愛するものとの別れ

長年好きだった食べものを、ある日突然「二度と食べてはいけない」と取り上げられた経験はあるだろうか?

僕はエビが大好物だった。ボイルエビにマヨネーズをたっぷりつけて食べるのが特に好きだった。正月には尾頭付きの大きな焼きエビが出てきて、手を赤く汚しながらむしゃぶりつくのが我が家の恒例行事だった。

しかし別れというものは、いつも唐突だ。

22歳の冬、エビの寿司が食べたくなった僕は、居候の友達を連れて100円の回転寿司に向かった。1時間以上待ってカウンターに着座するやいなや、タッチパネルをなぞって生エビの握りを注文した。

鮮度が良くなかったのか口の中が生臭くなり、のどに違和感を覚えた。店を出て帰路についてからも、のどの違和感は残ったままだった。徐々に違和感が熱さに変わり、息が苦しくなった。

「おい顔が真っ赤じゃないか!」と友達は僕を見て声を上げた。顔から首にかけて赤くまだら模様ができていたらしい。しばらくしても症状は治まらず、とうとう歩道に座り込んで動けなくなった。

コンビニの駐車場に避難してうなだれていると、「アレルギー」という言葉が頭に浮かんだ。たまたまアレルギーに関する記事を見たばかりだったので、症状が当てはまることを理解した。自分に重篤なアレルギーはないと認識していたが、エビを口にした直後から症状が続いていたのでエビアレルギーを疑った。

なあエビよ

僕は君が大好きだったじゃないか

僕のことが嫌いなら早く教えてくれよ

だったらこんなに傷つくことはなかったのに

背中をさすってくれている友達に「水を買ってきてくれないか」と頼んだ。のどの熱さが不快で呼吸しづらかったので、とにかく潤したかった。友達は急いで店内に向かった。

人生には予想できない事が多すぎる。つい30分前まで好きだったものに裏切られ、僕は先が見えなくなっている。アレルギーは命にかかわる問題だからさらに悪化するかもしれない。

親にも連絡したほうがいいのだろうか。離れて暮らす息子が、自分たちの知らないエビアレルギーで倒れたと聞いたらどう思うだろう。正月にエビを焼いて食べさせたことを後悔するのだろうか。大切な人達に会えなくなる理由が「鮮度の悪いエビ」だったらどうしよう。

走馬灯のように家族やエビの顔が浮かび、絶望の面持ちで横たわっていると、友達が走って戻ってきた。一刻も早く水を飲んで、すべてを洗い流したかった。

「これを飲んでくれ」と手渡されたのは、桃の天然水のソーダだった。僕はとても驚いてしまった。

#一駅ぶんのおどろき

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