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自分が中途半端かもしれないとか


意外にも、じぶんがほろほろと読まされている。

でも、あなたが、なぜ小さな子のお話を書きたがるのかが、わたしにはずっと分からなかった。

今朝、宮本松さんのお話読んでいたら、女の子を描写しながら、

「自分が中途半端かもしれないとか、このままの自分じゃ不十分かも、などと感じたことは一度もなかった」とあった。

https://note.com/miyamotomatsu/n/n6941a421eee5


あっ、そうだった。思い出したっ。

わたしも、一日の始まりをワクワクして迎えていた。

わたしの景色は、どこまでも雪の降る山奥。弟と野山を駈けていた。

最近、わたしには気になるお話がいくつかありますほろほろ。



1.まだ残ってる裸の感覚


それから、何年も経ちました。

ふたりの間には、肌の白い子どもがたくさん生まれました。

けれども、不思議なことに妻はけっして年を取らず、いつまでも若いままでした。


今夜はひどい吹雪です。

「まるで、あの日のようだ」

男は雪女のことを思い出しました。

「あなた、どうしたの?」

妻が尋ねてきました。

男は素直に答えてしまいました。

「ずっと昔、今日みたいな吹雪の晩、雪女と会ったんだ」


そのとたん妻の目が吊り上がり恐ろしい顔になりました。

「誰にも話してはいけないと言ったのに」

なんと、妻があの日の雪女だったのです。

雪女は、男をにらみつけて言いました。

「いますぐ殺してやりたいが子どもたちがいる。

いいね、子どもたちを大事にしなさい。

さもなければ必ず殺しに来るからね」

冷たい風が、びゅうっと吹きました。

雪女は白い氷の粒になり消えてしまいました。


以下から引用しています。

https://www.youtube.com/watch?v=UifS9QLPL1w

何度読んでも、背中、首がゾゾゾッてするのです。

話はよーく分かっている。なのに、読むたびに寒いモノが背中をザワザワと昇って行く。

雪女なんてこの世界にはいないんだ、と知っていてもかなり怖い。

なにか、原初のものがわたしに直接問うてくるような。

なぜなんだろう?雪女だから、怖いのかな?

ヘロヘロしたかのじょなら、絶対変身しないから絶対安全なん?

いや、弱っちいひとだからこそ、雪女よりも恐ろしいってあるかもしれないし。

いろいろ、考えてしまう。


小さかった頃のわたしに過去と未来なんか無かった。

裸の「今」が、こんなふうにわたしを駆動しました。

「今」は、呪われて無かった。

きっと、お話を書くあなたは、なにか忘れてはいけないことってあるんだって、それが何なのかをずっと訴えているんでしょうか。



2.ビビッドな裸の感覚


イスラエルによる空爆が続いています。

中国人の3歳ぐらいの女の子がその画面に釘付けになってる。

見ているスマホ画面には、ガザで苦しむ1、2歳の男の子が泣いていた。

スマホ画面からはアラビア語で声高な訴えが続く。

少女の目からボロボロ涙が溢れ来る。

女の子を若い父親が抱き、手でその涙を払う。

が、少女は悲しくて辛くて涙が止まらないのです。

https://twitter.com/i/status/1721374431338246584


少女は、ガザがどこにあるかも知らない。何が起こっているかも分からないでしょう。

なぜ、自分が泣いているのかも。

画面の男の子の苦しみを直接受け、泣いていた。

驚くべき映像でした。

こんなに小さくたって、人間にはもう十分な共感力があるんですね。

そして、いかにガザが惨状なのかの証拠ともなっている。

誰がどんなこと言ったって、在ってはならないことが起っているとその涙が伝えて来る。

見ているわたしの胸を、その無垢な涙がえぐった。



3.無情で残忍なこと


大きく成ると、親に守られていた頃とは違ってじぶんで何とかしないとなりません。

お金は足りてるか、病気になったんだろうか、子どもたちは大丈夫か・・。

ずっと「じぶんで何とかしないといけない」モードが続く。

と、ほらっ、心配、不安、イライラばかりになる。

それは、もう戻れない過去と、来るかどうか分からない未来との狭間で生きるしかないという圧迫感でしょう。

どんどん「今」が押しつぶされ、無くなって行くみたいな感覚に。


ガザの惨状を、わたしもテレビでは見ています。

泣き叫ぶ母、こぶしを挙げる父、血まみれな我が子・・。3万人以上が死んだ。

でも、見ているわたしは泣かない。チラリ目を逸らす。

だって、何もしてあげれないから・・。

いや、爆弾降るガザだけが悲惨なのではないでしょう。

身近でも、多くの孤立したひとたちが泣きこころ病んでいると思う。

仲間なのに、「じぶんで何とかしないといけない」モードが共感を駆逐するの?


大人になったわたしは、それは、幼い頃の話だ、幼い者の言うことだ、としている。

そして、生きる危険と不安をわたしの口は言うのだけれど、

「今」ということのパワーを忘れ、過去と将来に身を渡しているのかもしれない。

今の直接的な感覚を誤魔化しているんじゃないの?

「今」ということの喜びも捨て去っているん?

いや、この「今」に深く身を沈めて満たされること自体が難しい。

でも、それは異常なこと。

ひとは神経症だといえるでしょう。

浮遊し流されるままだと、一番たいせつなこと、信じる根っこを失うのかもしれないと思う。



生ぬるく苦い風が、へろへろと吹き続けました。

大人は白い氷の粒になり消えてしまいました。

それは、雪女よりもよっぽど無情で残忍なことかもしれませんおろおろ。



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