最後まで帰国を信じていた男の物語

辺見じゅん『収容所から来た遺書』文春文庫、1992年。

Mrs. Green AppleにSoranjiという曲がある。この曲は映画「ラーゲリから愛を込めて」の主題歌となっている。そして、この映画の原作となっているのが本書である。つまり、一つの曲をきっかけとして、本書にたどり着いたのである。

映画のタイトルにある「ラーゲリ」とは、ソ連による強制収容所を指す言葉だ。本書は、ラーゲリでの抑留生活について、山本幡男という実在の人物を主人公に描いた物語である。そこからは酷寒と貧相な衣食住環、その下での強制労働、ソ連兵による厳重な監視といった厳しい環境下で、抑留されていた人々がどのように生きていたのかが描かれる。日本の文化に触れて母国を忘れないようにしよう、帰国への望みを抱き続けようとする者、抑留者同士でなんとか協力して生き延びようとする者もいれば、ソ連側に協力することで少しでも良い待遇を得ようとする者まで、一言で収容所生活といっても、そこには様々な生活のあり方が存在していた。

山本は常に帰国への希望を捨てなかった人物である。彼は有志の人たちを巻き込んで句会を開くなど、日本のことを忘れないように取り組み、生きて日本に帰ろうという意志を多くの人に与えた。実際、山本と出会ったことで、人への信頼を取り戻したり、帰国への希望を抱き始めたりした人がいたことも描かれている。山本は、句会のメンバーらにとっての精神的支柱となっていたのである。

しかし、元々体の強くなかった山本は、病気になり、病状は日に日に悪化していった。抑留生活の後半では、日本との手紙のやり取りが認められるようになっていた。山本にも、妻や母からの手紙が届いていた。特に、母からの手紙が山本の心に刺さっていたようだった。実際、5章では妻からの手紙よりも、母からの手紙からの引用の方が多くなっている。山本が言う「母親というのは、息子にとっての唯一の弱味のようなものですね」(227頁)というのは、間違っていないのかもしれない。

山本は病に倒れ、日本に帰国することは叶わなかった。妻はもちろんだが、母を残して死ぬことになる山本の心中は、上述の言葉からも計り知ることができるのではないだろうか。


サポートしていただいた場合、書籍の購入にあてさせていただきます。