鯔を愛する男

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最近の記事

死後の風習(後)

 見張り小屋を改築した古びた建物のドアを開けると、メスのようにするどく尖ったナイフでボラの腹を開いていたカンジナートさんが顔をあげて、「やあ、久々だね」と言った。  カンジナートさんはポケットの多いコートを着ていて、その年季の入ったコートにはおそらくはボラの血なのだろう、黒々としたシミが至る所にある。 「すみません、もしあったら、ボラを一匹わけてもらいたいんです」 「へえ、ボラが欲しいなんて、めずらしい」  プリワーロフが横から「この前のうちのおばあさんの時みたいなことです」

    • 死後の風習(前)

      「それじゃあ、ボラを釣ってきてね」  ついさっき亡くなったばかりだという爺さんの顔をみつめていたから、言葉の意味がよく理解できず「え、ボラ」と聞き返すと、お母さんはゆっくりとした口調で諭すように言った。「大事なことなの」  ベッドに横たわりもう息をしていない爺さんは静かに眠っているように見えるけれど、小さく開いたままになった口は少し腑抜けているようにも感じた。 「お爺さんを送るのに、ボラが必要なの」 「でも、ボラを獲ってきてどうするの」爺さんはボラの刺身が好物だったからだろう

      • 第二等労働者の娯楽(後)

         ドミトーリイは棚からCDをいくつか抜き出して、ジャケを眺めてみた。何枚かはケースを開けられるものもあるから、中の歌詞カードを取り出してクレジットを確認してみる。ただ、もうどれも見覚えあるCDばかりだし、ほとんど惰性といえる行為でしかない。それでも労働だけの単純な毎日を繰り返すドミトーリイにとっては大きな喜びを得る貴重な機会だった。  背を曲げてじっくりと、ドミトーリイは棚に詰まったCDにの一枚一枚に触れていき、愛でるようにして辿っていったが、その指が止まった。棚の「ら」の

        • 第二等労働者の娯楽(前)

           吹き荒ぶ風に乗って、張り詰めた冬の冷たい空気が厚い外套越しに体へ伝わってくる。ドミトーリイは首をすくめて、道路を渡った。どうやら腰の痛みがまた悪化してきたようだ。明日も早朝から作業があるし、さっさと帰宅して寝るにこしたことはないけれど、それでは今日という一日がただ無為に終わっていく。だから明かりに群がる蛾のように、首まで疲労に浸かった体に鞭打ち足をひきずって、また店にやってきてしまう。  軋むドアを開け、古びたものと埃の匂いの中に飛び込むと、店が抱え込んでいるそれらが外に

        死後の風習(後)

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        • うどんと私
          8本
        • 豊島園日記
          7本
        • やっぱり鯔が好き
          9本
        • ブックオフショートショート
          28本
        • 森のブックオフへ
          8本
        • うたずにくうめし
          3本

        記事

          いつのまにかうどんを食べてしまう

           さぬきうどんを初めて食べたのは、かつて中国・四国地方に住んでいる人間が皆レオマワールドを目指した時代のことで、帰り道に適当に入ったロードサイドのうどん屋でのことだった。  夏の時期だったからざるうどんを頼んだけれど、一口目の印象は「これはうどん?」だった。両親とかは香川のうどんだからこういうもんじゃという感じで食べていたけれど、当時の自分にとってその堅すぎる食感は消しゴムにしかおもえなかった。  大人になってからはさぬきうどんの良さもわかったけれど、子供の時のその経験が

          いつのまにかうどんを食べてしまう

          うどんは食べないと逃げてしまう

           8月にバルベースさんと大阪で合流して古書店を巡ったりお茶をしたりした時、ちょうど天神橋筋商店街にいたこともあって昼ごはんに自分イチオシの天六うどんを紹介しようと向かってみたものの、店が見当たらない。  嫌な予感がありつつもすぐに検索してみると閉店情報がでてきて、跡形もなく取り壊された店内に唯一、看板だけ残されているのをみつけた。  旅先ではわりとゲボ吐きそうになりながらうどんを食い歩いていることが多い。それはなかなか来れない土地なのと、店があるうちに食べておかないと次の

          うどんは食べないと逃げてしまう

          名玄について私が知っている二、三の事柄

           自分がこの世でもっとも愛するうどん屋、岡山県の平井にある名玄について、公式ホームページで基本的なことはわかるのですが、それ以外のTIPSなど知っていることを書き残しておきます。 ・名玄について  50年近く岡山で愛され続けている老舗のうどん屋さんです。セルフ方式のうどん屋はここ由来といわれていたりもしますが、個人的にはさすがにそれはどうだろうとおもっています。  思いのほか、ホームページがしっかりしてました。セルフのやり方についてもちゃんと説明がありました。 ・アク

          名玄について私が知っている二、三の事柄

          毎日名玄のうどんを食べてしまう

           人生の残された時間の中でピンクフロイドの『狂気』をあと何回聴けるのか、これは多くの人が常日頃から考え、悩んでいることではあるけれど、自分はそれにプラスで名玄のうどんをあと何杯を食べられるのだろうかということをいつも考えている。  名玄との心の距離は近くてすぐそばにある気ではいるけれど、東京にいる限りは物理的な距離があって、名玄のうどんを食べられない問題がある。  長いこと社会人のフリをしてうまいこと世渡りをしていると、1ヶ月ほど丸々と休みにすることに成功した。休みとはい

          毎日名玄のうどんを食べてしまう

          新開地の立ち食いうどんのつゆ全部抜く

           ファストフードとしての寿司を初めて体験したのは新開地アーケード入り口のところにある源八寿しで、注文してから1分くらいで寿司が出てくるのは衝撃だった。しかも安くておいしい。  東京の回らないお寿司屋さんにあまり惹かれないのは、いまいち事がスピーディに進まない点だったことに気づかされたりした。  そんなわけで大阪を通りがかる度に、隙を見計らっては源八寿しに通っていると、新開地の商店街には良い古本屋と昔ながらの喫茶店と、それから立ち食いうどん屋がけっこうあることを発見した。

          新開地の立ち食いうどんのつゆ全部抜く

          なんとなく肉うどんを食べてしまう

           旅に出るといろいろなうどん屋をまわりたいから、水分は取るけれど余計なものは食べないようにして可能な限り毎食うどんで済ませるようになる。  最近は旅の後半になると疲れを感じるようになってきて、おそらくは年を取ったせいだろうから仕方ないかとおもっていたけれど、九州を旅行していた時にふと気になって二日間の食事を書き出してみたところ、こういう結果になった。 菓子パン 肉ごぼう天うどん 肉ごぼう天うどん 肉ごぼう天うどん 菓子パン ボラの刺身 かんざらし(白玉だんご) ごぼう天う

          なんとなく肉うどんを食べてしまう

          豊島園日記7

           背を屈め、手にしたライトで行先を照らしながら円形のコンクリート管の中を小走りで急いだ。北へ向かうにつれて、小さな合流がある度に徐々にその円筒は広くなっていって、やがてようやく背を伸ばしていられるようになる。  Y字に別れている箇所を右手に折れると、管渠の構造が変わり四角くなった。少し伸びをしてから再び道を進んでいくと、やがて練馬幹線に出る。  地中を東西に走っている練馬幹線からは再び丸い管になる。大きな幹線だから、手を伸ばしてももう上には手が届かない。先ほどいた豊島幹線

          豊島園日記6

           最近は家を建てる時だけではなく、引越し先を探す際にもハザードマップを参考にする人が増えてきて、そうなってくると埋立地ではなく、武蔵野台地の上に乗っかっている練馬の評価はますます高くなっていくらしかった。  その台地の端っこのあたりにずっと空いたまま放置されていたどこかの社宅があったのが、ようやく取り壊されて更地になった。近所だったから建設作業内容を説明する努力義務があったのだろう、自宅のポストに騒音のお断りと一緒に建設計画の書かれた厚い紙の束が投函されていて、目を通してみ

          豊島園日記5

           早宮の方では家の外に置いてある植木だとかごみ箱だとかを燃やされる不審火が続いているという話があっても、初めは遠いところの出来事だったのに、小火が四丁目、三丁目へとだんだん南下してくることによって他人事ではなくなってきた。  そんな折、買い物帰りで火事の後にでくわした。練馬春日町交差点近くの団地向かいにある小さな一軒家はもう鎮火されてはいたけれど、消防車が止まっていて、なにやら検証をしている。  その様子を眺めていると、なんとか隣の敷地には燃え移らずに済んだと近所の人が話

          豊島園日記4

           駅の改札を出たらもう床は水浸しだった。酷い雨なのは知っていたけれど地下鉄に乗っていたから気づいてなくて、A2出口への階段には入り込んでくる雨水が、お洒落マンションのエントランスにあるオブジェのように絶え間なく流れている。  ようやく地上に出ると、外は真っ白く煙っている。大粒の雨がばりばりと屋根や軒先に降り注いでいて、今にも崩れてきそうだった。駅前の豊島園通りは左手がすぐ坂になっていてそのまま石神井川の方へ下っているけれど、道路を流れる雨水はざあざあとそちらへ猛烈に流れこん

          豊島園日記3

           紙袋を手に満足げな様子で駅へと帰っていく魔法使いのコスプレをした人たちとすれ違い、石神井川に沿った細い道を歩いていくと、練馬城址公園の広場に出る。夕方に一雨降って、風のある涼しい晩だから、広場にはいつもより人が多かった。中高生がブランコやトランポリンのような遊具で騒いで青春しているし、芝生でバレーをしているグループもいる。  あちこちにLEDの街灯が立っていて、人工的な明かりにこうこうと照らされているから、芝生も公園の木々もなんだか薄白く見える。  トイレを済ませ、ベン

          死んでいくボラは美しいのか?

           セネカの全集の中にこういう一文をみつけた。  ボラの泳ぐ姿は間違いなく美しいとおもうし、ファッションとしてのボラ好きではないから、スーパーで売られている切り身や丸ごと一本を偶然みつけても神々しく感じる。  死にゆくボラについては、以前、自宅の水槽でボラの稚魚を飼っていたことがあって、何かに驚いて水槽の外に飛び出してしまったり、水に慣れさせるのがうまくいかず死なせてしまったから目にしていないわけではない。  ボラについては直前にやや詳細な別の記述がある。  自分が目に

          死んでいくボラは美しいのか?