遊びでないことは一切するな
先日の記事で、お金にならないことをすることに何の意味があるのかということについて書きました。
最近読んだ本の中に、私としては、すごく納得出来ることが書かれていましたので、備忘録として残しておこうと思います。
今週からマインドフルネス・ビレッジの読書会で、この本を読み始めました。
この本は、NVC(非暴力コミュニケーション)の創始者である、マーシャル・ローゼンバーグ博士がメディアのインタビューやWSの参加者からの質問に回答した中で、スピリチュアリティ、神の概念、NVCの精神的基盤、NVCの価値観を社会変革に生かすというテーマに関するものを抜粋したものです。
質問と回答は31個あり、昨日の読書会では回答1~4を読み合いました。
特に興味を惹かれた箇所は2カ所。
マーシャルにとっての神とはどんな意味があるか?
一つは、この質問に対する回答です。これは非常に個人的なことですが、私はクリスチャン家庭で育っているので、他者が神にどんな意味を求めているかというのは興味深い質問です。
マーシャルに最もおおきな影響を与えた宗教的信念、教え、書物はなにか?
もう一つがこの質問に対する回答。
これに対してマーシャルは最初に仏教を挙げています。
続いて、マーシャル自身が宗教神話を研究してきたことに触れて、神話学者ジョセフ・キャンベルの著書を挙げました。
特に、「遊びでないことは一切するな」ということについて説明を補足しています。
何かをするとき、その目的が罰を避けるためや報酬のため、罪悪感や恥、義務や責務ではない。それをすることで(いのち)が豊かになったと感じるときに、していることは遊びである。
そうそう、そうなの。
それが言いたかった。
やりたいと思うことが、何かの役に立つのかとか、お金になるのかとか、そんなことはどうでもいい。
ただの楽しみで終わることであってもいい。
それをすることで、水を与えた好奇心の種から小さい双葉が発芽する程度であったとしても、それは私の人生を彩り豊かにするものであることは間違いないのだ。
やりたいことを、純粋にするときに、私のたましいは喜び、(いのち)が豊かになったと感じるのだから。
大学院で勉強するとかって、一見遊びとは思えないようなことであっても、そのはたらきは遊びなのだな~。
やることなすこと「遊び」にできたらいいのに
一方で、生きて行くためには、やらなければならないことというのも存在する。
「遊びでないことは一切やるな」と言われても、報酬のため、義務や責務という悪しき概念(笑)を理由にやっていることもありますよ。
たとえば、ある種の仕事とか、好きではないタイプの家事とか。
このあたりが「遊び」として取り組むことが出来るようになったら、楽しいだろうなあ。
これは、トレーニングでそう感じられるようになるものなんのかな。
私もジョセフ・キャンベルの「神話の力」を読んでいるところで、今まで読んだどこかに「遊びでないことは一切するな」というフレーズが書かれていたような気がするんだけど、パラパラページをめくってみても、どこだったのか探すことが出来なかった。
神話の力を読んでいるときには「遊びでないことは一切するな」の意味がよく分からなかったんだけど、並行して読む別の本で理解が深まるとは、面白いなあ。
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