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Withコロナ時代のアジアビジネス入門53「伊藤穰一NFT論<本物であること>」@デジタル経済と哲学(3)

伊藤氏<NFT=人間の純粋な部分と相性がいい>
 伊藤穰一氏の新著『テクノロジーが予測する未来web3、メタバース、NFTで世界はこうなる』(SB新書)を読んで次の言葉が印象に残った。
<物理的にどうかではなく、「本物であること」というかたちにならない価値、ノン・ファンジブルな価値をトークン化し、取り扱い可能にしたものがNFTです。本物を選ぼうと偽物を選ぼうと、物理的にはほとんど何も変わりません。変わるのは自分の気持ちです。NFTは、そんな僕たち人間の純粋な部分と相性のいいトークンといえるのです>
 いわゆる暗号資産、仮想通貨を想起するNFT(非代替性トークン)が本物とはどういうことなのか。しかも、人間の純粋な部分と相性がいいとはどう捉えればいいのか。
 まず、伊藤氏はブロックチェーン技術との関係を説明している。
 <NFTは、Non Fungible Tokenの頭文字。日本語にすると、「代替できない価値を持つトークン」となります。これまで、デジタルデータはコピーできるから、代替可能と思われていたのですが、ブロックチェーンの技術を使うことで、デジタルでありながら、代替できない、つまり、唯一無二な価値を持ちえるものが登場したということです>
 ここまでは理解できるが、デジタル情報でもあるNFTは人間の純粋な部分とどう結びつくのか。
アリストテレス「情報=形相(けいそう)の抽象化」
 ヒントになる言説がある。
 アリストテレス政治学の研究者、東京逍遙塾の荒木勝塾長(岡山大学名誉教授)は、情報(インフォメーション)の原義として、情報は「IN+FORM+ATION=FORM化、フォルムの内蔵化」とともに、神学者トマス・アクィナスによるアリストテレス『政治学』の注解序文にある「情報=形相(けいそう)の抽象化」の両義があると解説する。
 goo辞書で見ると、形相は、アリストテレス哲学では事物の可能態としての質料 (しつりょう) を限定して現実的なものたらしめる本質的な原理である。
 荒木先生によると、このフォルムを形式と捉えるか、形相と捉えるか。また内的・主観的な形相と捉えるか、外的な形相と捉えるか、に分かれる。根本問題は、生命体の生命、人間の生命的な知性を、生きている(実存している)知性的形相としてとらえるか、否か。
霊魂との触れ合いと単なる情報交換の二刀流へ
デジタル技術はこの問題にどう対応するか。
 荒木先生はこう問いかけ、次の展望を明示する。
(1)真実の形相化インフォルマティオInformatioとデジタル情報との二刀流へ→霊魂と霊魂と触れ合い(身体的・形相的情報交換)と単なる情報交換(形式的・デジタル的情報交換)との二刀流へ
(2)情報独占から、情報の公有化=公的統治化・公開化へ

 荒木先生のデジタル情報をめぐる解釈をたどると、伊藤氏の言う<本物であること>、そして<人間の純粋部分と相性がいい>の説明は腑に落ちる。それは単に形式的なものでなく、形相こそが大事であると。
唯一無二の「錦鯉」デジタルアート
 伊藤氏の著作で紹介されている「錦鯉」を描いてデジタルアートのNFT化は具体的で社会実装のエピソードとして分かりやすい。
 <新潟県長岡市にある山古志地域(旧・山古志村)は、現在、村民800人ほどのコミュニティです。2004年に発生した中越地震で、およそ2200人いた村民全員が村外への避難を余儀なくされた村、と聞けば思い出す方も多いでしょう。その山古志が2021年12月、地域活性化の一環として、こんな施策を打ちました。世界にも多くのファンを持つ山古志特産の「錦鯉」を描いたデジタルアートをNFT化して販売し、購入者は「デジタル村民」になれるという世界初の試みです。デジタル村民には「デジタル住民票」を発行。これにより地域活性化のプロジェクト会議への出席や、「デジタル村民選挙」での投票ができるようになります>
 要は、唯一無二の「錦鯉」がデジタルアートとして心にもしっかり刻まれるということなのだろう。NFTは個人の価値観に根ざしているということか。

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