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[推し本]赤毛のアンシリーズ(モンゴメリ)/100年を超えて少女たちを支える名作

いまさら、でも、今でも素敵

朝ドラ「花子とアン」のモデルにもなった村岡花子さん訳を読んでからン十年、松本侑子さんの新訳版で久々に読むアンの世界です。
最近も海外ドラマがありましたし、高畑勲・宮崎駿のテレビアニメで懐かしい方もいるのでは?

なんと言っても松本侑子さんの調査の賜物の訳注が素晴らし過ぎて、例えばマリラが用意する食事や服の変化からアンへの愛情の深まりを感じさせることとか、宗教的な背景やシェイクスピアからの引用、スコットランド系移民を示す苗字の謎解きなどが奥深く、児童文学の枠にとどまらない大人の文学であることを再認識できます。

あらすじは言うまでもないと思いますが、今読んでも古くさくないんですよね。どうしてかと考えたときに、信心深く厳格なマリラが実はリベラルで、当時の女性像にアンを押し込めない、生涯独身のマシューも家父長制など感じさせない、そもそもマリラもマシューも独身の姉弟で長年暮らして保守的な家庭像に縛られていない、因習的なことを言う牧師には一矢報いるようなこともあります。
アンの、辛いことがあっても自分の力を信じ、物事の良い方を見ようとする意思、未来への希望に満ち溢れる生命力、それが周囲の人をも変えていき、それにより幸せを引き寄せることができる姿は、この100年以上どれだけの読者を支えてきたことでしょう。

シリーズ一作目の最後にアンが呟く一文はロバート・ブラウニングの「春の朝(あした)」の詩から引用の

神は天に在り、この世はすべてよし。

これは、「海潮音」の上田敏の訳では

神、そらに知ろしめす。すべて世は事もなし。

となっています。
上田敏の訳も美しいのですが、敢えて上田敏訳を持ってこず、それまでのアンの言葉遣いなど全体のバランスから松本侑子訳がはまります。
世界は美しく、未来は希望をもって歩んでいけばよいのだ、と幸せな余韻に浸れる名作です。

アンが大学に進学する「アンの青春」、ギルバートとの愛を育む「アンの愛情」、とアンの成長につれてここまでは割と一気に読めます。

続く「風柳荘のアン」は、ちょっとサイドストーリー的で退屈してくるのですが、ここで諦めてはもったいない。かくいう私も、消費税が導入される直前(※1989年)にお小遣いをはたいて村岡花子訳を揃えたのにここで止まっていました。
「アンの夢の家」ではアンが母親になって、しっかり者の若奥さんとして切り盛りし、「炉辺荘のアン」ではアンの子どもたちの成長とともに「赤毛のアン・アンの青春」での夢見がちなアン風味がキラキラしていて、あーやっぱりお母さんになってもアンはアン!ここまで読んできてよかったね!となります。

そして、いつか行きたいプリンスエドワード島、絶対行く!
それまでに虹の谷のアン、アンの娘リラもコンプリートせねば。


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