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[推し本]言語の本質(今井むつみ・秋田喜実)/ただただ凄い衝撃!

論考の深さに衝撃!!を受けました。これは、言語習得だけにとどまらず、メタで人類を理解することにつながるのでは!

前半の、“ジュージュー”“ぐつぐつ”といったオノマトペとは、から始まり、後半で、ヒトの進化を見据えるこんな広大な水平にたどり着くとは!!

幼児が言語をどう習得するか、というのは、誰しもが自分では覚えていなくても経験していることであり、あるいは身近に幼児がいれば楽しく観察することでしょう。しかし深くそのメカニズムまで考えることはないのでは。
でも、改めて考えると、不思議ですよね。どうしてヒトだけが言語体系を持つのか。

本書では、言語という記号が身体的な感覚に接地することで始まるブートストラッピングがあり、さらにはヒトが他の動物と違って言語を獲得できるようになった仮説としてのアブダクション推論ができることという論考がスリリングに展開されます。
イメージ的には、記号接地がロッククライミングでのとっかかりを掴むことで、とっかかりを掴みさえすれば次につながっていくのがブートストラッピング、という感じでしょうか。

アブダクション推論とは、演繹法(確実に正しい答えを導ける)とも帰納法(多くのサンプルからだいたい答えを導けるが反例が出ると崩れる)とも違い、帰納法を広げて、ある事象に(たまに突拍子もない)仮説を提案することです。
なので当然のことながら不確実で外れることも多く、子供の可愛い勘違いや言い間違いはこのアブダクション推論によるものなのだそう。例で出されているのは、ピッチャーとキャッチャーという言葉を知ったら(チャーで終わるという一定の法則を学習)、バッターをバッチャーというなど。

あらゆるもの・事象と、それを表す言葉が一対一なら、膨大に言葉が必要で脳のキャパを超えてしまいます。その省力化のためにも、一定の法則を得てそこから類推する、ということが必要なのですね。そういう意味では、ヒトはいまだ世界の森羅万象を完全に言語化することには程遠い、のでしょう。

そしてこの不確実な推論による無限に開かれた仮説構築力こそ、新たな知識を創造する原動力であり、ヒトの言語と知識を進化させてきたというもの。

AIは記号接地せずに記号から記号を漂流するだけで、またアブダクションという創造の原動力は持てないのではないでしょうか。

ヒトをヒトたらしめるのは、非論理的な誤りを犯すからで、そのリスクにこそ多様な環境に適合する生存戦略があるという。

そこで思い出したのが、長男が3、4歳頃に上野動物園に行ったとき、楽しかったので、
「また上野動物園に行こうね」
と言ったら、長男は、
「こんどは“したのどうぶつえん”ね」
と言ったのです。その時は、”上の”動物園があるなら、下にも動物園があると思ったのね、と笑っていたのですが、今考えると、これぞアブダクション!天才じゃん!!となりました(笑)。

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