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アート vs デザイン(若しくは豊かさの定義)

iPhoneの通知がなる。
「note更新 12:00」
すっかり忘れていたので慌ててPCをバビョーンと立ち上げ、これを書いている次第。
毎月2回、1日と15日にnoteを更新すると決めてから半年が経つ。
この記事で15件目だ。

noteを始めたのは、日々の思考を言葉でアウトプットする機会が欲しかったからである。
週に1回ラジオで喋っているが、リスナーの皆様はすでに周知の通り、2時間の生放送と言えどもフリーで喋る時間はせいぜい10分が良いところ。
1週間の出来事を喋るにはあまりに少ないのだ。

そしてnoteをはじめた重大な思惑はもうひとつ。
連載がほしい。
関係者各位、お話お待ちしております。

以前もnoteに記したが、僕はいま1日1つ、作品をMMKSNMDのInstagramにあげている。
ありがたいことにクライアントワークもそれなりにやらせていただいているのだが、中には平気で無料でお願いされるものもあれば、クレジットが乗らないで消費されていく作品もある。
話をいただいた3日後が締め切りなんてこともあるし、クライアントの要望を聞いているうちにこちらが全く意図しない方向へと作品が進んでいくこともある。
項数をたくさんこなしたい時期だったことと、デザイナーとして認知されるためにはまずアウトプットをする、という考えから、昨年は1件足りとも仕事をお断りしたことはなかった。
もちろん今でもほとんどの仕事はお引き受けしているが、「こればかりやっていたら、作品も自分自身も消費されるだけで終わっていく」というちょっとした危機感もあり、自分が作らなくても大丈夫であろうものは他のデザイナーを紹介している、乃至はお断りしているのが最近である。
そして、自分の今のモード、好み、感情を率直にアウトプットしているのが、1日1つあげている作品なのだ。

デザイナーとは何なのか、と考えた時に出てくるのは「翻訳者」という言葉である。
クライアントが目指したいものや届けたい人と、そのターゲットとなる人の間にデザイナーが入り、それぞれにとってベストな作品を世の中に出す。
そのためにはクライアントの意図をしっかりと汲み取っていなければいけないし、受取手が情報を得やすい状態の作品を作らなければならない。

これに関して最近思っているのは
①クライアントと優良な関係を築けなさそうなのであればお断りする
②受取手にとってベストな状態を常に考え続ける

ということである。

①に関しては、この人が成し得たい未来に共感できるかどうか、が判断基準となっている気がする。
様々なイベントが(地方ですら)乱発している、もしくは様々なプロダクト、サービス等が無数にある今、僕が感情移入できるかどうかがとても大切なのである。
クライアントより、イベント、プロダクト、サービスについて詳しく説明できるくらいの熱量が持てなければ、大変申し訳ないのだが、お断りさせていただいている。
ともすればクライアントは友人知人仲間が多くなってくるのだが、それは僕の精神衛生上とても健全なことなのである。
なので、お会いしたことがない方と、お会いすることもないまま、遠隔で仕事をするというのは、どうやら僕の性分には合っていないようだ、というのが最近の気付きである。

②に関しては勉強の余地しかなく、日々頭がパンクしている。
いままでまともに勉強もせずにデザイナーと名乗りやってきたもんだから、僕にはデザインのロジックが圧倒的に欠落しているのだ。
なぜこの色なのか。なぜこのフォントなのか。なぜこの配置なのか。
「なんかイイ感じだと思ったんで。チッス。」
では、デザインの仕事は成立しないのだ。
日々勉強の毎日である。

「お前はそんな生意気なこと言ってられるほど良いデザイナーじゃない」
と思う方も多いだろう。それは自分でも重々自覚しているのだ。

だからこそ僕が毎日あげる作品を見ていまの僕が出す作品の雰囲気を分かってもらいたいし、お互いのために、好きじゃないなら一緒に仕事をしない方がいい。

僕はデザインというよりも、好きな作品を作って発表して、生きていきたい。
そう、バンドをやっていた頃に思っていたことと、今もなんら変わりはないのである。

僕はいま気仙沼にいて、デザイン、ラジオ、場の運営、イベント設計、人材育成を同時進行で仕事にしている。
バンドの頃との大きな違いは、やれることが多くなったことと、仲間が多くいてくれること。

この街で、このスタイルで、どこまでいけるかなぁ。
それを楽しみながら、実験している感じの毎日である。
楽しい日々だ。
だからこそ関係者各位、僕に連載を下さい。

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