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現代小説が時代小説に変わる時 「総理の夫」(原田マハ)

私は原田マハさんの小説が好きだ。この3連休、「総理の夫」という小説を3度目に読み返していた。そして3回目にして、小説の設定に仕組まれたタイムスリップに実に感嘆したので、その話を書いてみたい。

この小説は、日本初の女性総理大臣の夫が、超一級歴史的資料として後世に残すべく、未来の「あなた」に向けて、書いている日記、という設定の文体で記されている。つまり、小説の日記の筆者(主人公である日本初の女性総理の夫)は、100年後か200年後の人間が、歴史上の書物として読むことを想定して文章を書いているのである。

この一風変わった設定は非常に新鮮であった。物語は、東日本大震災後の日本。おそらく2013年を時代背景としている。当然、同時代に生きている私は、「消費税増税」「雇用対策」「少子化・高齢化対策」「脱原発」といった主人公の妻の総理大臣が掲げる政策には共感ができる。にもかかわらず、一方で小説の中の日記で設定されている100年後の読者である私は、20××年は、こんな世の中だったのねぇ、今と比べると全然違うわねぇ、という架空の視点も同時に持ちながら、読み進めることになる。現代と100年後、2つの時代を行き来しているような、実に不思議な感覚なのだ。

原田マハさんの書く小説には、他にも2つの時代を行き来するような話はあった。例えば、現代に生きる主人公の回想で子供時代〜青年時代に周辺で起きたストーリーが紡がれるパターンでは、「リーチ先生」「奇跡の人」がある。

しかし、「総理の夫」は、小説の中には1つの時代しか仕込まれていないのにも関わらず、読者がもう1つの時代に生きていて読んでいるもう1人の読者を想像しながら読むことになるという点が新鮮なのだ。もう1人の読者は、80才の自分かもしれないし、あるいは、50年後の20代の若者かもしれない。

もしもこの小説を50年後の自分が読んだとしたら、20代に起きた東日本大震災とその後の時代を懐かしく思いながら読むだろう、それと同時に、若かった時代の友人や恋人との出来事に、思いを馳せるかもしれない。また、50年後、20代の読者が読んだら、まだ生まれていない平成終わりという時代を書いた時代小説のように読むことができるかもしれない。ちょうど、2019年の私が、田辺聖子の「苺をつぶしながら」を読み、働く女性が珍しいこと、30才を過ぎた女性は「ハイミス」と呼ばれることに、時代の移り変わりを感じるのと同じような感覚を抱くかもしれない。その頃には、女性総理大臣は誕生しているだろうか、少子化対策は改善されているだろうか、消費税率は何パーセントだろうか、など、気づけば私は、読み進めながら、未来の日本に向けて、思いを馳せていたのだった。

さて、ここまで長々と設定の話ばかりになってしまって恐縮だが、ともかく、原田マハの小説は面白い。肝心の物語の中身についても、十分に満足できるエンターテイメントとなっているので、ぜひ読んでいただきたい。

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