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精神年齢と人生経験のこと

 高度発達障害の子の精神年齢が大体実年齢の2/3相応なんじゃないかという話をTwitterで見かけた。検索してみると↑このようなページがヒットした。

 最初に見たのは病気としての発達障害とは別に大人でもそういう状態の人が多そうだって話で、次のツイートとそれに関する反響でそんなことが書かれている。

 この類のトピックは他人事ではなく自分事として捉えているので見かけるたびにそれなりの関心を抱いてしまう。だからnoteに投稿することを始めた頃にもその話をしている。

 これよりさらに自己洞察を深めたつもりで書いたのがこちら。

 以下には今現在考えている2つの事柄を書こうと思う。これは精神科の専門医のお世話になった方がいいレベルの疾患・障害ではなく、それよりは軽度だけれども生きる上でどうしても気になる苦手・短所の話だ。思いついたことを忘れないうちに言葉にしようと書き始め、そして書きながらも考えているので拙い文章になるかもしれない。

その一

 おそらく精神的に成熟していると評価される人にも、精神的に弱いところ・未熟なところはあるだろう。例えば困難な状況に耐えることには強いが新しい環境に対しては引っ込み思案(あるいはその逆の傾向がある)などだ。それでも臆することなく堂々と生きているからあの人は精神的に幼くなくて立派だと評価できる。

 だから「精神面で実年齢相応に成熟した人」と「精神面で実年齢よりも完全に遅れている人」とにはっきり分けるのではなく、どんな人にも「実年齢相応以上に発達したところ」と「そうでないところ」とがあると捉えた方がいいだろう。精神的に幼いのか否かと無理矢理分けようとするのは、不健全な二分割思考であると思う。

 これはなんでも白黒つけて考えようとする傾向のことであり、精神疾患の原因であり精神疾患が治らない人の特徴でもあるとYouTubeの「樺チャンネル」でも度々言われている(どの動画だったか分からないのでまた見つけたらリンク貼ります)。

 だから私を含め「精神面での発達が遅れていたな」と思う人は、自分が羨ましく思う人と己との間に越えられない一線を引く代わりにもう少し細かく見て具体的に何が違うのか考えてみればいいかもしれない。

その二

 じゃあ何が精神面での発達・成熟を進めたり遅らせたりするか。ざっくりいえば人生経験の有無なのだろう。持って生まれた性質や幼少期の環境も影響するだろうが、ここでは敢えてコントロール可能な選択に焦点を絞っておきたい。

 それはつまりコンフォートゾーンを抜け出す体験をどれだけしたかだ。進学、就職、新しい趣味、新しい人との出会い、恋愛、遊び、旅、その他様々なイベント。人は何もしないでも勝手に成長するのではなく、新しいことを経験して何かに継続して打ち込んで伸びていく。そのような変化を指して一般に成長という。何もしなければ年齢相応以上の水準まで成長することはできない。

 大前提として人は皆初めは未熟で、何もしなければ未熟なまま。ある程度年齢を重ねたところでどれだけ成長しているかはそれまでに何を経験するか次第だ。端的にいえば
 ・背伸びして実年齢相応の生き方をしようとするか、
 ・無理を避けて精神年齢相応の生き方をするか、
このどちらを選択するかだ。ある人物が30歳になる時点で人がある面で年齢相応以上であるか否かは20代の間に上記のどちらの生き方を選ぶかで決まる。


 ここで注意すべきは本人が「さあ私は実年齢/精神年齢相応の生き方をしよう」との自覚を持つわけではないという点で、これは後から振り返るとこのどちらかに分類できるという結果論だ。

 ここでその一で書いたことを踏まえると、人は全てにおいて背伸びするか・無理を避けるか選択するわけではない。例えばある人は仕事上の人間関係では背伸びするけれどプライベートでの遊びでは未成年の頃から変わろうとしないかもしれない。

 このような分類をしてみると、背伸びして実年齢相応以上のことをしようとすれば途中で苦しくなって心が折れるリスクが高いだろうと思う。しかし逆に無理しないで精神年齢相応の生き方を選ぶ人はそもそもそれ以前に心を折られているような気がする。

最後に

 思いつくままに書いてみて、一時は元々何が言いたかったか分からなくなってしまった。読み返してみると結局これは新しい発見ではなく、やっぱり人それぞれだよね、よくも悪くも因果応報だよね、白黒つけて考えない方がいいよねといった事柄の再認識に尽きる。

 結論としては極端に考えて失望なさるなといったところだ。



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