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あなたはね、ひとりじゃないよ。


さっき、若い介護福祉師の方の記事を読んだ。

心優しいその人をいたぶる職場環境のようだった。卑怯者めがっ!と怒り抱えて、彼女に同情した。

ほんにんにも「出来ない」感があって、いじめられる責任の半分は自分にあるという。

けれど、健気に耐えている。

ケア対象は痴ほうの老人たちだけど嫌ってない。あるおばあちゃんの笑顔に癒されると言う。

ああ、でももう挫けてしまいそう、、仕事に行きたくない・・・でも、行かなくっちゃ。

ぐれそうになる自分を叱咤激励していた。

また新しい1日が始まると思うとひるんでしまうけど、きっとまた無事に1日は終わるんだよと、自分に声掛けしていた。

推しの人のことを想うと元気がでちゃうぜと、最後のアドレナリン絞って自分を励ましてた。



話は変わるけど、昨日お義母さんが、また入院した。

朝、「ちょっと」と、娘をトイレから呼んだ。緊急の声だった。

お義母さんがかのじょに言ってる声が伝わって来る。「ほら、血が」。

ああ、、また、血便なのだ。ウ〇コ排出時にたぶん、大腸のケイシツを傷つけた。

便器の水が鮮血で真っ赤になった。

冷静なかのじょが、母を安心させ、看護師さんに話に行く。

すぐさま、24時間待機している看護師が来てくれ、救急車の手配をする。


実は、去年の7月もお義母さんは入院している。その2年前も大腸にぽっこり開いた穴をふさいでる。

年を取ると、ケイシツに成り易いから、しばらくしたらまた別な穴から出血するかもしれませんと、お医者からは言われてた。

しばらくとは、半年後ということだったのだ。

みると、お義母さんは複雑な顔をしている。

「お義母さん、どんな気持ち」と聞くと、「もう、情けない・・・ほんとに悔しい」という。

前日、入院で手放したデイケア先にようやくまた空きが出来て、行けると喜んだばかりだった。

デイケアなら安心してお風呂に入れてもらえる。人たちの中に居れる。なによりも、カラオケできる。

また、手放さないといけないのか・・。


ストレッチャーとともに救急の人たちが部屋にどどどって3人来て、あれこれとお義母さんに確認した。

「意識正常、バイタルうんちゃら、かんとかかんとか」とテキパキ確認を進めて行く。

ああ、この人たち、ほんとにプロだ。

こういう人たちが、誠心誠意、日々のにほんを支えてくれているんだと痛感する。


救急車に同乗させてもらう。

今回は搬入する先がなかなか決まらない。

そうか、よく聞くけど、これが時間のかかるたらい回しということなのかと気が付く。

そもそも、土日でどこも腸のオペなんかできない。先生たちもスタッフもお休みだ。でも、マメに探してくれる。

ようやく、病院にむかう。

うーうーとサイレンを鳴らし、救急車が通ります、救急車が通りますといいながら、全力疾走でクルマは走る。

秋にお義母さんがベッドからずり落ちて股関節を骨折した時以来だけど、もう慣れっこになっている。

もう乗るのに新鮮味が無いじぶんがなんだか嫌だ。

「お義母さん、辛い?」と聞く。

揺れる救急車の中で、「済まないねぇ、ほんと情けないよ」とポツリいう。

寒がりのお義母さんだから、ストレッチャーの上で寝ているお義母さんの手にじぶんの手をかさねた。

「ああ、、暖かいねぇ」と芯から言う。ひどく冷たい手だった。


もちろん、わたしの頭にも「またか・・」という声がしそうになる。

いいや、その声をさせてはいけないとじぶんに言い聞かせる。

面倒くさい、煩わしいなんていう声は危険なのだと、意識を他に向けて避ける。

山の中腹の病院目指して、救急車は疾走する。


たしかに、CTを撮り、血液検査をし、当直医が判断するまで2時間かかった。

入院手続き、病室の確保もそれなりに時間がかかった。

待つ間に、わたしたちは食べ物探しに、外まで探索した。1時間歩いた。

周囲に何にも無い病院で、けっきょく、自販機でココアを買って飲んだだけのランチとなった。

こちらも、緊張しているので食欲は無い。


せっかく、骨折から3か月かかって退院したばかりなのに。。

やっと娘の元に帰れ1か月も経たないうちに、また、入院しないといけないなんてかなり可哀過ぎる。

わたしたちにとっても、なんだか納得いかない。

当直医がCT画像を見せてくれた。ここが大腸です、ここがS字結腸です。

このシロく写っているいるのがケイシツです。

おお、、20個ほども白い大小が写ってるではないか、何ということだ!

ということは、あと20回の入退院がマキシマム、有り得るということ??

こんな話を、すぐ自分を責めたがるお義母さんにはとても話せない。

91歳がへこんだら、はてしなく免疫さがってしまう。


いや、去年も福岡でいろいろな病気やケガで2,3回入院していたのだ。

あちこち、どこかが悪くなり入退院ばかりしているから、もう何が原因でどこの病院に入ったのかがよく分からない。

ああ、、またなのか、とやっぱり思ってしまうだろう。

お義母さんは都度絶望して来ただろう。

退院したと思ったら、また、病院なんだもの。終わりが無いから、救いが無い。

お金がかかる、家族に迷惑をかけてしまうばかりを気に病む人なのだ。

かといって、自分の命を自分ではなかなか閉じれない。

ごめんね、ばかりを言うしかない。どう考えても、救いが無い。


途方に暮れる。

ああ、そんな時、そばでじっと受け止めてくれる人がいたらどんなに助かるかと思う。

黙って聞いてくれる人だ。

そうか、そうかとだけ受け止めてくれる。

いや、もちろん、この世界が与える苦痛は変わらない。改善する目途なんて無い。

自分の不甲斐なさ、先行きの無さが覆いかぶさって来る。

救いは無い。無いのだけれど、誰かが自分のそばに確かに居てくれるという温かみは信じれる。

犬を飼う人の気持ちが分かる。

じっと見上げてクンクンと鼻を摺り寄せてくる。言葉は吐かない。そんな温かみを人は求めるだろう。


エゴ溢れる時は、あいつが世間が自分が悪いと恨んでいれるし、怒りやあがきで自分の存在価値を保てる。

その怒りエネルギーも無くしてしまうのが、ここに居て良い理由が脱落してしまう時だ。

1回や2回なら我慢できるけど、それが永遠に続くかと思うと救いも無い。絶望するんだ。

ひとり、無限地獄に落ちた時、どうやって光を見つけたらいいんだろう?

91歳のお義母さんなら、あの娘になんと声を掛けるのかな?

誰もが最後の最後はニッチモサッチも行かなくなるんだよ、なんて言わないだろう。

きっとこんなこと言うんじゃないか。


わたしもいろいろ、確かにあったよ、辛かったねぇ。

でもね、最後もね正直辛いと思っているからこそ、お伝えしたいんだよ。

多くの苦しむ人たちとせめて心繋がって、今を、楽しんでおくれよ。

痴ほうの老人たちは、あなたの笑顔だけが救いかもしれない。

今、だよね。今度じゃないんだ。

ほらスピ系っていうのかい?よく言うそうだけど、ほんとに、今、ここだよ。

昨日のことは戻せないし、明日のことなんかほんとはどうなるかなんて誰にも分からない。

でも、今だけは、この瞬間だけはね、あなたの手にあるんだ。

いっぱいいっぱい笑って、いっぱいいっぱい美味しいのを食べておくれよ。

そこを我慢し続けたら、可哀そうだ。

体とこころを自分でも喜ばせてあげておくれよ。

かれらはがんばってくれてるからね。あなたはね、ひとりじゃないよ。

そしてね、あなたがこんなふうにおばあちゃんに成った時に、それをまた若い人に伝えておくれよ。

それがね、今わたしの願いなんだよ。

あなたはね、ひとりじゃないよ。


ねっ、お義母さん、きっとあなたはそんなこと言っちゃう人だよね。

もう、うんざりなんて言わないでくれよ。ね。

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