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芳醇に香る「自由」 -シラー『ドン・カルロス』の面白さ【エッセイ#57】

長くて複雑な演劇や映画、小説の素晴らしさとは何か。沢山ありますが、その一つに、この世界の複雑さを見せてくれる、というのがあります。
 
世の中は、決して単純にできていない。多くの思惑が組み合わさって、善いことも悪いことも出来上がっている。そうした世の複雑さを私たちに体感させてくれます。
 
まあ、勿論、時にはそんな複雑さを忘れて、シンプルな世界だけを見ていたいと思うこともあります。ですが、やはり、複雑なものには、単純なものにはない良さもある。
 
フリードリヒ=シラーの戯曲『ドン・カルロス』は、この偉大な詩人にして劇作家の作品の中でも、精妙に作られた、一二を争う名作です。そして、見事な展開により、ある種の複雑さを、ドラマとして味合わせてくれます。何の複雑さか? 一言で言って、自由という概念の複雑さです。



シラーは、1759年、ドイツ南部のヴュルテンベルク公国生まれ。シェイクスピアやゲーテ、ルソーの著作に若い頃から親しみ、23歳の時に処女作『群盗』が、マンハイムの劇場で上演され、大成功を収めます。若さとパワーに溢れたこの傑作により、ドイツの文芸革新運動「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」の仲間入りを果たします。

フリードリヒ・フォン=シラー


その後、数年間、亡命を経験したりして、苦難の生活を送るも、着実に作品に取り組み、4年をかけ、28歳の時に、第四作『ドン・カルロス』が出版・上演されます。



 一般的に、シラーは「自由」を重んじた作家と思われています。彼の最も有名な作品は、ベートーヴェンの『第九交響楽』終楽章に引用された詩『歓喜に寄せて』なのは間違いありません。友情と、人類愛の崇高さを高らかに歌い上げる詩。
 
あるいは、太宰治の『走れメロス』も、古代ギリシアの話ではありますが、元々、シラーがあの題材を基にした劇詩を、彼なりに翻案したものだと言われています。友情と、横暴な権力への反抗心は、そのまま、シラー作品の一面でもあるのは確かです。
 
しかし、『ドン・カルロス』は、そんな思い込みをいい意味で打ち砕いてくれる作品です。


 
舞台は、16世紀スペインの宮廷。「日の沈まない国」と言われ、強大な力を持つ偉大なスペイン王フェリペ二世が君臨しています。彼の息子、ドン・カルロスは、かつての婚約者にして今は王の若き後妻、妃エリーザベトへの恋を断ち切れずにいます。
 
カルロスの親友で、フランドル地方へのフェリペの圧政をなくそうと画策するポーザ侯爵。王の腹心で冷徹なアルバ公爵。そしてカルロスに片思いしながら、王妃のカルロスへの気持ちを知って陥れようとするエポリ公女といった人物が、それぞれの思惑によって動き、宮廷に陰謀がうごめくことになります。

『ドン・カルロス』に基づく
ヴェルディのオペラ『ドン・カルロ』
1884年のミラノ・スカラ座での上演舞台画

 
この中で興味深い人物が、ポーザ侯爵でしょう。非常に有能且つ勇敢、同僚の評判も最高です。その評判がフェリペ二世の元に届き、二人は面会することに。全く臆することなく、自身の理想と国家の統治について述べるポーザに感銘を受け、フェリペ二世は、彼を重用することを決めます。
 
全五幕のこの作品の、ちょうど中間に位置する第三幕の幕切れでの、この二人きりの対話は素晴らしい熱量を持っています。まるで、若手の有能な社員をビッグ・プロジェクトに抜擢する社長のよう。スペイン宮廷版『課長 島耕作』といった趣です。
 
そして、後半は、このポーザを中心に劇が動いていくことになります。何せ、カルロスは、民衆の人気はあるけど、キレやすく、政治はそっちのけで王妃への恋にうつつを抜かしている男。権力闘争と国家経営の厳しさを知っているフェリペ2世が、ポーザを重用したくなる気持ちも分かります。
 
そして、ポーザは、巧みにエリーザベトを説得し、カルロスの気持ちを上手く操ったり、王と諮って秘密の逮捕状を受け取ったりと、まさに島耕作ばりの、八面六臂の活躍です。しかし・・・。



驚くべきは、終幕でしょう。今までの前提が全て覆されるのです。優れた権力者フェリペ二世が「私の初恋」とまで呼んだポーザについて。そして、背後で全てを見ていた、驚くべき人物。
 
ポーザ侯爵は、この劇で唯一現実には存在しない、シラーが創りあげた人物です。そして第三幕での王との対話でポーザが述べたのは、自由のありよう、世界市民という概念と、その拡張であり、現在の国際連合やEUといった共同体の理想にも通じる言葉でした。それは、シラーの理想でもあり『歓喜の歌』の根底にあったものでもあるはずです。

今人間が自らに立ち戻り、
自らの心の価値に目覚め ー自由という
高貴な、誇らしい徳が栄えるとき
陛下、陛下がご自分の王国を
世界で最も幸福な王国となさったとき
そのときこそ、
世界を従わせることが
陛下の義務となります

青木敦子訳


しかし、恐ろしい種明かし、そして、全てが凍りつく結末により、この理想の言葉は宙づりになってしまいます。


 
そして、それゆえに、この劇は価値があるのです。理想や自由といった言葉は、それだけでは価値を持ちません。それが具体的に、どのように広がっていくのか、その過程にこそ意味があります。
 
この作品の人物は、皆、自由と理想を求めても、それを簡単に手に入れることが出来ず、苦しんでいます。叶わぬ恋に悩むカルロス、エリーザベト、エポリ。理想をがむしゃらに手に入れようとするポーザ。そして、強大な力を持つ王フェリペ二世もまた、権力者の孤独、そして、偉大な先王にして、自分が権力を奪ったカール5世の影に怯えています。

舞台劇『ドン・カルロス』に基づく挿絵

 
なぜこんなにも、理想と自由は、彼らから遠いのか。それは、各人の望みと見ている光景があまりにもかけ離れていて、複雑に絡まりすぎているからです。
 
スペインの宮廷の恋物語は、私たちにとって、身近な生活からかけ離れた世界でしょう。しかし、私たちは自分たちの自由や理想が簡単に叶わない場面を、沢山見ているはずです。

そこには、こうした複雑さがあるはずです。きっと私たちは、現実が複雑であることを知ったうえで、理想や自由を求めていくべきなのでしょう。


 
「アランフェスの麗しい日々は終わりになりました」という台詞から始まるこの劇は、まさに、何も求めなかった幸福な時代を過ぎ、自分たちの自由と理想を手に入れようともがく人々のドラマです。それゆえに、現代の私たちにも強く迫ってきます。
 
自由とは人によって違う多様なものであり、それゆえにまた、あらゆる匂いが混ざって芳醇な香りをたてる、美しい概念でもあるのでしょう。劇の面白さを楽しみながら、そんな複雑で美しい香りが味わえるのが、この悲劇『ドン・カルロス』なのです。


今回はここまで。
お読みいただきありがとうございます。
今日も明日も
読んでくださった皆さんにとって
善い一日でありますように。
次回のエッセイでまたお会いしましょう。


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