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【期間限定無料公開】脳科学者・中野信子著『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』はじめに

8月31日にアスコムから発売された、
脳科学者・中野信子さんの書籍『人は、なぜさみしさに苦しむのか?』が
おかげさまで販売好調となっております。
たくさんの皆様のご購読に感謝し、期間限定で「はじめに」を無料公開いたします。
※無料公開の期間は未定です。予告なく、公開を終了することがございます。

はじめに

「さみしい」

あなたはこの言葉に、どんな印象をお持ちでしょうか。
つらいもの、苦しいもの、できれば感じたくないもの……そんなネガティブなことを思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

もしそれが一般的な感じ方だとするのなら、わたしは、どちらかというとその逆かもしれません。むしろ誰かと一緒に過ごすことが苦手なタイプだと自認しています。
わたしは、さみしいという言葉に対して、じっくりと味わうもの、日本特有の美意識である侘び・寂びのように、静かに噛みしめるものという、悪くないイメージを持っています。

また、「孤独」についても、そのよさを再評価し、積極的に向き合おうという主張が増えてきたようにも思います。
けれどもその一方で、さみしさに端を発したと思われる悲しい事件や事象を、数多く見聞きするようにもなりました。さみしさとは、わたしたちが思っている以上に根深く、悪くすれば、人の生きる気力すら奪ってしまう、重い感情なのではないか―。
そこで、この感情に一度深く向き合い、より価値的に活かすための機会を提供することを企図して、筆を執ったのが本書です。

さみしいという言葉を辞書で引くと、「あるべきものが欠けていて、もの足りない、もの悲しい気持ち」ということと、「人の気配がなく、心細いほどにひっそりしている」ということのふたつの意味が記されています。

日本語では、「寂」「淋」というふたつの漢字があり、寂はもの足りなさ、人気のなさ、孤独感など幅広い意味で使われ、淋は江戸時代以降、人の孤独を指す言葉として物語や歌詞などで使われるようになったといわれています。

読み方はそれぞれ「さみしい」と「さびしい」のふた通りありますが、本書では平仮名の「さみしい」を使ってお話ししていくことにします。

集団をつくり、社会生活を営むわたしたち人類のなかで、さみしい・孤独だと一度たりとも感じたことがない人は、おそらくいないのではないでしょうか。集団をつくる生物は、孤立すればより危険が増すため、さみしさを感じる機能をデフォルトで備えているはずだからです。

それこそ書店に足を運べば、孤独を愛する、孤独を楽しむ、さみしいときに読むといったテーマの本が数多く並んでいます。
わざわざ孤独やさみしさをよいものとして味わおうというテーマが繰り返されるのは、逆説的に多くの人が孤独になることをおそれていたり、さみしさに苛まれていたりすることの裏返しではないかと思われます。

昨今は、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で社会に大きな変化が起こり、孤独の問題はますます深刻化しているように見えます。政府が行った全国調査によると、孤独を感じている人は、40・3%にのぼるそうです(令和4年 内閣官房孤独・孤立対策担当室による「孤独・孤立の実態把握に関する全国調査」)。

厳密には、「孤独」と「さみしさ」とは、異なります。
孤独はひとりでいる状態を表す言葉で、さみしさは心の動きを表す言葉です。
孤独と似た言葉に「孤独感」があります。こちらは自分がひとりでさみしいという感覚を表すものなので、さみしいという感覚と孤独感とは似たものであるといってもいいでしょう。

さみしさとうまく付き合うためには

現代社会においては、ポジティブ思考が善とされ、ネガティブな感情をすぐに切り替えられる人が優れている人と捉えられる傾向にあります。
特に、アメリカ風の新自由主義が影響し、自己責任論が頻繁に聞かれるようになった頃から、「さみしさに負けるのは弱者であり、低い評価を受けて当然」「社会で生き残っていけない不適格の者」という風潮が強まっていきました。

けれども、さみしさを持つことが本当に生存に不適格であるのなら、なぜわたしたちは、こんな感情を持っているのでしょうか? 人間の体には、わざわざ脳のリソースを無駄遣いさせるような余裕はありません。
すべての感情には、意味があるはずです。であれば、その感情が生じたときにも、「必ずなんらかの生物学的な原因と意味がある」と考えるのが自然です。無理に抑え付けたり、なかったことにしたりするよりも、「そこにはどんな意味があるのか」を考え、理解していくほうが、この感情をスムーズに扱えるのではないでしょうか。

いま、このときにさみしさに苦しみ、つらい気持ちでいる人に対して、「ひとりは最高だ」「孤独を楽しむべきだ」という価値観を提示してみても、解決にはつながりにくいでしょう。

後述しますが、さみしさは誰にでも生じる感情であるものの、対処法を間違えると、怒りや憎しみといったほかのネガティブ感情を誘発して、攻撃性が強まってしまうことがあります。
また、さみしいという感情を、悪意を持った人に利用されてしまうと、騙されたり、大事ななにかを搾取されたりしてしまうリスクも負いかねません。

人間なのですから、誰しも長い人生において、さみしさを感じる局面を持つことは自然なことです。むしろ、さみしさを感じる場面が少しずつ増えていくことは、社会性の成熟と表裏の関係であるともいえるでしょう。

だからこそ、さみしさという感情を捉える際に起こりがちな、思い込みや刷り込み、偏見などを引きはがし、上手に取り扱う方法を身につけることが大切ではないかと思うのです。

もちろん、さみしさの扱いが上手になったところで、さみしいという感情を完全になくしてしまうことはできません。

しかし、さみしさの扱い方に慣れ、その生じる仕組みを理解することで、さみしさを必要以上におそれることなく、振り回されることもなく、上手に付き合いながら、長い人生をより豊かに、価値的に過ごしていくことができるようになるはずです。

「わたしはさみしくみじめな人間だ」などといった、認知のゆがみから自分を解き放ち、悠々とさみしさすらも自分の味方につけていけるのではないかと思うのです。

本書では、脳科学的、生物学的な視点から、なぜ、さみしいという感情が生じるのかという問いに焦点をあてていきます。

また、なぜ、さみしいという感情をネガティブなものと捉えてしまうのか、その科学的要因、社会的要因からも考察していきます。

そして、わたしたちの一生において、さみしいという感情がどのように移ろい変化していくのかを探りつつ、さみしさの持つ機能と危険性について理解を深め、その感情とどう付き合っていけばいいのかについて、いくつかの事例を踏まえて対応策を考えていきます。

さみしさを感じやすい人にも、さみしさを感じにくいがために生きづらさを抱えている人にも、自分の感情を捉え直す一助としていただければ幸いです。

無料公開の「はじめに」は、以上となります。
つづきは、ぜひ書籍でお楽しみください。

編集部より


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