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ドクメンタ15 ルアンルパのルンブンとノンクロン


カッセルという街へ行ってきました。
ドクメンタを見るために。

と書き始めていいかげん4度目。
やっと現在のドクメンタの話に。

前回までのお話はこちらです。
  


「世界でもっとも重要な現代アートの国際展」と呼ばれることもあるドクメンタは1955年、戦争によって失われてしまった現在を取り戻すために開催され、時に賛否両論を巻き起こしながらも、今日まで同時代における芸術の意味を問い続けてきました。

2022年、15回目となる今年のドクメンタでは、全体のテーマと方向性を決める総合ディレクターに、ドクメンタ史上初のアジア地域出身、しかも個人ではなく、アーティスト集団が選ばれます。

インドネシア出身の「ルアンルパ」というアーティスト集団です。


いや、アーティスト集団て、なんでしょう。
アーティストグループのことでしょうか。


この語「集団」は英語で「コレクティブ」と呼ばれる単語です。「グループ」と「コレクティブ」の語意の違いは、それほどはっきりとしたものではないようですが、もともとの語源をたどってみると、「グループ」はラテン語の「まとまり、丸、量塊」といった意味から派生した語で、「ひとつにまとまったかたまり」といったような意味合いがあるのに対して、「コレクティブ」は、例えば「コレクション」と同じ語源を持ち、より「集まっている関連性」としての意味合いが強いと言えます。

なので、言ってみれば「グループ」とは、ある特定のメンバーたちによるまとまり、と言え、それに対して「コレクティブ」は、ある関連性を持ったメンバーたちのつながり、と言えます。

端的に言えば「まとまり」か「つながり」。そして今回のドクメンタはコレクティブ、つまり「つながり」によってつくられました。


ルアンルパ自身がそうであるように、ドクメンタ15には世界中からたくさんのアーティストコレクティブが参加しています。そして彼ら参加コレクティブの多くがグローバルサウスと呼ばれる地域出身であることが特徴的です。


ふむ、グローバルサウス。

聞いたことがあるようなないような。

グローバルサウス、とは、一言で言えば、世界のグローバル化の犠牲となった発展途上国の総称です。


なるほど、
でも、それはひとつの美術展を見るために、知らなければならないことなのでしょうか。


そんなことはありません。

ひとつの美術展を見るために必要なものなんて、一枚の入場券くらいなものです。


ところで入場者数が世界で一番多い美術館として知られるパリのルーブル美術館の開館は1793年。つまりフランス革命下、ルイ16世がギロチンにて首を落とされたその年に、それまで王宮として使用されていたルーブル宮殿が、ルーブル美術館として一般に公開され、正式に開館します。

フランス革命以前の時代はおおまかに中世と呼ばれ、教皇や貴族などが国を治めていました。聖職者が人口全体の0.5%を占め、貴族が1.5%、様々な労働者が18%おり、残りの80%は農民でした。平たく言えば、98%の平民と2%の特権階級がおり、その2%の特権階級が国土の約40%を支配していました。

さて、現在では、世界の人口の1%の富裕層が地球上の個人資産約40%を支配しているそうですが、大別してみると、世界人口の25%にあたる「先進国」の人たちが、地球上の全収入の約80%を得ており、残りの収入約20%を世界人口の75%にあたる「途上国」の人たちが分け合っています。

こうした先進国はグローバルノースと呼ばれ、それに対して途上国はグローバルサウスと呼ばれています。グローバルサウスはアジアやアフリカ、ラテンアメリカなどの地域に分布し、その多くは現在、先進国と呼ばれる国々にかつて植民地支配されていた歴史を持っています。

それらの国々は、植民地支配から独立した後も、工業近代化の遅れを取り戻すことができず、先進諸国に経済的に従属する必要があり、国内も政治的に不安定である場合が多くあります。

つまりはグローバリズムという新手の植民地主義によって、こうしたグローバルノースがグローバルサウスを搾取するような構図は、近代国家形成期の植民地主義時代から現在まで変わらずに続いている、といった専門家の指摘があります。

さて、日本は先進7か国、つまりはG7の一角をなすほどの世界を代表する先進国のうちの一国ですが、それとは対照的に、今回ドクメンタのディレクターを務めるルアンルパの故郷、インドネシアはグローバルサウスにあたります。

そしてインドネシアもやはりかつて植民地国でありました。


+


インドネシアは、東南アジア南部に位置する1万3000以上の島々からなる共和制国家です。面積は日本の約5倍、人口は約2億5500万人と世界で4位にあたり、様々な言語を話す300以上の民族が共に生活している多民族国家です。

多くの言語や文化が交わりながら共存しているインドネシアの環境は、ルアンルパの芸術的思想にも大きく影響を与えています。


indonesia


ルアンルパがインドネシアで結成されたのは2000年前後、ちょうどそのころ、インドネシアは国としての大きな転換期にありました。30年余りにわたって長期独裁体制を続けてきた大統領の不正や汚職に対して、国民の不満はついに爆発し暴動に発展、学生たちを中心にデモが各地に広がり、政権は転覆します。

90年代半ばに美術大学の学生であったルアンルパのメンバーは、こうした社会の転換期に、それまでの独裁政権時には感じられることのなかった新しい文化的自由を追い風にして、首都ジャカルタの街でさまざまな芸術の実験的活動を試みます。

コレクティブの主だったメンバーは10人。彼らはアーティストであるだけでなく、ミュージシャン、建築家、ラジオアナウンサー、イラストレーター、カラオケDJ、政治学者、写真家、二児の母、経営者、グラフィックデザイナー、絵本作家など、多様な顔を持っています。

ルアンルパのメンバーはそうした多面的な活動の中で、幅広い分野の人たちと関り合いながら、従来の作品制作や展覧会開催だけでなく、映像祭や出版物の刊行、ラジオ放送などを通して、ジャカルタの社会文化史の変容と視覚芸術との関係について言及し、土地とそこに生きる人たちとの交流の中に芽生える芸術について、さまざまな角度から考察しています。

またそうした活動は枠を設けることなく次々と伝播し、そのゆるやかなつながりはさらなるつながりを呼び、次第に国境を越えてあらゆる土地のコレクティブと協働し、多くの国際的な学際会議や芸術祭に招待されるようになります。彼らの相互作用的なネットワーク構築は、自然発生的でとても独特なものでした。

ruangrupa, Ajeng Nurul Aini, farid rakun, Iswanto Hartono, Mirwan Andan, Indra Ameng, Ade Darmawan, Daniella Fitria Praptono, Julia Sarisetiati, Reza Afisina, 2019, Foto: Gudskul / Jin Panji


なぜルアンルパにはそんなことが可能だったのでしょう。


ルアンルパが大事にしている価値観に「ノンクロン」と「ルンブン」と呼ばれるものがあります。「ノンクロン」はインドネシア語で、なんの気なしに人が集まって話す、というような意味を持っています。いわば、たむろする、といった感じです。ルアンルパは常に、人とのコミュニケーションをその活動の基盤とし、上下関係のない、相互に作用が可能なフラットな関係性を作ることを大事にしています。

また「ルンブン」とは、お米の貯蔵庫を意味します。インドネシアでは収穫したお米の余剰分を各農家がルンブンに収め、共同体のみんなで分け合います。ルアンルパの活動におけるルンブンに収める収穫物とは、世界中のさまざまな協働コレクティブとの交流や活動の記録、各自の知識や経験などの知的財産を含めたものです。

つまり、ルアンルパの考えの基盤になっているのは、ノンクロンからルンブンにおける開かれた交流、共有、共同、分配、という循環的な一連の流れ、それはひとつの持続可能な知的文化資源の共有と相互の共存という考え方です。


Iswanto Hartono, lumbung Zeichnung, 2020



「中心」なんて考え方は、今の時代もう古臭いでしょう。私たちは閉じたアートの世界の閉塞感を乗り越えたいんです

ruangrupa



「まとまり」には枠があり、ゆえに中心があります。それに対してルアンルパが標榜する「つながり」には中心がなく、枠がありません。それはあくまで、相互作用的な流動のあるつながりで、交差的な視点が前提となった連帯です。

ルアンルパは声明の中で「自分たちは(インドネシアという国やアジア、もしくはグローバルサウスの)代表としてここにいるわけではない」と言っています。


彼らは笑いながら、

インドネシアは、代表という考えを持つには、あまりにも大きく、多様性に富みすぎています

ruangrupa


多様性が過ぎることをジョークにする彼らが生まれ育ったのは、無数の島々からなり、無数の言語を話す、無数の異なる民族が共に生きる土地でした。


+


さて、アートの世界の閉塞感を乗り越えようとするルアンルパの挑戦は、国や階級や流派やジャンルというまとまりを超えて、現代のアートの新しい地平を見せてくれるのでしょうか。

結論から言えば、彼らのこの挑戦は、この国の根幹に大きな一石を投じることとなりました。そしてその波紋はかつてないほど大きなものとなって広がって、その余波はカッセルから遠く離れたアジアの東端にある島国にまで届くことになります。



つづく






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