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モーリスの寓意 ~占いと預言のジオメトリー・補遺Ⅰ~

歴史上、不幸に見舞われた天才的な芸術家は数多くいます。例えば、聴力を失った作曲家、視力を失った画家などです。
音楽家のモーリスの場合はさらに悲劇的な不幸に見舞われました。彼の場合は失語症と記憶障害の二つです(彼はその治療の脳外科手術で亡くなる事になります)。

彼が他の芸術家達より不幸だったのは、音楽的才能と判断能力が高いままその症状を発症した事です。
特に失語症は、彼の頭の中に流れた音楽や新しいアイディアを、外の人間=他人に伝達する手段を全て奪ってしまったのです。彼の書く楽譜は既に出鱈目で誰にも理解することが出来ず、文章や会話で伝えようとしても、適切な言葉が浮かばなかったり、あるいはまったく別の意味の言葉を発してしまいました。昔は自由自在に操れたピアノもバイオリンも、記憶障害で演奏方法を失ってしまいました。

モーリスは既に大音楽家としての名声を得ており、ヨーロッパのあらゆるホールやオペラ座で彼の曲は演奏されていました。であるが故、彼らの友人や弟子たちは必死に彼の新曲や新たな音楽を理解しようと音楽的にも医学的にも努力しましたが、なかなか成果は得られず焦燥が募るばかりでした。
彼自身も進まない創作、進まない治療に苛立ち、癇癪を起し周囲に当たる事が増えてきて、状況は更に悪化の一途を辿っていきました。
手足も衰え楽器はおろか得意だった水泳も満足に出来ないようになり、人間付き合いにも疲れた彼は、ウィーンやパリという音楽の大都会を離れ、生まれ故郷のスイスに隠遁する事を決めます。

その後のモーリスの失語症と記憶障害は悪化し続け、最終的に確立されてない手法の脳外科手術を一か八かで受けて、残念ながら成功せずに亡くなってしまいます。

しかし、晩年の彼は幾分心が鎮まる瞬間を味わっていました。
他人への伝達手段がないだけで、彼の磨かれた音楽センスと判断力はそのままでした。
彼は時折コンサートホールに足を運び、自分の感性に触れるある一曲を聴いては、涙を流し心を癒していました。
「これは美しい曲だ、いったい誰の曲なのだろう?」
モーリスの介助で一緒にホールに行った人間は、彼がそう呟き涙するのを見かけたそうです。

その曲は、モーリスが24歳の時に初めて書いたノスタルジア・ピアノ曲だったと言われます。

拓也 ◆mOrYeBoQbw(初出2017・01.31)

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