母の日と父の日、無理だなぁ…

いつもの自語り日記です。

心の弱ってる方や人から負の影響を受けやすい方は
辛くなったら読むの中断して休憩してね。

この時期に思う事

家族で祝う、家族で過ごす、
家族に感謝の言葉や物を送る。
そういうイベントが年間でいくつもある。
その日が近くなるとこぞって花だのお菓子だのを
ショーウインドウに派手に並べて
お祝いや感謝のメッセージを添えて
プレゼントするよう、各方面から力強く促してくる。

どこもかしこも、キャンペーン。
定期的に届く通販サイトのメルマガとか、
SNSの広告とか、セールとか。
「プレゼントはこちらの品でどうですか?」
平和的な時間を共有できて、定期的に互いを
思いやり祝えるような、温かいご家庭前提。

ろくでもない機能不全家庭で育った自分には無縁の世界。
だから毎年この時期こういった文面を見かける度にウンザリする。
両親どっちもろくでもない家の出身の肩身の狭さたるや。
恨みこそすれ感謝など。どの口なら言えた物だろう。

我が家の日常

幼い頃から、外から持ち帰ってきた怒りをブチ撒けられ、
弟や妹のやらかしの後処理を押し付けられ
暴力を振るわれ、一度買い与えられた所有物さえ破壊され、
盗まれ、禁止され、脅迫され、罵倒され、否定され、
出てくるはずの飯も出てこない事が頻発して。

高校卒業直後に種違いの末っ子の育児を押し付けられ、
兄弟全員が常に親のご機嫌を伺い、
常に火気厳禁のガスで充満していたような息苦しい家の中。
あるいはどこを踏んだら爆発するかわからない、
地雷原や紛争地帯で生活しているような緊迫感の中。

明日の安全も保障されてないような生死の境目で、
安全地帯も逃げ場も欠片も存在しない家で、
「後先考えず産んで家に置いてくれて、気まぐれに
エサを与えてくれて、何度も躾の名目で命の危険に晒してくれて
感情のゲロ袋兼サンドバッグ兼奴隷として生かしてくれて」

感謝の気持ち、プレゼント、メッセージ?グロいご冗談を。

ロクでもねー父

今は亡き父は別の家に元々妻子がいたにも関わらず、
こっちの母に浮気して私を含めて5人ガキをこさえたらしい。
「仕事が忙しくてなかなか帰って来られない」という設定
土日に帰って来るかどうか謎という状態が日常だった。

当時は大きめの家に住んでおり、専属の運転手が居て、
そこそこの頻度で家事代行やベビーシッターを
雇う程度には経済的余裕があったらしいことから、
仕事が忙しいのは確かだったんだろうが、
向こうの家も同じ設定で並行して行き来していたんだろう。
なんて無駄なフィジカルとフットワークだ。
その元気と金であらかじめ離婚の話つけておけよ。バカか。

最終的にヘビースモーカーだった事もあり不摂生が祟ったのか
なんか知らないけど、自分が小4の頃に気づけば人工肛門だか
尿を溜めるパックだか下腹部辺りについており、立って歩くのも
覚束ない状態なってて、本格的に入院した総合病院で
向こうとこちらの母が見舞いで鉢合わせして
「どうするの!?」といった具合に修羅場になり、
「お前と同じ墓に入りたくないんじゃ」と向こうの家の妻に
父は病室の外に響くほどデカい声で言い放ち、
その後淡々と色々諦めた向こうの妻とこちらの母の
共同作業で籍の移行の処理などなされたらしい。
その後間もなくガンで死亡。という話を酒の席で
母の口からぶっちゃけられたのが20超えて少したってからだった。

それまで普通に多忙な仕事人間だったと鵜呑みにして
信じ込んでいたから、嘘と現実の落差で言葉を失った。
子がデカくなる前に、なんなら浮気という形をわざわざ取らずに
離婚という手続きをちゃんと踏むなり何なりすれば
こんな面倒事にならなかったものを。
そんな仕事だけで自分のケツも自分で拭けないような男を
子持ち女性二人が今後の生活や遺族年金のためとはいえ
奪い合いしてるのしょーもないな。
呆れるしかできない。

自分の家が「フツー」という基準

自分が幼い頃から、ウチの家族は子にネグレクトしつつ
時折異常なまでに過干渉な精神不安定な母と、
基本的には家族に無関心で、たまに子育てに口出しするし
突発的に怒鳴ったりするモラハラ父のバランスで、
それは実父の頃も、養父の頃も、更に次の養父の時もあまり
変わっていなかった。(絶縁した今はどうなっているかは謎)

毎回母が子育てのプレッシャーについて途端に空回りし、
家庭内という檻で、一番弱い立場で、抵抗できない
己が産んだ子に対し、過剰に期待や高望みをして失望して、
「裏切られた」という歪んだ受け取り方をして
虐待と呼べる行いに手を出してしまう。そういうパターンだった。

母自身も祖母祖父にそういうバランスで育てられたのだろう。
自分が幼い頃に「母(祖母)にデカい定規で血が出るまで殴られた」と
話していたのと、母と祖母の折り合いがずっと悪かったし、
祖父も厳しかったという話を聞いていたのを薄っすら覚えている。
私が育った頃にはどちらも亡くなっていたが…
根本的にその母の当時の家庭像が参考モデルにあり、
育てられた環境を居心地悪く感じていても機能不全だったとは
気づけないまま無意識的に参考にしていたのかもしれない。

末っ子に暴力を働いた件で自分が母を通報した際にも
「あれは虐待ではない、ウチにはここぞという時に
叱ってくれる、恐怖の対象となる父親役が居ないから、
私がその役割も担っている。怒鳴ったり叩いたり
本能的な部分で恐怖を感じさせてやらないと響かない」
などと後付けでごちゃごちゃと言い訳持論を展開していた。
この言葉からも「父はかくあるべし」という理想像を
己の父基準にしてしまっている事が汲み取れてしまう。

価値観がそこで長い長い年月の間、止まってしまっている。
外部の人間に窘められても何が悪いのかわからない。
母にとっての『父親』がそういうものだったから。
それを今更否定したら自分の成育環境の問題にも改めて
向き合わざるを得なくなる。途方もない解毒作業が必要になる。

だから、その場凌ぎ的に他の問題に向き合うことで、
その問題からは眼を逸らし続けている。
その「他の問題」は何かというと、今は陰謀論にご執心らしい。
風水、ダイエット、胡散臭いなんちゃか民間療法、
占い、サウナ、筋トレなど、これまで色々なものに手を出してきた。
それで全ての困りごとを解決しようとする。
自分で何とかしようとする。その他、
子供をコンプレックスを埋める駒に育てようと躍起になったり
後輩系イエスマンな年下を侍らせて優越感を得たり、
男と共依存的な状態に陥るなど、ベタベタで甘々な人間関係で
得た愛情で心の穴を埋めようと躍起になっている。

その選択肢に「他人に助けを求める」や「医療」は含まれていない。
気持ちの良い、渇望している魔法の言葉に耳を傾けて、それでおしまい。

最後に

まぁ、人生自体が死ぬまでのその場凌ぎだし、
その時間をどう消費するかそれぞれの自由と言えばそうなんだけど。

他人の人生に自分がどうこう言えるほど
自分の人生もマトモに舵取りできてないし、
結局は人のふり見て我がふりを可能な範囲で直していくなり
人生をマシにしていくために反面教師にするくらいしかできないな

マシにしていきたいね!己の人生。

ここまで読んでくれた方々の人生も少しでもよりマシになりますように。
お付き合いいただきありがとうございました。

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