、そのあと泣いた記憶があります。

周りに認めてもらおうと当時は思っていませんでしたが、最低限はやらなくてはいけないのだなぁと考えさせられました。

高校時代?

高校時代に当たる時間は様々なことがありました。

車が好きだというところは幼少時代から変わっていませんでした。
そこで親の勧めもあり、地元の工業高等専門学校に進学しました。

※ 高等専門学校(高専)とは
中学卒業した後に入学できる学校で卒業すると準学士の称号を得ることができる。
就職率はほぼ100%という面白い学校です。
以下文科省HPより引用です。

高等専門学校は、高等学校と同じく、中学校を卒業した方が入学することができます。入学後は5年一貫(商船学科は5年6ヶ月)で、一般科目と専門科目をバランスよく配置した教育課程により、技術者に必要な豊かな教養と体系的な専門知識を身につけることができます。

高等専門学校では、学んだことを応用する能力を身につけるために、理論だけではなく実験・実習に重点が置かれています。更に卒業研究を通して、創造性をもった技術者の育成を目指しています。

文科省 高等専門学校の特色より

しかし入学できたのは良いものの、受験生時代の模試では全く受かる基準に達していませんでした。たまたま入学できてしまったのです。
そんなこともあり、勉強についていけず留年してしまいました。
高専は赤点が60点なんですよ!いきなり60点は辛いですよね(笑)。

2年目の担任は熱心に付き合ってくれました。同じ学年で2度留年すると自動的に退学になってしまうからです。しかし、担任の期待には添えず授業についていくことができず、ギリギリ単位が足りずに留年!となってしまいました。

そんなこともあり、高専生活は続かず進路変更の為中途退学する形になりました。

その後どうなったのかというと通信制高校に転入学するという形になりました。
入学した高校は「角川ドワンゴ学園 N高等学校」です。
通称「N高」は、出版社のKADOKAWAとIT企業のドワンゴが2016年に設立した比較的新しい単位制・通信制課程(広域)の高等学校です。
現在では在籍生徒数が20,000人を超えています。

私はこの「N高」で「良い意味で裏切られました!」
とりあえず高卒の資格を取るために通信制高校に入学をしたつもりでした。しかし、いざN高生活を始めると様々な選択肢がありました。
KADOKAWAとドワンゴが運営をしているということもあり様々なプログラムがありました。その中で私が体験したのは「職業体験」というプログラムと文化祭実行委員です。

職業体験は、アドリブで起業してみる”Local Venture Challenge”というプログラムに参加しました。
詳細はリンクに飛んでいただくと分かりますが、岩手県の紫波郡紫波町の紫波中央駅の駅前にあるオガールという面白いエリアで行われるお祭りで出店するという体験でした。

この時お会いした
一般社団法人 エリア・イノベーション・アライアンス代表理事 木下 斉さんとの出会いが私が地域で何かしたいという関心を持ったキッカケです。

文化祭実行委員では、「N高」では年に1度幕張メッセで開催されるニコニコ超会議で一つのブースとして文化祭が開催されています。
私はその文化祭の実行委員として活動を行っていました。内容としてはブースのステージで行われるイベントを担当していました。様々な人と連絡調整をするということや、様々な団体のタスクの管理等を行っていました。
通信制ということもあり実行委員は対面で集まることもありましたが、基本的にオンラインでの活動であったためコミュニケーションをとることが難しかった記憶があります。
色々なアプローチを取りながら準備を行って行きました。

しかし新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)が流行し始めた頃であったため実際に幕張メッセでの開催は叶いませんでした😭。

こんなこともあり、高校時代?は様々なことを経験しました。
これら経験が今の自分に生きています。また興味関心にも繋がっています!

そして現在!

そうして、「N高」を卒業した後どうなったのかというと・・・
勉強は好きではなかったため、AO入試を利用して大学に進学をしました。

経済学部 地域経済学科に進学をしました。
地域経済学科に進学したのも、地域に関して興味があったからです。
現在は大学2年目となり、地域で何かしたいという思いを具体的に何か行動に起こしたいなぁと思い行動を起こし始めたところです。

現在はNPO法人と一般社団法人でインターンを行っています!
その中で様々な人と巡り合い、またイベントにも参加させていただいています。

これらの詳しい話はまた次回!

終わりに

長々となってしまいましたが私の自己紹介とさせていただきます。
これからもゆっくりマイペースに更新していきたいと思います!

次回は、「私の趣味」についてです!
お楽しみに✨

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