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共同親権は誰のため?

昨日は1日リモートワークだった。
BGMは、youtubeの国会中継。
仕事に集中していて聞き逃してしまった質疑も多々あったけれど、法務委員会であわあわと「共同親権」の法案が成立してしまったのはかなり違和感があった。

採決に入る前にいつも(慣例なのだと思うが)議長が「これにて審議は尽くされました」と言う。
でも、一度も「審議が尽くされた」と感じたことはない。
そもそも、賛否の意見をそれぞれが「発表」する委員会のどこが審議なのかと感じている。
中継されない水面下で各党の交渉があるのだろう。

そして、尽くされたというのは、いったい何を基準にそう言うのか。
かけた時間というなら、法案によって差がある気がする。
これ以上やっても、もう進展はないという諦めによるものか。
その諦めは、いったい誰の?

予算委員会などでは、質問者からの提案に対して議長が「理事会で協議します」と言うことがあるが、どういう理事がどういう議論を交わしてどういう結果になったのか、その後ちっともわからない。
前回のあれはどうなったの?と思うけれど、その後の質疑の俎上に上がらなければ、無視されたのか一刀両断されたのか、困難を極めて継続審議中なのかは想像もつかない。
国民が理事会の中身を知る手段は、何かあるのだろうか?

そもそも、与野党の議員数の差は明白なので、採決するまでもなく与党案が通ることはわかっている。
だからこそ、そこに至る過程、それを国民に見せることが大事だと思うのだが、本会議や予算委員会でない国会はテレビ中継がない。(本会議や予算委員会でさえ、中継がないこともある。)

共同親権についてのニュースはほんのわずかだった。
街頭インタビューで「知らない」と言う女性もいた。
そも、国民の目が向かないように仕向けられているような気がしないでもない。

自国民に寄り添わない首相が、アメリカの議会でアメリカに寄り添うことをアピールした演説はわりと報道されたけれど、こちらも不安しかない。
こんなふうに、国民にとって大事なことが、既成事実と性急な改正でどんどん進められていくのよね。

朝ドラ「虎に翼」では、戸主たる男性の管理下、支配下におかれた女性の理不尽が描かれていて、そこからの脱却に挑む展開に視聴者が喝采を送っている。
ドラマの時代から見れば、いまは女性の権利もそれなりに得られている(実態はともあれ)けれど、今回の民法の一部改正の法案は、それに逆行するもののように感じる。

私は離婚を経験しているが子供はいない。
いたとしても、いわゆる熟年離婚であるから、子供をめぐっての条件交渉で争うことはなかっただろう。
でももし15歳未満の子がいての離婚となれば、ものすごくものすごくもめて裁判になったかもしれない。

私が不妊治療をやめてしまったのは、もちろんお金と精神力が続かなかったこともあるけれど、モラハラにさらされている日々の暮らしで子育てに対する意見対立が容易に想像できたということがある。
この価値観の差がきっと子供を含めた家族を壊してしまうだろうと予想できたとき、子供がほしいという思いがスッと醒めた。
それは悔いと責めでもあると同時に、結果的に救いにもなったと思う。

子供がいたら離婚自体をあきらめたかも。
それは母がそうだったように。
そういう状況の女性たちに、「共同親権」の法制化は追い打ちをかける。

私はいま、元の夫と普通にお茶を飲むことができるけれど、それはもう他人だから。
しかし、子がいて、別れても親は親となればそうはいかない。
改正後は、子の進学や医療や引っ越しまで、別れた父親の同意を得なければならない。

意見が異なったときは裁判所の判断となるが、個々の事情や心情までつかんだ判断には時間もかかるだろう。
そのあいだ、子供はどうするの?
宙ぶらりんで待つの?
手術をするかどうか合意に手間取っているあいだに病状が悪化したらどうするの?

DVが原因で逃げている人に対しては、「例外」を認めて単独親権とするらしいが、どこからが例外となるのかはっきりしない。
「過去はDVをしていたけれど、これからはしません」という相手の主張を裁判所が受け入れてしまうかもしれない不安もあるし、過去のトラウマは消えない。
「急迫」の対応が必要な場合とそうでない線引きはどこかもわからない。
なんで、そのあたりの議論を詰めないまま、見切り発車のように急いで成立させようとするのか。

これで離婚したいのにしにくくなる人は増えるだろうな。
共同親権となれば、実質シングルマザーが一人で子育てをしていても、節目節目に離婚した夫の同意を求めて話し合いや交渉をしなくてはならない。
想像しただけで気持ちが萎える。
そして、離婚したのに、両親の収入の合算額が手当や奨学金などの支援の基準になるという。

しかも、この法案に養育費の支払義務はつけられていない。
金も出さずに口だけ出すことを是としているのである。
別れて別生計になっているのに、低収入のシングル家庭の子が奨学金を受けられなくなることだってある。

再婚に対しても、子供の親権者という意味で、別れた相手の同意が必要となる場合もあるらしい。
離婚しにくい、再婚しにくい法案は、昔の家長主義みたいなのを復権したいのかとさえ思えてしまう。
家族、家族って、世間がうるさいだけじゃなく、政治もそう仕向けようとしている。
まあ、世帯は徴税の単位だからね。

私の想像では、これは一層の結婚離れ、出産離れを引き起こすと思う。
結果、ますます少子化は進む。

こんなふうに。
審議も尽くさないまま、国民への周知説明もされないまま、法律がどんどん改正(改悪)されていっている。
総理大臣は、アメリカでチヤホヤされて上機嫌で武器の共同開発や戦争支援に頷き、福祉や教育より防衛という名の軍拡にお金を使おうとしている。

旧約聖書でソロモン王は、自分が母だと主張して赤子を取り合う二人の女性に「では、赤ん坊を二つに引き裂いて半分ずつにせよ」と命じる。
そして、手を離した女性を母とした。
大岡裁きにも似たような話がある。

この話は母性や母の愛や王の賢知を描くとされているが、「子供の命を助ける」方法としてとても合理的だと思う。
「親権は親の権利ではなく、子供の人権を守るための親としての責務」という野党議員の反対討論があったが、この法案には「子供の視点」が圧倒的に欠けている。

それで少子化対策やってますとか、ちゃんちゃらおかしい。


読んでいただきありがとうございますm(__)m