見出し画像

《親ペン雑記#6》不老不死をめぐるディスクール

 暇を見て日経電子版の古い記事を読み返していると、面白い記事に出会うことがある。いろいろな意味で、最新の情報ばかりが必ずしも有益という訳ではない。
 SF小説好きの筆者にとっては、下に挙げた2018年4月の記事【未来での蘇生を願う ロシアで冷凍保存され眠る人々】などとても興味深いものだ。記事によれば「遺体は完全に血液を抜かれ、マイナス196℃の液体窒素に逆さまに漬けられた状態で、100年先まで保存される」とあり、未来の科学の進歩に蘇生の可能性、夢を託したものだ。ちなみに、現時点でこの冷凍保存から復活した人はいない……


 このような冷凍保存の考え方は、より広い視野で捉え直すなら『不老不死』の一手法、一つのバージョンと言ってよい。『不老不死』は人間にとって永遠のテーマの一つであり、SFに限らず、例えば健康やアンチエイジングに強い関心を抱く人々にとっては、比較的接する機会の多い言説、ディスクールと言えるかも知れない。
 ちょうどいい機会なので、『不老不死』をめぐる様々なディスクール、また、その疑問点、疑義などを整理してみることにした。


(ディスクール1)自分のクローンを作る

 これは最も分かりやすい例の一つかも知れない。その是非は別として、自分のクローンを作ったとしても、生き残るのはクローンの方、自分とは別の肉体であって、本人にとっては不老不死でも何でもない。
 問題は、本人以外の他人から見て、あたかもその人物が生き続けているような疑似的な不老不死が実現することだ。これは、なにも生物学的なクローンに限らず、AIを使ってサイバー空間に特定の人物のクローンを作り出すようなケースも含まれる。これには、相当の倫理的課題が絡んできそうだ。
 一つ言えるのは、クローンを最も望まない者がいるとすれば、それは本人を除いて他にないのではないか……


(ディスクール2)サイボーグ化・デジタル化

 仮に、肉体の大部分をロボット化して精神だけを残す、あるいは、完全に個人の精神をサイバー空間にアップロードしてしまうような科学技術が確立されるようなことがあったら、『不老不死』が実現したと言えるのだろうか?
 最大の問題は、やはり、人間の精神が人間の肉体に宿っている、という当たり前の現実、言うなれば人間のデフォルト(初期設定)だ。人間の様々な感情(恋愛・母性愛、等々)、思考(ひらめき・洞察、等々)の渦は、肉体を通して、その感覚器官を通して形成される。サイバー空間に存在する人間に通常の人間、デフォルト状態の人間と同じ感情・思考の機序が働くとは考えられない。どんどん人間的な感情を失って、人間とはかけ離れた存在に進化してしまうのではないか……
 人間のデフォルト、初期設定を変更してしまうような不老不死の手法にはリスクがありそうである。


(ディスクール3)不老不死を獲得すると人間は怠惰、アンニュイになる

 本当にそうだろうか。筆者は、このような言説の背景には『不老不死』と『不死身』という二つの概念の混同があるように思う。『不老不死』は断じて『不死身』とは違う。簡単に言えば、『不老不死』であっても事故死はありうるが、『不死身』であれば、事故にあっても文字通り奇跡的に蘇ることができる。『不死身』とは、いわば超自然的な、神のような存在なのである。
 であるなら、人間は、不老不死を獲得したからと言って、不老不死に近付いたからと言って、決して安閑とはしていられない。それこそ、環境破壊、地球温暖化をはじめとした様々な社会課題と向き合っていくことになる。人間が不老不死になったとて、地球が、地球環境がバランスを失って、あるいは核戦争で死の惑星となってしまっては元も子もない
 最強の不老不死、不死身が望むべくもないなか、むしろ、人間はますます生に執着する、愛着をもつようになり、決してアンニュイになるようなことはないのではなかろうか……これは蛇足だが、不老不死の世界では、生命保険は恐ろしく高額なものとなりそうだ……


 今回は、不老不死をめぐる言説を3つだけ取り上げたが、一つ見えてきたのは、『不老』と『不死』が不可分のペアであるということである。『不死』になるためには、あくまで自分自身の肉体の『不老』を獲得しなければならない。様々な意味でのアンチエイジングの努力が、そのテクノロジーのイノベーション、ブレークスルーが必要だ。
 真の『不老不死』とは、機械(サイボーグ化)やコンピューター(デジタル化)といった他力に頼るものではなく、あくまで人間としてのデフォルトを保存して、人間自身の自助努力で達成されるべきものなのかも知れない


 

#COMEMO #NIKKEI

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?