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短編小説「複眼」

浜辺で金草履を片方見つけたと聞いた。懐中電灯が海を向けて置かれていたから間違いないと久我は言った。

久我は、日曜のミサを終えると司に手を引かれて僕の家へとやって来る。今日は、漁師の信徒からもらったマグロの目玉をジップロックに詰めてやってきた。茹でこぼしてから、生姜と砂糖と醤油で煮て冷やし、自分に煮凝りを食べさせろということらしい。夕食まで間に合うように、持っていってやろうとは思う。

司は、春に小学校へ上がるタイミングで僕が引き取った。仕事には困らなかった。地元の水産高校の教員に欠員が出たと久我が教えてくれたからだ。僕は、いくつかの免状のコピーと履歴書を郵送で提出した。郵便番号が、5桁から7桁に変わっていた。

面接前日、実家を片付けるよりも民宿に泊まるほうが手間が省けると思い部屋を取った。夕食を運んできたのが、校長先生だった。彼は、僕が島を出る前から校長先生だった。その夜、僕は案外、憐れまれることはなかった。校長先生は明日、車で迎えに来ると言った。さすがに、車は買い替えられていた。

試験らしい試験はなかった。ただし、校長先生は、帰りの船は自分で出すので、島を見てから帰れと強く言った。僕は感傷的に思ったが、校長先生は、親切心から僕を試していたのだと後になって気がついた。観光地は近代化を遂げ、斜面の家々の荒廃は進んでいた。

しかし、毎年移住希望者が一定数いるらしく、僕の母校の中学校は健在とのことだった。司は、いつか島を出るだろう。それでも構わない。僕は思った。

やがて、車は島きっての景勝地へ向かった。弓形に連なるガードレールはお飾りだ。断言する。黒光りする柱状の断崖に波が打ちつけられている。画角の中央から映画会社名が飛び出してきたら、おそらく本編は負ける。振り返ると西端に灯台がある。司が生まれる前に遠出した際、僕は初めて灯台の中へ入った。それは本州の、ある突端を示していた。僕は海よりも、どこまで続いているのか分からない陸地に驚いた。島にいる時、灯台は海から眺めるものだった。展示室の灯台用レンズの直径は259センチメートルあるとのことだった。これをレンズに持つ魚は、どのくらいの大きさになるだろうかと夢想した。

しかし、そのことについて語り合える者はいなかった。その時点で、僕らの成り行きは決まっていたようなものなのだ。

遠くに立て掛けられている自転車が見えた。なにもこんな晴れた日に、と思ったが、わざわざ自転車でやって来て、途中、乗り捨てるのもおかしいと思い直した。しかし、その理屈だと船で島に渡って遂げるのも手間だと気がついた。曲がりきると、自転車の横に男がしゃがんでいた。久我だった。

「壊れちゃって、どうしようかと思いました」

と久我は言った。歩いて帰れば良いだけなのではないかと僕は思ったが、校長先生があまりにも笑うので黙っておいた。島の感覚で言うと外れたチェーンくらい直せないと男の癖に、と呆れられる所、久我は大丈夫なのだ。それは、彼が神父として島に戻って来なくとも変わらなかっただろう。正直、僕も久我がついに自転車に乗れるようになったのかと嬉しく思ったのだった。

後ろ側のギアから外れていたためチェーンは戻せず、後部座席に久我と自転車は載せられた。行き先は同じだった。しかし、目的は違った。久我は、景勝地に設置した教会直通の電話の作動確認と、辺りの見廻りが必要とのことだった。電話は、日曜日と年末に多い。久我は言った。僕は、年度末も同じようなものだろうと思った。

司は、紙テープに興奮していた。

いつか大きな船に乗りたいと言った。僕は、それ以上でも以下でもないと受け取ろうと心がけた。遊覧コースでは優雅に海中を観察できる仕様の透過窓も、高速輸送時は数分で視界が水泡に埋もれてしまう。

司は、

「ぶくぶくさんだ」

と微笑んだ。それが彼なりの気遣いだとしたら不穏だ。自分に嘘をついて自分を喜ばせようとするのは癖になっていけない。いつか立ち行かなくなる。僕は、最近気がついた。ただし、歓待を受けることを事前に察知してしまい気まずく思う僕も僕だ。乗船員が、僕をあだ名で呼び、お帰りなさいと小声で言う。今更、鍛えようのない表情筋を慰みに揉み込む。司が僕を不審がる。それで良いのだと思う。

司が、

「そのまま」

と言う。フラッシュが焚かれる。一コマ巻かれる度に違う顔をするのを止められないのは、なぜだろう。今度は交代だ。僕は、ふざけて命令する。司へ、あまり近寄るとピントが合わなくなると伝えるが構わないのだそうだ。はしゃいでいる司に安堵する。

乗船階へ出た。海鳥は高く飛び、寄り付かない。

「ランドセル」

司が指さした。横断幕を持つ一向からはみ出して動く久我がランドセルを脇に抱えている。やがて、船が近づくと彼はランドセルを背負い両手を大きく振り出した。僕は、島を出る人間を防波堤沿いに際まで追いかけてくるのは、このような人間なのだろうと思った。かつて僕は久我をそのように見送った。いっそう気まずい。先に帰って来たのが久我だった。それだけのことだ。すべて再会は照れざるを得ない。そのような気もする。

「ただいま」

僕は大声を出す。

司は、

「はじめまして」

と叫ぶ。

船内放送が着岸を知らせる。

シ♭ミ♭ミ♭ミ♭ソファミ♭ファソファミ♭ミ♭ソシ♭ド

いつからか思い出せないが、久我は僕のことを先生と呼ぶようになった。今や僕も信徒ではないが久我を神父さんと呼び返す。

真夜中、電話が鳴った。 

海岸線の巡回へ出かけた久我が打ち上げらた鯨を見つけたとのことだった。僕は久我に交番へ連絡するよう促した。僕は司と校長を伴って海岸を目指した。

どの鯨も口に対して大きく張り出た頭部を持っており、最も大きい個体は目測で体長15メートルを超えていた。おそらくマッコウクジラの成体だろうと思った。内臓の腐敗が進んでいるのだろう。腹部が膨張し、尾びれが上を向いていた。爆発の危険がある。僕と校長の意見は一致した。校長が最寄りの水族館と島の漁業組合へ電話すると、水族館職員の到着は翌日の夕方以降になるとのことだった。それまで、島民や海水浴客が興味本位で近付かないように見張らなくてはならなくなった。生徒の大半は各々帰省して不在だった。駆けつけた警察官に司を預けた。司は幾分、名残惜しそうな顔をしていた。

進行方向と顔面を淡く照らして近づいて来るのが若者で、点が揺れているのが高齢の漁師だった。

「とんぼの眼」

校長が言った。それは、島の人間ならば誰もが知る話だった。

彼は、船着場のもぎりだった。傷痍軍人の彼は、残された左手で改札鋏を持った。大方の島育ちの者は、島を出て電車へ乗る際に切符を持ち替えなければならなかった。

彼は入鋏に続けて、いってらっしゃいと鋏を4回鳴らした。おはようは2回、お帰りと、ようこそは3回だった。

彼に残されたのは挨拶だけだった、と彼の妻は言った。

帰還して汽船会社に職を得た彼は、毎朝玄関で姿勢を正し、敬礼して出かけて行ったという。彼の妻は、自分にだけは女型役者のような薄白い指先が見えるようだったと言った。若い頃、東京で電話交換手をしていた彼女は洗練した趣味の持ち主だった。

彼女は戦後、毎日、日本人形を作っていた。近所の人々は、都会人の気取った道楽だろうと思った。彼女が必ず人形へ色打掛を着せることに気がついた島人たちは、それが終戦前日に基地から飛び立った彼女の弟への贈り物だと悟った。許嫁だけが帰ってきたのだった。

初夜、夫は詫びた。

自分も充分に虐げられたのだと彼は言った。用足しに出かけたら、手首を抑えられて襲われたとのことだった。眼前で無数の懐中電灯の明かりが揺れるだけで、立てられる笑い声が誰のものかは分からなかったという。それは複眼だった、とだけ彼は言った。

彼女は、

「ふくがん」

と尋ねると、彼は

「とんぼの眼だよ」

と言った。

当初、達してしまった為、それが快感か屈辱なのか判然としなかったが、翌朝、自分一人が生き残ったのを目の当たりにして心底良い気味だと思ったと打ち明けた。敵陣営は黒焦げ、知った顔は蜂の巣だった。彼は言った。

彼女は、

「死に損ない」

と彼の頬を打った。

彼は彼女と彼女の弟の間へと割りいらないように努めたのだろう、と彼女は言った。実際、彼女はずっと弟と暮らしている気分だったと言った。

それは、一人残されて初めて迎える春のことだった。少なくとも島民は彼女に着付けを施さなかった。しかし、他所の者へ、金婚式の為とでも頼めば、それで済んだことに事後、気が付いた。

「よく潜りに行ったな」

久我が言った。校長は眠っている。朝まで起きないだろう。

そこには、珊瑚に覆われた飛行機が一つ沈んでいた。プロペラがなく、図鑑で調べると、それは特攻機だと分かった。線描画の丸みを帯びた頭部に、僕は鯨をみた。久我は、新幹線だと言い張った。再び近づくと、周囲には無数のヘルメットが散らばっているのに気がついた。持って帰れるようなものは何もなかった。操縦席は空だった。

「本当は言っちゃいけなかったんだ」

久我は続けた。

一昨年の夏頃から、水中に残された兵器や遺品の動画が出回り始めた。オフシーズンに人々がやって来るようになったと言う。

ある朝、彼女に久我はその理由を尋ねられた。

彼女は、

「そうですか」

と微笑んだと久我は言った。僕は聴くことに努めた。

やがて、鯨は1頭を残し、他は船で牽引して沖合に投棄された。予算が下りなかったとのことだった。解剖を終えた個体は、身を削ぎ落としてから、骨格標本を作成するために、一時的に浜に埋葬されることになった。再来年の夏に掘り起こすらしい。

その頃には、司は泳げるようになっているだろうか?

鯨の解剖を見終えた司は、自由研究の為に煮干しを解剖すると言い出した。

僕らは、容器をひっくり返し、出来るだけ型崩れしていないカタクチイワシを探した。

司が、

「人間の眼は、平べったいんだよね」

と得意げに言ってきた。魚の水晶体が球状であることを言いたいらしい。

「そうだな」

僕は返す。

「魚は、どうやってモノを見ると思うか」

僕は問う。司は、カタクチイワシを摘んで観察し出す。

電話が鳴る。

春には、メバルを釣りに誘おうか。目も口もでかい。彼らは、卵ではなく小魚を産むんだ。

僕には、海で司に見せたいものがある。

そう思った。

FIN

【参考文献】

『海獣学者、クジラを解剖する』田島木綿子著(山と渓谷社)

『National Geographic』5月号(日経BP)

『煮干しの解剖教室』小林眞理子著(仮説社)



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