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小説『ハンチバック』を読んでくれ

第169回芥川賞を受賞した、市川沙央さんの小説『ハンチバック』。
これがまたすごい小説だったので紹介したいと思います。

この小説の何がすごいって、重度の身体障害者である語り手の「私」が世の中に対して抱いていることの、表現ひとつひとつから、怒りや恨みがびしびしと伝わってくるところ。
そしてその怒りや恨みは至極まっとうで、健常者で「普通に」生きていれば気づきもしないような社会の構造が、誰かにとってとても暴力的だということに否が応でも気づかされるところ。

こちらは紙の本を1冊読むたび少しずつ背骨が潰れていく気がするというのに、紙の匂いが好き、とかページをめくる感触が好き、などと宣い電子書籍を貶める健常者は呑気でいい。

p.34

だけど作中の「私」の中にあるのは怒りばかりではなく、理不尽だと怒りながらもそれでも理不尽な社会でなんとか生きていこうとしている、その姿が描かれているところ。

ミオチュブラー・ミオパチーは、使わないでいる筋力はすぐに衰えて、後から鍛えようとしても回復しない。(中略)だから涅槃の釈華は死に物狂いでベッドから立ち上がって、毎日毎日どんなに息が苦しくても夜になるまではデスクに座っている。紙の本を憎みながら紙の本に齧り付いている。

p.79

なんかこう本当に……ものすごいものを読んだ、という感想です。語彙力喪失ですみません。
これはあくまで小説だけど、でも「私小説」と紹介されているあたり、怒りや苦しみ、生活実態に事実と重なる部分は多いのでしょう。だとすると、こんなふうに生きている人が現実の世の中にも存在している。
そのことを知っている「健常者」が日本にはどれくらいいるんだろう。

長らく、日本では障害者はひとつところに集められたり「健常者」とは隔離されたりしてきました。隔離という言い方が反発を呼ぶなら、分別・棲み分けという言い方でもいいかもしれません。
それが良いことか悪いことかは賛否の分かれるところです。日本社会はあまりにも、障害者に優しくないから。

いろんな制度や仕組みを決めるのはマジョリティであることが多いから、世の中全体がマジョリティが過ごしやすいように作られている。その属性に当てはまっていると、仕組み自体を疑わずに生きていけるんですよね。
(中略)マジョリティの人は歩いているとドアが勝手に開くけど、マイノリティの属性を持っているとそのドアを自力で開けないといけないという。

仕事文脈 vol.23 p.49


ところで私が最近読んだものだと、宇佐美まこと『展望塔のラプンツェル』や、桐野夏生『路上のX』もおすすめです。
『ハンチバック』で取り上げられている障害とはまた違うけれども、どちらの小説も福祉や貧困について考えさせられる小説です。

ほかにも過去におすすめの小説を紹介した記事がありますので、よろしければこちらもどうぞ。

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