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2023年の芸術療法学会と芸術療法セミナーを振り返って




こんにちは。もうすっかり涼しくなりましたね。

去年の秋にこんな記事を書いたのですが、

それから約一年。今年9月の芸術療法学会にはシンポジストとして、
10月の芸術療法セミナー2023には講師としてご招待いただきました。

そんなわけで今秋は(もちろん同時に常勤の病院での仕事もあり)目が回るほど忙しかったのですが、自分にとってこれ以上ないくらい、学び、言語化し、経験させていただいた季節だったように思います。

このような機会を下さった芸術療法学会の先生方、そして私の拙い発表や講義を聞いてくださった方々には、感謝の気持ちでいっぱいです。

また、会の合間の時間にたくさんの方々が話しかけてくださったおかげで、素晴らしい出会いにも恵まれました。

海外でアートセラピーを学ばれた先生、医師の先生、看護大学の先生、作業療法士の先生、心理士の先生、プロのアーティストさん、美術大学の先生、ソーシャルワーカーの先生、学生さん。

その出会いはいろんな可能性を膨らませながら発展していっており、
今後またnoteでもお知らせすることができそうです。


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今年の学会やセミナーで皆さまとお会いして感じたことは、
いまこの領域に携わる人々の間に、「この国のアートセラピーの状況をもっと、よりよいものにしたい」という大きなうねりのようなものが生まれているということです。


他国のアメリカやイギリス、カナダやオーストラリアなどではアートセラピーの理論化や教育制度が早くから確立されており、アートセラピストの資格制度も整備されていることが知られていました。それに比べるとアジア諸国は導入が遅れていることも。

しかし今年の学会では、お隣韓国の芸術療法学会の会長が来日され、アートセラピストの大学機関での教育制度、資格制度が急激に進んだ(というか完成した)ことを報告されました。
それは、日本とは比べものにならないほどしっかりと、社会に根付いた資格でした。


日本のアートセラピーはいつの間にか、アジアの中でも随分と遅れてしまっていたのですね。

本当は団結して学びあい、力を合わせて課題解決すべきところを、現状は多くの流派があちこちで乱立し、それぞれの団体がそれぞれの資格制度を制定している。

対象も分野も異なり、提供しているサービスもクオリティもバラバラ。
まるでひと昔前の心理士資格のようです。(今は無事国家資格になりましたが)


それは裏を返せば、「様々な分野、スタイルでアートセラピストを名乗る人が活躍している」「様々な現場で多くの人々にアートセラピーの需要がある」「それぞれのアートセラピストが自由に自分の信じるアートセラピーを行っている」ということでもあるのですが、

「大人の塗り絵」みたいな趣味的なものから、精神療法まで、いろんなレイヤーの「アートセラピー」が入り混じっている。そしてそれぞれの「アートセラピスト」が、自分のやり方こそが「正しいアートセラピー」だと主張しているところもあり。

世間一般に浸透している定義や指針があまりに曖昧すぎて、訳が分からない状態になっている。どんな仕事をどの程度任せていいのかもわからない、安全性も理論も効果も不透明。
これではユーザーやクライエントに安心して利用してもらえないのも当然です。

欧米のように「アートセラピスト」という職種が、心理や医学の専門知識を持ち、人の心を扱う専門家として、医師や看護師やコメディカルと協働して治療にあたる人であると認識されるためには、いくつもの高い壁が立ちはだかっているというのが現実だと思います。


みなさんそれぞれの現場で、効果を実感し、実践を続けながらも、社会的な枠組みの制限のなかでもどかしい思いをしている。
誤解されたり、見下されたり、対立しあったりしている。

そういう現実をなんとかしたいという強い思いを、日本芸術療法学会で出会った方々からは感じました。

そして私自身もそう思っています。使命のように思っていると言ってもいい。



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私は今年の芸術療法学会で、「これからの芸術療法学会」というお題をいただき、
新参者にも関わらず学会の今後について話すというとんでもない役目を背負ったわけですが、
イギリスで資格を取得して、日本の総合病院の精神科で心理師として働く身として、お話しさせていただきました。それはもう、包み隠さず赤裸々に。笑


この現状を、「現場に立つ私たち1人1人が変えていくのだ」ということ。組織や社会が変わってくれるのをただ待つのでなく、私たち自身の手で。
そのためにまずは「現場に適応し、積極的に学び、求められるものに応えながらも、丁寧に成果を出し続け、患者さん、同僚、組織と1人でも多くの人にアートセラピーの力を知ってもらう」ということ。そして、「社会への説明として、エビデンスと共に正しいアートセラピーを発信していく」こと。

何より、今は前例もなく、風当たりも強く、理解されなかったり誤解されたりする中で、孤独に奮闘するアートセラピストさんたちに、「ひとりじゃないよ」と伝えたかったのです。そして歴史を紐解けば、今は最先端と言われるUS・UKのアートセラピストも、同じ苦しみを乗り越えてきたんだということも。


芸術療法セミナーでは、イギリスの研修制度や社会的背景と、日本の現状とを比較し、日本の今後の研修制度がどうあるべきか、何が必要なのかということをお話しました。


そして今回新たに繋がったアートセラピストさんたちとは、
日本の今後のアートセラピストの教育制度、資格制度、SV(スーパーヴァイズ)制度、実習制度をどうしていくべきか、そのために私たちに何ができるかということを話し合っているところです。


私自身は、まずは日々の臨床、論文と研究をベースにやっていきながら、
ご縁をいただいた場所で講義をしたり、仲間の先生方と研修のカリキュラムのようなものを創り上げていったりするところから始めようと思っています。

ひとつひとつ魂を込めながら。


学会でご縁を頂戴し、とある大学でも講義をさせていただいたのですが、
その時に「そもそも日本のアートセラピーにこの“先”はあるのですか」と聞かれて、
「あると思います」と、一瞬の迷いもなく答えた自分がいました。
「私たちがまさに今、ここで、その道をつくっています」と、付け足したいくらいでした。


それは医療の分野に限らず。


AIが隆盛を誇り、1が一瞬で100にも1000にもなる時代に私たちは生きています。
これまで人間がやっていたことの多くが、機械にとって代わられていくでしょう。

その中で、“0から1“を生み出すということ、その力、創造力は、これからますますその真価が認められるようになる。

人を病名枠に無理やり押し込めるような精神科の診断も、マニュアルベースで正解ありきの心理療法も、スマホひとつでこと足りるようになるかもしれません。

でも、データにならない対象、定式化できない“生きているこころ”を扱う職業は、人がこころをもって生きる限り絶えることはないはずです。

物差しやカテゴリや記号や数値では理解できない、ありのままのその人の、世界に一つしかない豊かな内界を理解するために、
アートセラピーは必ず役に立つと思います。


もちろん、アートセラピーだけが治療ではないし、世界的にみても、「総合的な治療の一環」として用いることが推奨されていますから、アートセラピーだけ学んでもダメです。不十分で危険極まりないです。

クライエントの心に触れる専門家であるなら、臨床心理学や精神医学を学ぶことは必須です。アートのスキルももちろん、自己理解を深めるための研鑽も欠かせません。その他自分が働く領域や組織に特化して必要な知識や技能をしっかりと身につける必要があります。

その他の心理療法や社会支援、治療法も学び、アートセラピーに向く人、向かない人もきちんと見極め、それぞれのクライエントに必要なケアを紹介できるようになることも重要だと思います。(私はその他の心理療法も学びますし使います)


一緒に働く人、目の前のクライエントのことを尊重し、1人でも多くの人の幸せに資するように日々を積み上げていく。謙虚に学び実践し、振り返り、また謙虚に学び続けていく。価値あるものを提供できるセラピストになるために。そういう心構えでやっていきたいです。


そんなわけで、今年の秋は、自分の中にまた新たな火が灯ったように思います。

この火を大切に、引き続き、研鑽を積みたいと思います。

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