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三が日は命懸け!?

ニッポン最恐の怨霊と化した天皇・崇徳。保元の乱で、まだ生き身だった彼と権力争奪戦を繰り広げた天皇・後白河――。

鳥羽院の中宮・待賢門院が彼らの母である――と、唐突ささやかなる伏線をば…。

さて。近い時代なら明治期に、内国勧業博覧会で賑わった岡崎一帯。一転遥か昔、院政華やかなりし頃なれば、天皇・皇族方が荘厳にして広大な極私的寺院を建立した地。

京都は岡崎、 “六勝寺” ゾーン。

成勝寺町、最勝寺町、法勝寺町、延勝寺町、尊勝寺町…。

町名たるや今も “六勝寺” 由来、平安後期の院政が偲ばれよう?
残る一寺は、極私的に円勝寺。建立発願主が唯一、 ‘♤’天皇ではなく‘♡’皇族――そう、先の伏線要員・待賢門院さーね。

(ちょ!…なんか伏線、よわッ!?)

ケケ、気にせず伏線回収…サササのサ。

そんな所縁の円勝寺町に生まれ育ったのが、激動昭和の――40~50年代。

円勝寺町の生家で幾度も迎えたお正月は、今のソレとは比べ物にならぬほど ‘しょーがつショーガツ’ していた――古き佳きお正月。

年の瀬押し迫る、1週間…。

コドモだったわが目に映るのは、ありとあらゆるコト・モノ・ヒトが ‘ハレの新年’ に向け収斂してゆく様…。

台所。四段重1台と三段重2台がテーブルに領域展開、錦市場で買い揃えたお煮しめ食材を、手間ヒマかけて下拵え…した後、全段に詰め込まれるのを今や遅し…。

黒豆と数の子やらのつまみ食いは、 まァお約束。ひと足早く正月風味を味わえば、迫り来る ’ハレの新年‘ 三が日を遠望し、“は~やく~来~い来~い  ナンとやら~”――などと急かしたくなったり…。

煉炭3袋と一斗缶灯油5缶を届けに来る、出入りの燃料屋サン。

自転車の荷台、その両サイドに垂らしたテント地袋に、目一杯の洗濯物を詰め込んだ洗濯屋サンも、当年最終の御用伺いに。

酒屋サンも負けじと、ねじり鉢巻前掛け姿で「まいどー!」と格子戸をガラガラー。まず運ぶは、瓶ビール12本入りを5ケース。次に一升瓶仕様の酢と醤油、日本酒を…抱えて出たり入ったり…。

年の瀬押し迫る1週間…。

「さあ、オタノシミはコレカラダー!」――とばかり、趣味(?)と実益を兼ねてコドモならではのお手伝い。

ハイ。障子の張り替え、ン十枚!!
思う存分、指でプスプス…ゲンコでバリッ!

…とはしながらも、まぁコドモは破る専門。新しく貼る段になりゃ、神隠しの如く姿を眩ます、ええトコ取りの鞍馬天狗。

年の瀬押し迫る1週間…。
まだまだ続く、コト・モノ・ヒトの収斂模様。

八百屋サンは《有田みかん》の段ボール箱を…米屋サンは、普段の倍の米袋と丸餅ギッシリのソレを肩に担いでご登場。丸餅ゴロゴロ掻き分けりゃ、顔面大と手のひら大の ‘お鏡サン(鏡餅)’ の発掘にニヤリとする。

カーリング…もとい――鏡餅に干し柿と昆布を挟んで重ね、葉付きミカンを載せた後、床の間の壺を脇へとグイグイ。しかして鏡開きのソノ日まで、正月限定 ‘床の間の主’…って案配だ。

年の瀬押し迫る1週間…。

夕方にはいつもの如く、豆腐屋サンが黒鉄色の自転車でリヤカー曳き曳き、“♪パァ~フゥ~” と、ラッパ吹かして廻り来る。

年の瀬押し迫る1週間…。
コト・モノ・ヒト、出入り忙しく目まぐるしく…。

そんな中、ひときわ異質に見えるスーツ姿の黒靴組。某デパートの外商サンたち。

やっぱね、パリッとしてるのさ。いつも気安く遊んでもくれるが、年の瀬ばかりはオトナ顔のお面を嵌めて、一年締めくくりの挨拶回り。

さてさてコト・モノ・ヒトは、ハレの日に向けまだまだ収斂し続ける。とりまザックリ、コドモん時の円勝寺町・生家の歳末界隈は、そんな風。

お煮しめ、お屠蘇、お雑煮に…
注連飾りと鏡餅も位置に着き…。

今は絶滅?…ガチャガチャ・チャンネルのブラウン管で〈レコード大賞〉と〈紅白歌合戦〉。そのうち画面は〈ゆく年くる年〉。

「…ぁ、除夜の鐘!」

知恩院サンの、108つ…。

そんな ‘しょーがつショーガツ’ した正月情緒も、今は昔となりにけり。

古来より醸成されてきた佳きニッポンのお正月。三が日も休まぬお店があるおかげで、おせちがなくとも食いっぱぐれぬ。

激動昭和の、40~50年代。
おせちは、三が日の腹を満たすための保存食として立派に機能していた。食料調達の店々が、三が日はシャッターを閉めるがゆえのね、命綱とも。

「オビ・ワン・ケノービ、あなただけが頼り…」by Princess Leia ならぬ「 ‘ハレの新年‘ 三が日、おせちだけが頼り」の、リアルでプチなサバイバル――でもあったのだ。

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