見出し画像

同級生Yちゃんの私服(ファッションとの出会い②)

昨日Netflixで
星野源さんとオードリー若林さんのLIGHTHOUSEを一気見したんです。

柔らかい物腰や
クシュって笑う印象
ガッキーが奥さん
(見たことないけど)ライブで
こんばんはー星野源でーす!
の第一声の印象が強かったけど
ちゃんと黒い部分もあって
とても人間らしくて
素敵だと思ったし

なんとなく一生懸命頑張ることを笑うキャラみたいに感じてた若林さんが、自分がどうしたらいいのかわからなくなったりしてることとか
下積み時代、永福町に住んでたってとこで、わたしも永福町に住んでたから勝手に親近感湧いたりして

そのトークの中で
一般の方の悩みに答えるってとこで
星野源さんが
人が好きな事を笑ったり
茶化したりする人は
友達なんかじゃ無い
ってはっきり言葉にしてくれてて
自分も子供の頃から好きな音楽がジャズで
周りの同級生とかは
流行りのアイドルとかアニソンとかで盛り上がる中、お互い好きなことで話が盛り上がる事がなかったけど
好きでい続けたことで
今の自分があるっておっしゃってて
ジンときました。

だから今日も
自分の原点の1つを
書きたいと思います。
ちょっと暗黒期入るんだけど…
これも自分の原点だし
これがあって今の自分があるので
勇気を振り絞って書こう。はい。


言葉を絞り出すリハビリで書き始めた自己紹介note

私とファッションの出会いから見た自己紹介。

①はこちら

今日は②を書こうと思うのですが
ぐっと大きくなって、中学の頃の話。

中学、私はバスケ部に入ったんですよね。
いや今思えば
ガラでもない…
まさにソレです。

運動なんてするタイプでも体型でもないし
バスケ好きとか気持ちがあったわけでもないし
ルールも知らないし。

でもあの時の私は
なんというか
自分を変えたかったんでしょうね。
自分の中の小さな勇気を振り絞ったんだと思います。

バッシュを履けた事が嬉しかったのだけは覚えています。
必要な道具の1つだったのだけど
やはり私にはファッションみたいに感じちゃって。
バッシュ履いてる自分に
なんかワクワクしてたなぁ。。とか。
思い出話。

そのバスケ部にいた同級生
Yちゃん。

と言っても、親しくもなんともない
名前と顔は知ってますレベル。

そのYちゃんと塾も一緒で。

大抵塾にはみんな学校のジャージで来てたんだけど
Yちゃんだけは高確率で着替えてきてて。
さっきまでバスケの部活で一緒だったYちゃんが
金ボタンの紺ブレ着てきたり
スキニーデニム履いてきたり
パンプス履いてきたり
もう衝撃だったなぁ。。

だって何も無い寂れた田舎町ですよ?
まず、都会に行かなきゃ買えない服ってことは私でもわかったけど、
そもそもどこのお店で?
いくらするの?
とか
田舎娘にはもう見ただけでパニック…

町の電気屋の2階の部屋を借りた塾
わざわざその塾の為だけにジャージから着替えて
中学生が紺ブレ着てくるんだもん…

時代は
鈴木保奈美さんと織田裕二さんの
東京ラブストーリーで盛り上がってた頃。

鈴木保奈美さんの紺ブレとか
憧れたよなー。。って話です。。

それを現実に手を出した中学生が目の前に現れて。

着たい服を着る彼女に憧れを感じ
わたしも服が欲しい
意を決して
母親にねだった事があったんですが

デブでブスな人が
服を買いに行ったら笑われんだよ

そう言い捨てられて
夢は木っ端微塵に消えました…

自己肯定感が育つ訳もなく
その後も
自分なんか
の塊でただ生きてたなーと
思春期はあまりいい思い出はないですね。
とにかく
あんたブスよねって
母親に何度も言われながら過ごしてたので、日々の記憶もあまりないんです。

そんな陰キャを突っ走ってた思春期最大の思い出が
Yちゃんのファッションに出会った事。
それに尽きる。

友達でもない
ろくに喋ったこともない
Yちゃんのことを
30年以上経っても今だに覚えてるなんて
Yちゃんの立場からしたら
気持ち悪い、怖い、の極みだと思う…申し訳ございません…
補足すると、もちろん中学を卒業してからはどこの高校行ったとかも知らないし会った事もないです。はい。
私は地元の高校には行かなかったし、同窓会も1度も行った事ないし、
本当に思春期の頃の記憶ってあまりなくて。

そんな中でも鮮明に覚えてるのが
Yちゃん自身のことだったら確かに気持ち悪いけど、苦笑
言い訳すると
これはYちゃんのファッションの記憶なんです。
特に、塾に紺ブレ着てきたあの瞬間の衝撃が今だに残ってるというか。

だから何が言いたいかというと
ジャージしか着てなかったあの頃の私でも、ファッションに対する興味関心が既に強くあったんだなーって
大人になってから再認識したってことです。

なんでも手に入る都会の女子中高生とは全く違う学生時代を過ごしてた
私の消したい記憶。

親子関係も今の時代とは違うんだろうなぁ。

私は基本的に親から自尊心を傷つけられて育ってきたので
紙の着せ替え人形から芽生えたファッションへの憧れとか
何も無い田舎町
ファッション誌も何もない中
テレビで見る流行りのファッションとか
そういう憧れみたいなもので
現実逃避したり
自分を保ってたのかもしれないです。

当時は恥ずかしくて…
ファッションが好きなんて
一度も言葉にすることはできなかったですよ。もちろん…

次はまたぐんと時間が経って
東京に来てからのことを書きたいと思います。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?