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待合室

10人も入ればいっぱいになってしまいそうな待合室で、向かい合ったベンチとベンチのあいだのストーブが暖かかった。

外は、吹雪くとまではいかないが、入口の引き戸に絶え間なく貼り付くほどに雪が降っている。
そのせいか、昼間だというのに、歩いている人の姿はほとんどない。
待合室には、その頃の母よりすこし年かさに見える女性がたったひとりだけ。
その列車から降りたのは、私のほかに誰かいたのか、よく憶えていない。
次の便まで、あと2、3時間はあったかもしれない。

30数年前の冬の東北。
この時代のローカル線の駅舎は、どこもお約束のように小さくて、時代の流れに怯えているようなところがある。

女性は、列車を待っているのか、あるいは単に戸外の寒さを避けて待ち合わせの相手を待っているのかわからなかった。
私は、壁の時計と雪模様とを見比べて、女性の斜め向かいほどに腰を下ろした。
待ち合わせというには、あまりに頼りない、賭けのような旅のひととき。

なんと声をかけられたのか忘れてしまった。
よく降りますね、だったか、どこからお越しですか、のような感じだったか。
なんとなく世間話を続けたのは、待ち合わせですかと尋ねられることに怯えていたせい。
そして、ありがたいことに、女性は私にその問いを発しなかった。
今思えば、彼女も同じ怯えを抱いていたのかもしれない。

横に置かれた手提げ袋から、編み棒の丸い頭が見えた。
もしもこの待合室に誰も入ってこなかったら、もしも私と話さなかったら、その人はきっと編物の続きに熱中しただろう。

それがきっかけだったか、毛糸の話題になった。
昔はよく母親が編み直しのための毛糸を糸玉にするのを手伝ったものですよ、と。
そうそう、両手に毛糸をかけて、くるくると巻き取っていくのをね。
今はねぇ、もうそんなことをする人もいなくなりましたよね、とあの頃ですら言い合ったのを憶えている。
私とその女性とは、母と娘以上に年が離れているのに、そんなことに相槌を打つときは、なんだか同い年の幼馴染のように感じることが、不思議だった。
不思議だけれど、けしていやな感じではなかった。

そのとき。
私は、無性に毛糸のくるくるがしたくなった。
母とした幼い頃が懐かしかっただけでなく、その行為自体が恋しくなったのだ。
そして、なぜだか、目の前にいるその人も、私と同じように感じている、と思った。
彼女の脳裏にどんなくるくるの体験が思い浮かんだか、母親とのそれか、あるいは娘さんとのそれか、尋ねられるはずもない。

そのあとすこしして、それじゃあ私はこれで、と彼女は席を立った。
誰かが来たような気配はなかった。
時間を気にしていたような素振りも感じなかったけれど、それは私が見過ごしただけだったかもしれないし、感じさせないように彼女が気を配っていたのかもしれない。
サッシの引き戸が彼女が通れる分の広さだけ開けられ、小さなつむじ風が雪を巻き上げた。

私は、賭けに負ける決心をして、たまたまやってきた列車に乗った。
それは行こうと思っていた方向とは逆で、東京に帰る本線に乗り換えられる列車だった。

旅が終わった数日後、頼りない待ち合わせの相手に、来なかったのかと問われて、行かなかったと答えた。
そして、恋が終わった数年後、受話器の向こうの同じ相手に、あのとき本当は行ったのだと告げた。
笑いながら告げた。
告げながら、私はその相手ではなく、あのときの毛糸の女性に会いたいと思った。
そして、毛糸の房を両手にかけて、くるくると巻き取るあれを彼女とやりたいと思った。

あのときはね、来るかどうかわからない相手を待っていたんですよ、と言ってみたい。
彼女は、笑いながら、私も、と言うかもしれない。
くるくる、くるくると、毛糸玉に巻き取りながら。

その人は今、生きていたなら、もう白寿に近いだろう。

過去の思い出を綴るのは、おそらくは現実逃避。
体調不良もあって、いまとこれからを見ないようにしている。
でも。
いまの仕事の契約が終わったら、すこし旅に出たい。

読んでいただきありがとうございますm(__)m