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東京アダージョ:鳩を売る、卒業の頃 II

東京アダージョ:鳩を売る、卒業の頃 II

ラブレターのお手本

風紀委員の週番は、水窪さんと2人で並んで朝早くから、それは、正門か、それ以外のどれかの門の前でするので、考えてみれば、そこで、どうでも良いことをいつも、話していた。

ある時、水窪さんに「ラブレターをもらったことあるの?」と聞かれた。    「あるけど」                           「たくさん、もらった?」                     「うん、たくさん、もらったけど、、それ、1人だけなんだよ」    

その書き方を知りたいので見せてほしいということになった。 
「で、誰から」                          「あの、るみちゃんだよ。小学生の時の知っているでしょ」      「私はね、6年の時の3学期に、転校して来たら、顔は思い出したけど、るみちゃん、よくわからないのよ」                    水窪さんのお父さんは、いわゆる官僚だった、だから、今までも転校も多かったそうだ。
その前は、外国の日本人学校だったそうだ。
ただ、るみちゃんも大阪から転校してきたし・・・あたらしい世界で、友達を作るのは、だれでも大変だことだ・・・               そんな次第で、小学生の友だちで、隣の学区の中学にいる、るみ子から、もらった、その手紙を参考のために見せる羽目になってしまった・・

「それをお手本に書いても、絶対うまくいかないよ。まず、漢字が違ってるし、ひらがなが多いし、文章も・・」と言ったが、まず、この自分が、人のことを言えたことではないが・・・
まずは、このあたりを言うと、誰しも「おまいう」と言うだろう。  

(註)今なら、個人情報保護法もあるが、いやその前に、倫理的な問題がある。ただ、るみ子は、ぼくの音声カセットテープをクラスで聞いて、笑いをとった奴だ、だから、いいかとも思った・・ただ、後から、よく考えれば、るみ子の家に、当時のカセット・レコーダーがあるはずもないのだが・・・

そのすぐ後に、水窪さんは、朝、週番の前に、うちのお母ちゃんに笑顔で「朝早くから、失礼致します。勉強のことで・・・」と言い、早朝に家の中まで上がり込んだ。
その手紙を参考のために、見せてと・・・かなり、強引だった。    「ここに、『大きくなったら、結婚しよう』って書いてある。」    「あっ、だっけ」                         「もう、いやだぁ」                        「なんで・・」                          「これ全部、借りておくから」                   「なんで、、もう、ほんとやめて・・それじゃ、るみちゃんがかわいそうだし・・」                             「聞いちゃった。そうなんだ。大事に取ってあるのねぇ・・・」    
「だって・・」                          「ちいちゃんは、そんなにも、るみちゃんが好きなのね。」        
「それ違いますから、ただ・・・」  
・・・ 

知的な人と、そうではない人

「ちいちゃん、教えてちょうだい。知的な人と、そうではない人とどっちがいいの?」                            「はい、知的な人です。」即座に言ったが、確かに、それは、自分にない部分だろう。

ただ、それは、思春期というものかも知れない。
    
るみちゃんに申し訳ないと思いつつ、るみちゃんのあのおせっかいは、うんざりしていた事を思い出した。
ただ、性格は、自分にとっては、特別、良いのだけれど・・・

水窪さんは、歳の離れた姉妹で育ったので、男の子の前や人前では、緊張から、顔が赤くなって、うまく、話せないので、寡黙で、いわゆる、おとなしそうに見えるのだけだそうだ。                    それで、お母さんと病院にまで、行ったこともあると言っていた。(結果は、なにも問題はなかったそうだ。とその時は話していたが・・)                      
「でも、ぼくの前では、そうじゃないじゃない」           
「だって、ちいちゃんは、男じゃないもの・・」            
「ええっ、そりゃないよ」
ただ、ほんとうにそうだったのかも知れない。 
いつだったか、2人で週番の朝、遅れてきて、            
「ごめん、はじまっちゃって・・」                 
「えっ、何が・・あっ、生理・・」                 
「ちいちゃん、いやらしい」                    
「えっ、あっ、やっぱり、生理になったの、それ、痛いし、辛いんだよね。大丈夫、ここに立ていられる?椅子があるといいよね」             「もう、いやだぁ・・」

その時は、自分も、女家族で育っていたので、いつも、生理の辛さをのべつ聞いていたし、自分が、小学生の時は、男の子なのに、薬局に生理用品を買いに行かされたことも、よくあったことで、、お互いにその話で盛りあがった。「小さい男の子が、それは、あまりにかわいそうというものよね」   「うん、今考えるとね・・」

その後に、水窪さんには、「なよなよと軽い」ところが、よけい気軽さと安心感があると、知的で分析的な視点でまじめな顔で言われた。    

成績順位の掲示

その水窪さんは、期末の時に50番目まで、学年の成績順に貼り出されるのだが、いつも、10番以内には入っていた。                試験は、概ね学年は、500人以上はいたが、50番まで掲示板に貼り出された。(この学校では、もしかしたら、日教組は機能していなかったのかも知れない)                                自分は、1度、試験の時間割の曜日と科目の縦軸と横軸を間違えたことがあり、学年で、48番(3名いた)で貼り出しの末尾だったことがあった。  
ばか、だから仕方ないが・・普通、それは、初日は間違えても、2日目は間違えないだろう・・・
その時も、50番までの成績順位の最後に載るのは「なんでなのよ、かえって、目立つわよね」と水窪さん、すんなり言われた。               
「だって、家庭教師いるんでしょ?」                
「水窪さんだって、同じじゃん」                  
「だから、お願い、学年で10番内には、いつも入ってよ」    「私、、、私の父には、出来る人でないと困るのよ・・」      
 こいつ、何考えてんだ。
「・・・」                        
「ある程度でいいのよ、だから・・」

ただ、このあたりでは、本当に優秀な生徒は都内の著名な私学や国立の中高に進学していた。
試験期間中も、自分の周辺の知るかぎりみんな勉強する奴はいなかった。
当時は、どこでもそうだろうか?                   ただ、いずれにしても、順位とか、偏差値とか、もう、本当に、それ、どうでも良いことだろうと思っていた。 

その、どうでも良い事だが、もう1つは、自分は風紀委員に立候補したことはないのだが、組織票なのか、自分は、クラスの風紀委員に毎回させられた。
朝早く登校して、みんなの服装とか、詰め襟は外れてないか、帽子の被り方とか、ハンカチの検査まで、誰でも実に嫌な役だ。

そんな次第で、いつも、自分と、もう1人が、その利発で、一見、控えめで、寡黙そうな女子が、その水窪さんであり、この2人がいつも、校門に、並んで、真面目な顔で、いやな役回りの風紀委員だった。          それから、学校前の斜め前の元診療所の古い建物が自分の家だった。
男子からは、「朝早く登校してもいいじゃんか、同じ時間に俺らだって家を出る訳だし・・」、となる訳だ。                   自分なら、もしなんかマズイ事があっても「まあ、いいか」という、曖昧な性格を見込んでそうなるのだろう・・                 なんでもかんでも、誰もやりたくない役を、多数決で決めるのは、どうなんだろう・・と当時は思っていた。
また、話がだいぶ逸れてしまった。

・・・・・

話を戻すと・・

自分と河田との共通点

とにかく、自分と河田との共通点を探せば、学校は、嫌で、少しも好きにはなれる要素はなかったと言うことだろう。
それから、どちらのお母ちゃんが、とにかく、うるさいこともあり、よく、母親の愚痴を言い合っていた。うちは、祖母と母と姉たち、そして、唯一の男の自分という女系でまとまり、父は、単身赴任や、居ても、連日のように夜勤のある仕事で、まず家には、いないことが多かった。その辺も、母と子の家庭の河田と似ていたのだろう。

いつだったか放課後、母が絵を描いていた元診察室にあたる場所で、深刻な顔で河田は、うちのお母ちゃんの絹本に日本画を描く仕草を黙って、眺めていた。確かに不思議なシチュエーションだったのだろう。
その後、お母ちゃんがお汁粉を、ぶっきらぼうに「召し上がれ」と床に置いた。
この部屋に机はないのだ。それを正座して、河田は食べていた。
そして、「これ、うま、美味しいっす」と河田は言った。        お母ちゃんは、少し笑顔を浮かべてうなずいた。

自分も、何回か、河田のアパートに行った事がある。          河田のお母ちゃんは、いつも、昼は寝ていて、その都度、「おばちゃん、病気だからごめんな」と辛そうに起き上がると、冬でも、ジュースを出して、湯呑み茶碗にそそいでくれた。気づかいのある、いい人なんだと思った。
しかしだ、母と子の2人家庭の河田は、自分のものは、「お金がないので、万引きするしかないよ、母ちゃんに迷惑をかけたくないしさぁ・・」  「けどさ、まずいじゃんか、いつも、それは・・、余計に河田のお母ちゃんが苦しむじゃんか・・・・」

・・・・・ 

卒業まじか

卒業まじか、都立校の入試の日には、私学進学や、僅かだが、義務教育で働く人が教室で、自習してたそうだ。いや、入試の日ではなく、入試の書類を出しに行く日だったか・・

その時、毎日、担任や、それ以外の先生が来て、思い出の話をして、自習になるのだが、風紀担当の先生が、河田の遅刻の多い話をしたそうだ。  「河田に理由を聞くために呼んだら、風紀委員の浅田も、ついて来た。  河田が、『ええ、そうです。すみません。けど、もう、どうでも、いいっす』と言う。」                          「私は、怒鳴ると・・すかさず、浅田は、『夏も暗いうちか、朝刊を配って、誰かが、急に休むと、それも配る、その配り先でも遅れたことで怒られる。それで、食事もする時間もなく、登校するが、遅刻になる・・・・・その河田は、ただ、母と子の家庭であるだけでなく、家計を支えている、むしろ、誉められるべき生徒だと思います。先生、どうか、そんな奴を責めないで、やって下さい・・・』と、こう言うんだな、その部分だけは、全くその通りだ。            
あの浅田がだよ、まるで別人のような立派なことを言う。」(笑)

ここで、自虐的になるが、付け加えると、それは、以前に、1年次の初めに音楽の授業で指揮を教わり、順番にすることになった。いつも最初は、名前の順から、自分であった。しかし、たった1回、教わっても、指揮棒の振り方なんて解るはずもなく、感情移入して、メチャクチャにやって、笑いは取れたが、、それから、どういう人間なのか、みんなに理解されてしまった訳だ。
その軽率さから、風紀委員会の報告は、いつも、水窪さんの役割だった・・・                              それは、社会人になっても、同様で、部署のトップから、「喋らなければ、利口そうに見えるのに・・」とよく言われた。

今日の話は、これで終わりだ。あとは、卒業アルバムと、それぞれの自習だな・・・   
そこで、水窪さんの拍手で、盛り上がったと言うのだが・・・・
その時、女子生徒から、今、河田君はどこにいるんですか、と質問があったそうだ。「他、、よその中学に、ただ、転校しただけさ」と、その教師は、言ったそうだ。                           この話は、明くる日、水窪さんに聞いたが、河田に頼まれただけなのに・・・なんとも、正義感の人のようでかえって、恥ずかしい思いだった。

中学の卒業式

しばらく経って、3年生の3月初めの中学の卒業式になり、それは10時からなので、その時間に行けばと思っていたら、それは開始時間で、あの学年委員の峯田が、向かえに来たので少し遅れて行った。                     家が学校のすぐ前だから、そうなった訳だが、だいぶ気まずかった。  「あっ、そうか、時間を間違えたよ」                「それより、水窪恵子さんがお待ちかねだよ・・・」         「ええっ・・」                          「バレンタインデーのチョコレートケーキ、2人で食べて美味しかっただろう・・」                             「なんで、それ、知ってるのさぁ」                 「クラスの女子はみんな知っているよ、、ただ、これからは、文通だな・・」                             「それ、違うんだよ、水窪さんのお母さんと3人で・・・でも、なんでそれ知ってるのさ」                          「ちいちゃん、女の子は、みんな、おしゃべりなんだよ」       「なんだね・・・」

 ・・・

学年委員の峯田は、自分のコサージュを外して、そして、それを自分の胸の2年生の女子の学年委員がコサージュを付けてくれた。         それが儀式のシーンように、いや、儀式なのだろう。          名前の順であり、自分は最初に歩くので、そうしてくれたのだ。    「それいいよ、要らないから」                   「そういう訳にいかないだろうが」                 「河田いないね」                         「ちいちゃん、人の事より、これからの自分の事だろ・・・・・」
・・・
 あたりを、見渡しても、もう、河田の顔は、どこにもなかったし、もう、みんな河田を忘れてしまったのだろうか。                   それにしても、河田やあの鳩は、あれから、いったい、どこへ行ってしまったんだろう・・

どうあぐねても、不幸を背負った旅立ちの動きは止まらない。


それから

高校生になって、しばらくして、水窪さんから、何通か、近況を書いた、実に几帳面な手紙がきた、その中の1つには、自分に風紀委員の組織票を仕組んだのは、「私だったの」と書いてあった・・・・             
それから、ご自身のメンタルの病名と症状が詳細に書いてあり、病気と付き合って生きていくことも、書いてあった。

そして、大学生の頃は、「私は、病気を背負って、生涯独身で生きなければならいの・・」と書いてあった。
ただ、そう言われても・・・・・誰しも、自身の人生をどう描いても、社会に解答はないので、自分のシナリオ通りにはいなかい訳だし・・・
ただ、あまりにかわいそうになり、だいぶ困ってしまい、当時、お付き合いのあった親切な先輩のエリさん話すと・・・・                    
そこから先は、どこかで、また、機会があれば続きます。いや、もう、この話、いいですね。

・・・・・

ですけれど、その一言だけ書いておきます。
「キブツに2人で行くのよ、それで、彼女が少して、なじんだら、君は、1人で逃げて来るの」---これって、この意味分かります(?)
ただ、最初、キブツと聞き、イスラエルより、円空仏を思い出した・・・

水窪さんは、幼い頃から、いろいろな海外での集団生活で、その人柄から、多くの気遣いが、要因したのかも知れない。 
ただ、ただ、水窪さんの病気も時間が完治へ導いてくれるいいのだけれどと願っていた・・・


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