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町中華・オブ・ザ・デッド

「ラーメンひとつ!」
次の日。
「ラーメンひとつ!」
次の週。
「ラーメンひとつ!」
次の月。
「ラーメンひとつ!」
次の年。
「ラーメンひとつ!」

「また!ラーメンなんですね!!!」
初めて先輩に対して声を荒げた。
常連客がぎょっとした目で、伝票を持った私を見る。お父さんも勢いよく振っていた中華鍋をぴたりと止めた。
ずっとずっと憧れていた先輩だった。一年前の私からしたら先輩が私の家に来ているなんて奇跡でしかなかった。



あれは高校一年の夏、サッカー部の藤川先輩が格好いいという話を前の席のりっちゃんと話していたら、嘘みたいにドンピシャなタイミングで私達の教室の前を藤川先輩が通り過ぎて行ったのだ。
「え、今のって!」
「だよね!なんで一年の廊下にいんの!?」
私とりっちゃんは目を見合わせた。
「うわ、引き返してまた前通んないかな」
「通んないでしょ」
するとりっちゃんの望み通り藤川先輩は引き返して再び私達の前に姿を現した。
「え!やば!」
「声でかいよ…!」
すると藤川先輩はきょろきょろと探し物でもする様にこの教室へ入って来た。そして黒板を消していた学級委員に「北村って子今いる?」と声をかけたのだ。
私は言葉を失った。北村とは私の苗字だ。何故先輩が私を知って、探しているのだ。
「えっと、後ろの席の、ハリガネロックのユウキロックに似てる子です」
「ああ、あの子か」と先輩は私めがけて一直線に進んで来た。
「え、うそ、なんで、どういう事?」りっちゃんはパニックを起こして立ったり座ったりを繰り返している。
そして目の前まで接近して来た先輩が「北村の家って中華屋なの?」と訊いて来たのだ。
「はいい!」
思わず声が裏返ってしまう。
「ラーメン美味いって聞いたんだけど」
「お、美味しいです。たまに本にも載ったりします…」
「学校から近い?」
「歩きだったら少し遠くて…自転車だったら遠くないです…バスだったら凄く近いです…!」
「どの辺り?」
「えっと、ポケモンGOで、ミニリュウがよく出る用水路分かりますか…?」
「ああ、六丁目の」
「あの用水路を、バタフリーが出る広場の方に進んでもらって」
「あっちか」
「広場越えるとバリヤードが出る住宅地に入るんですけど、そのバリヤード捕まえると絶対次にカポエラーが出るんです。決まった場所に、絶対。そのカポエラーポイントの目の前がうちです…」
「じゃあ、放課後寄らせてもらうわ」
「え!?…ラーメン好きなんですか?」
「うん、めちゃくちゃ好き」
「あ、あの!私放課後いつも店の手伝いしてて、だから、接客させてもらうと思います…」
「そうなんだ、偉いね」
「あ、ありがとうございます!あと、私もたまに店で料理作るんです」
「へえ…」
「ごめんなさい!調子乗って喋り過ぎましたかね…」
「いや、別に。何の料理作んの?」
「野菜炒めです。近所のおじさん達にはユウキロック炒めなんて言われて、結構人気なんです。お父さんのラーメンに比べたらまだまだだけど」
「そっかじゃあラーメン頼むわ」
「え」
そうして先輩はそそくさと私達の教室から居なくなってしまった。激しく短い夢を見ているかの様だった。
そして放課後、先輩は約束通り私の家の中華屋に訪れた。
「ラーメンひとつ!」
カウンター席に座り、捕まえたバリヤードの個体値が低い事を嘆きながらラーメンを待つ先輩を私はじっと見ていた。ここに先輩が実在している事が信じられなかった。
「先輩、ラーメンお待ちどうさまです」
先輩の前にラーメンを差し出すと待ってましたと言わんばかりに割り箸を割って麺を啜り出した。
ずるずるずるずると、四口目を飲み込んだ辺りで彼は顔を上げ、「こんなうめぇのかよ…頭の血管ぶち切れちゃうよ…」と私の目を見て言ったのでした。



それから先輩は毎日欠かさずうちに来てラーメンを食べる様になった。先輩の部活が休みの日はどうせ同じ場所に向かうのだから、と一緒に下校する事もあった。
好きなものの話や、小中学生の頃の話を沢山した。ミニリュウも沢山捕まえた。冬にはカイリュウに進化させる事ができた。
二人で同じ喜びを分かち合った。
その頃にはもう根も葉もない噂が学校中に広まっていて、藤川とユウキが付き合っているだとか、何をもうしたとかしてないとか。
しかし実際のところ、私と先輩は手と手が触れ合う事もなかった。付き合うとか好きとか、そんな話になった事も一切ない。だから私は雪の降る帰り道に、自転車を止めて先輩に訊いた。
「付き合ってるとか噂されてますけど、先輩は嫌じゃないんですか?」
「別に……嫌ではないかな」自転車の荷台で先輩が呟く。
私は堪らなく恥ずかしくなって、後ろを振り向く事ができなかった。
「じゃあ、そういう事だって思っちゃいますよ。私単純なんで」
「……なんだよいきなり変な事言い出して。寒いから早くラーメン食べてえんだよ。早く漕いでよ」
「分かりました」私はにやける顔をマフラーにうずめてまた自転車を漕ぎ出した。
そして更に半年の月日が過ぎた。



「また!ラーメンなんですね!!!」
初めて先輩に対して声を荒げた。
常連客がぎょっとした目で、伝票を持った私を見る。お父さんも勢いよく振っていた中華鍋をぴたりと止めた。
「え、だめ…?」
悪びれもせずそんな返事をする先輩に私は無性に腹が立った。
「いつになったら、私の野菜炒め食べてくれるんですか!?私の得意料理だって!知り合ったその日に言いましたよね!それなのにこの一年間、ラーメンラーメンラーメンラーメン…そんなに私の事弄んで楽しいですか!?」
「いやそんなつもりじゃないけど!」
「じゃあどんなつもりなんですか!?私の事どう思ってるんですか!?結局この関係も曖昧なままじゃないですか!」
「ロックの事は本当に大事に思ってるよ!」
「嘘だああ!!私の事なんて、ラーメン持って来る女としか思ってないくせにい!思ってないくせにいいいい!!!!」
その日初めて感情が爆発した。まるで癇癪を起こした子供の様だった。
顔を真っ赤にして泣き喚き、中華屋の床をごろごろと転げ回った。もうこの人とはいたくない。コショウを店中に撒き散らし、そこにいるであろうカポエラーを蹴り飛ばして私は店を飛び出した。
その晩、先輩から何度も着信が入ったが、全て無視した。無視してしまった。



ーーー翌日、先輩はゾンビになった。
ゾンビタウンと化した町に怯え、我が家は店のシャッターを下ろし、玄関にもバリケードを作った。
夕暮れ時、なるべく物音を立てない様に私がコショウまみれの店内で掃き掃除をしていると、
ガン!ガン!
と、シャッターに何かぶつかる様な音が聞こえた。おそらく、誰かがシャッターに頭を打ち付けているのだ。
恐る恐るシャッターの側に寄り、耳を澄ます。
「うう〜、うう〜」
微かに唸り声が聞こえる。
先輩だ。先輩の声だ。
聞き間違える筈もない。一年間思い続けて、一年間一緒に居て、一年間その声の「ラーメンひとつ!」に苦しめられて来たのだ。
「せ、先輩…なんですか…?」
「うう〜うう〜……そ〜…う〜…」
「ゾンビになっちゃったんですか?」
「…そ〜…う〜…」
「もう……本当に馬鹿ですね!大人しく家にいたらいいのに!」
「野菜炒め…つくって…」
はっとした。それは私が喉から手が出るほどに欲し続けていた言葉だった。
「そんな…今更…」
「彼氏になったら…頼もうと…おもてた……まだ付き合ってないのに…手料理食べさせて…もらうのは…違う…なて…」
……………
「……………馬鹿ですね。シャッター開けるんで、ちょっと離れといて下さい」
「わがだ…」
ぎいいと鈍い音がしてシャッターが上がる。
見慣れたローファーがそこにはある。
長い脚が少しずつ姿を露わにする。
しわくちゃのシャツがズボンからだらしなく出ている。
厚い胸板が見えて来る。
紫色になった先輩と顔を見合わせる。
「野菜炒め…ひとつ…」
涙を堪えて私は「はいよー!」と叫ぶ。

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