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いつかこの夜を、忘れる日が来るとしても。|クリスマスにささぐ

目を覚ますと、待ち合わせ時刻はとっくに過ぎていた。

さっきまで空が明るかったはずなのに、今は西に傾いた陽が部屋の中に影を作っている。刃物が刺さったように痛むこめかみを押さえながらキッチンでコップに水をくみ、一気に飲み干してから状況を整理した。

昨夜はおとなしく過ごすつもりだったが、「クリスマスの前日くらい相手をしろ」と友人が家に押しかけてきた。右手には、酒屋で見つけたというタンカレーのボトル。

「いいから飲んでみろ」とオレンジブロッサムをつくって僕に飲ませると、お互い気分が高揚して何杯もグラスをあおり、最後には二人で酔い潰れてしまった。

友人を始発で追い返しふたたび寝ようとしたとき、普段飲まない酒がたたって猛烈な吐き気に襲われた。トイレでうなだれ、ベッドに戻ってはまたトイレに駆け込むループを繰り返しているうちに、疲れ果てて眠ってしまった。しばらくはジンもオレンジジュースも飲めないだろう。

慌ててケータイを開くと、同じアドレスからのメールが溜まっている。恐る恐る開いて一通ずつ読むと、僕は酸っぱい溜め息をつき、適当な言い訳を考えるためにもシャワーを浴びた。

痛みが響かないよう、ゆっくりとした手付きで頭を洗いながらスケジュールを逆算する。ディナーの予約は18時だから、17時半に家を出れば間に合うはずだ。

髪を乾かしながら、思いつく限りの謝罪文と新しい待ち合わせ時刻を打ち込んで送信ボタンを押す。セールで買ったばかりのピーコートに袖を通してアパートを飛び出すと、すぐに忘れ物に気づいた。ブーツのままリビングに戻って赤いリボンのついた手提げ袋を掴むと、重い足どりで駆け出した。

とっくに暗くなった街を走っていると、母親の手を握って振り回す、毛糸の帽子をかぶった子どもとすれ違った。その後ろから、大きな買い物袋とホールケーキの箱を手にもった父親らしき男性が、二人を追いかけている。三人の仕草と表情が、スローモーションのように僕の目に焼きついた。

わずかに残った吐き気を鎮めるため、胃腸薬のドリンクを買おうとコンビニに入った。レジに商品を置くと、いつも無愛想な店員が、薄いフエルトでできたサンタクロースの帽子をかぶって会計をはじめた。

チキンが揚げたてだと言うが、今はそれどころではない。普段はそんなもの、勧めてこないくせに。

店を出ると同時にケータイを開いたが、メールの返信は来ていない。買ったばかりのドリンクを飲み干して苦い溜め息をつくと、イヤホンを耳に突っ込んでからまた走り出した。

実のところ、僕たちは最近うまくいっていない。互いに授業やバイトとかでスケジュールも合わず、たまに会ってもぎこちない日が続いていた。決定的な原因は正直わからないけれど、付き合って2年も経てば不満の一つや二つ生まれるものだ。

だけど青春というエネルギーが有り余る時期に、ささいなほつれを、ていねいに直すことは容易ではない。二人とも前へ前へと進みたくて、少し立ち止まる余裕などなく、気付いたときにはメールの本数もデートの頻度も減っていた。

ひょっとしたら、今日は会わないという選択肢もあったのかもしれない。だけど街やテレビのうかれたムードが「どうしてこんな素敵な日に不機嫌なんだい?」と、まるで僕が悪いかのように問うてくる。

結局3日前に二人の予定をすり合わせ、普段は昼に行くパスタ屋にディナーを予約し、去年よりも安価なプレゼントを買った。

「これで充分だろ?」と言わんばかりに、ケーキ屋の前で風船を配るサンタクロースをにらみつけてみる。彼はこちらに目もくれず、はしゃぐ子どもたちの頭を順番になでていた。

待ち合わせは、街で一番大きなショッピングセンターの隅にある時計台の前と伝えていた。ここのイルミネーションは雑誌などで毎年のように取り上げられている。建物の壁や木々いちめんに電灯が張り巡らせてあり、緑色に光りながらクリスマスツリーのように流れる噴水が特徴らしい。

しかし僕は、その景色を見慣れている。12月に入った頃からイルミネーションが点灯し始めていたので、買い物に来る度に通っていたし、毎年変わり映えするわけでもない。今月は特に来る機会も多かったから、改めてイルミネーションを見ても、何も思わないはずだった。

身体の奥底を震わすような風を耐えながら歩道橋をのぼり、交差点を渡って角を曲がる。慣れた足取りで入り口の広場にさしかかると、僕はそこで立ち止まってしまった。

ついこの前まで、金とか赤とかバラバラに光っていたはずの景色が、今日はすべて青に統一されている。それはとても控えめなようで、しかしはっきりと冬の空気を際立たせている。クリスマス当日に合わせて色を変えたのだろうか、なんとも粋なことをするものだ。

僕はイルミネーションに見蕩れながら、ゆっくりと歩き始める。周りではサラリーマンらしき男性がケータイで写真を撮ったり、中学生ぐらいの男の子たちが走り回ったりしている。

来年、再来年、その先のクリスマスを、僕はどこで誰と過ごすのだろう。

今そばにいる大切な人と、離れ離れになる日も遠くないのかもしれない。

見慣れたイルミネーションも、ひょっとしたら今年で見納めかもしれない。

しかし、クリスマスは平等だ。

幸せな家族にも、悪徳な詐欺師にも、病床の老婆にも、監獄の受刑者にも、12月25日はあまねく訪れる。一年間善い行いをしてきた人も、悪い行いをはたらいた人も、すべて包んでやさしく光る。

素直になれなくなった僕たちのもとにも、クリスマスは来てくれた。

だからこの先に待っているかもしれない別れよりも、一度しかない今日この瞬間を噛みしめようと、青のトナカイに誓った。

いつかこの夜を、忘れる日が来るとしても。

せめてこの景色は残しておこうと、ケータイを取り出してカメラを起動したとき、端末が虹色にゆっくりと光り始めた。受信ボックスを開くと「さむい!」という文字と一緒に、噴水のクリスマスツリーの写真が届いている。

僕は少し笑ってからケータイをポケットに突っ込むと、青く点滅する道を全速力で駆け出した。冷たい風は、いつの間にか止んでいる。

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